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プロローグ

「先輩、この仕事してて病まないんすか?」


 助手席に座るその女は、スマホを弄る片手間に問いかけた。女の名前は陸奥柊花、年齢は二十歳。組織内で指定された黒のナイロンジャンパーを着こみ、動きやすそうなショートパンツを身に着けた彼女からは、スポーティーな印象を受ける。少し青みがかったワンレンボブも、その印象を助長するかのようだった。


「病むよ。実際、一年目は精神がやられて、外に出るのも怖くなったくらいだ」


 柊花の問いかけに受け答えするのは、トラックを運転する男。同様に黒のナイロンジャンパーを着用し、下半身も黒で揃えたその男は、樽老黎人といった。全身を黒で固めた黎人だったが、その頭髪には一部白く変色した部分が見受けられる。ストレスに起因するものだった。

 二人が乗ったトラックは、深夜の高速道路を進んでいた。走っているのは、トンネルが連続する区間だった。


「大変っすね」


 柊花が、黎人の答えに反応を返す。他人事といった感じの口調だった。


「逆に、お前は病まないのか?」


 黎人は、柊花の反応をさほど気にしないまま、逆に問いかける。


「私は、無いっすね」即答だった。「だって、先輩が頼りになるっすから」


 柊花は弄っていたスマホを置いて、黎人に視線を向けて言った。視線の出処である彼女の瞳は、夜の闇の中でも、きらきらと輝きを放つかのようだった。それだけ熱烈な視線が、黎人に向けられていた。


「おべっかはいい。むしろ俺は頼りない男だから」


 粗雑にあしらった。ただ、それは黎人なりの自己評価であることも確かだった。

 それを受けて、柊花は片方の頬を膨らませ、不満を示した。黎人に向けていた視線を、ぷいっと前方に向けた。


「先輩はもう少し自信を持っていいと思います。先輩を認めてる人はたくさんいるっすよ」


 控えめな黎人の態度を、咎めるような言いぐさだった。


「例えば?」と黎人は訊く。


「私の同期の女の子は、先輩になら抱かれてもいいって言ってたっす」


 実に生々しい評価のされ方に、黎人は戸惑った。


「その同期って何人?」と黎人は質問する。

「知ってる限りだと、十人っすね」と柊花は答える。

 続けて黎人は「そいつら、今どうなってるんだ?」と問いかけた。無事を案じてのことでは無く、十中八九何かしらの負傷やら病やらを抱え込んでいるだろうと見越しての質問だった。

 柊花は答える。


「五人死んで、二人が足を失くして退職、一人が植物状態、一人が精神疾患。無事なのは一人だけっすね」


 物騒な返答だった。およそ一般職では起こり得ない、凄惨な現状が滔々と語られた。続けて、


「もしかして、先輩って不健康な女の子に興奮する人でした?」


 と、自分の体を両手で抱きながら言った。わざとらしい嫌悪感を顔に浮かべていた。


「そんなんじゃない」黎人が答える。「というか、お前を含めて二人しかいないのかよ」


 黎人は、柊花の不謹慎な発言を咎めるでも非難するでもなく、あくまで日常会話として答えた。

 黎人の反応に、柊花は愛想笑いを返した。

 そして二人の会話は途切れ、車内には沈黙が訪れた。

 トラックはトンネルばかりの区間を抜けた。窓の外には店やアパートやマンションなどから漏れ出た光が見えていた。今は見ることが困難となってしまった星空が、地上に映し出されたかのようだった。


「あ、そろそろ高速降りるっす」


 黎人は、奥の方にうっすら見える案内標識に注意を向けた。そこにはインターチェンジの文字が書かれていた。それを確認すると、車線を変更した。


「先輩ってイかれてますよね」


 突然、柊花が口走った。彼女に黎人を貶す意図がないことは理解していたが、突然の誹謗中傷に黎人は眉を顰めた。


「どっちかっていうと、イかれてるのはそっちだろ。この仕事してて、そこまで明るくいられるお前は異常だよ」


 黎人は抗弁した。

 対して柊花は「分かってないっすねえ」と生意気に呟いた。


「先輩は強いっす。その証拠に、体はオリジナルのまま、五体満足を保ってる。でも、メンタルは弱いっす。一般人と同じくらいか、それ以下」


 口の端を吊り上げて言う柊花。黎人は口を尖らせた。


「でも」柊花は続ける。「そんなにメンタル弱いのに、未だにこの仕事を続けてるのは、普通じゃないっす。それはもうイかれてるっすよ」


「お前、俺になら何言ってもいいと思ってるだろ」


「でも、先輩のメンタルがつよつよになったら、それはもう最強っすよ」


 柊花は、にいっと笑って見せた。

 呆れたように、黎人はため息をついた。


「まあ、誉め言葉として受け取っとく」


 気づけば、トラックは高速を降り、下道に出ていた。そこはマンションや企業ビルが建ち並ぶ場所だった。背の高い建物ばかりが目に入るが、夜のせいか、それとも近年の社会情勢のせいか、どこか寂れているように見えた。


「次の信号を右っすね。そしたら目標に到達します」


 柊花の言うように、前方に点滅する信号が見えた。

 トラックが信号を右折しようとした、その時だった。

 横断歩道を、くたびれた様子の青年が渡っていた。

 ブレーキペダルを踏み込めば、まだ間に合う。そんなタイミングで、しかし黎人はそうしなかった。

 トラックは容赦なく、その男を轢殺した。

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