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第7話 紅色の瞳

 クソっ…!少し外出するだけだからって、油断していた…!!

 病院を出て、全速力で駆ける。その行き先は、ここから徒歩二十分程度の圏内にある学校——春音の通っている高校だ。

 先程のスマホの通知で、そこにゲートが出現したことを知った俺は、すぐさま病院を後にした。

 しかし問題がひとつ。病院に行くだけだと油断していたせいで、神器を持って来ていなかったのだ。素手のまま乗り込んで、そんな自分が何の役に立つのかとも考えはしたが、一度帰宅して持って来るのでは、手遅れになっている場合があると判断した。

 例え闘えなくとも、学校にいる人達を避難させたり、多少足止めをしたりは出来るだろう。

——ただ、それでも時間がかかりすぎる。

 何を思ったのか、正確には何も思っていなかった、何も考えられなかったのだが、俺は不意に目に入ったブロック塀に飛び乗った。そのまま助走をつけて跳躍、電柱を蹴って方向転換、そして一軒家の屋根の上に着地した。

 身体が普段より軽い…。これならすぐに着けそうだ…。待ってろよ、春音——!!

 屋根から屋根へと軽やかに飛び移り、俺は目的地まで直進した。


 ・ ・ ・


「ねぇ!ここでゲートが出たって通知が来たんだけど!」

「ヤバくね!?」

「早く逃げた方が良くない?」


 クラスメイト達が騒ぎ始める。

 先程まで里奈と談笑をしていた春音は、次第に笑みを失って、机の上できゅっと手を握り締めた。

 里奈はその拳に優しく手を添えて、真っ直ぐ彼女を見詰めて「…きっと大丈夫だよ」と微笑む。

 そしてほんの少しすると、息を切らした男教師が教室にやって来て「良かった、ここではないようだな……」と呟いて、険しい眼差しで辺りを見渡した。

 額の汗を袖で拭い、彼は「全員いるな!知ってはいるだろうが、校内でゲートが出現した!正確な場所はまだ分かっていないが、安全が確認出来るまでお前達はここで隠れているんだ!!」と大声で伝えた。

 

「先生達はゲートの場所を探して来るから、大人しくしておくんだぞ!!!」


 そう言い残して踵を返した背中は、教室を出て、瞬く間に扉の向こうでまるで破裂した水風船のような、赤く染まった死体へと化してしまった。

 叩きつけられた壁には大量の血が滴る。

 そして、その血液と同じような、赤黒い肌をした肉付きの良い魔獣——ハイオークが顔を覗かせた。

 扉の小さな窓には収まりきらない程の大きさの顔面が、不気味な笑みを浮かべて教室の中を覗く。

 その片手には、大剣を型取っただけのような、鉄の塊を持っているのが見える。


「ヒィ——ッ!!」

「うう…っ、おえぇ…っ」


 凶悪な姿に怯える者、身近な人間の生々しい死体に吐き気を催す者等と、生徒達の反応はそれぞれ違ったが、誰もが等しく感じ取っていたのは、ゆっくりと近付く”死”の予感だった。

 ()()は、大きな黒目をぎょろぎょろと動かしながら、しばらく大人しく生徒達を眺め——観察しているように見えた。

 その行為が、餌を探すための品定めなのか、それとも相手の戦略を確認しているのか、彼女達にはさっぱり想像もつかなかった。

 全員、誰に言われたでもなく、手で口を押さえたり、唇に強く力を入れたりして口を閉じる。ほんの少しの物音も立てない様に、呼吸さえも気が遠くなるほどゆっくり行う。片手に握った鉛筆を置くこともせず、ただひたすらに気配を押し殺そうとする。

 見開いた瞳孔を激しく振るわせている男子生徒が一人、生唾を飲み込んだ頃、魔獣は片足を教室に踏み込んだ。


「「「———ッ!!!!!」」」


 生徒達の絶句の理由はそれだけではなく、その背後にもう一体、似た見た目をした魔獣が付いて来ていたのだ。

 生徒達は慌て、入り口とは反対側——校庭ある方の窓際へと身を寄せる。

 そんな中で一人の男子が、椅子を掲げて駆け出した。


「うおおおおおおおおおおお———ッ!!!!」


 可能であれば顔面に強く叩きつけてやるつもりが、巨体を持つそれらには届かず、それでも目一杯の力で相手の胸部に叩きつける。叩きつけたところで、男子は動きを止めた。

 脂肪に守られた肉体に、非力な人間による打撃が効く訳もなく、肉に弾かれる様な音が教室に鳴り響いた。

 彼がゆっくりと見上げると、凶悪な顔つきをした魔獣と目が合う。


「……っ、クソ野郎…っ」


 凄まじい恐怖のせいで気が動転し、口角をひくひくと上げる。

 そんな彼の頭を掴み、軽々と持ち上げると、まるで虐殺を楽しむかの様に『キキキキキキッ』と笑い声の様なものを上げた。


「や…やめて…っ」


 傍観する春音の弱々しい願いの前で、魔獣は手の中のそれを、まるで果実の様に握り潰した。

 骨の砕ける音、大量の血液が飛び散る音、中の物が破裂するような音——そんな不協和音に、クラスメイト達は耳を塞ぎ、目を伏せた。中には、脱力し、膝をつく者もいる。


「も、もうこんなの嫌だ…っ!」

「ちょっと、何してるの!?やめて!!」


 一人の男子が窓を開け、窓枠に方足をかける。

 その先の行動は容易に予測出来たため、隣の女子が声を荒げて制止する。他のクラスメイトの注目を浴びて中、女子は、腕を掴んだ手を振り払われてしまった。

 そのまま彼はもう片方の足を窓枠に運び———三階から飛び出た。


「あ…っ」


 女子は、振り払われた手が震えるのを感じ、そっと握り締め、一歩後退る。

 その反対側では、二体の魔獣がのそのそとこちらへやって来ている。

 恐怖に襲われ、狂気が伝播する。誰もが胸にあった微かな希望を捨てたその時———。


「——ごめん、遅くなった」


 温もりを感じられるような低い声がした。

 その者の腕には、先程飛び降りた男子が抱えられている。


「お兄ちゃん———っ!!!」


 春音が声を上げる。

 今にも泣き出しそうな顔で呼ぶ彼女に、春香は「春音、待たせたな」と優しく答えた。

 中に入り、抱えている男子を下ろすと、彼は瞳を紅色に光らせ、二体のハイオークと対峙する。


 ・ ・ ・


 逃れようもない絶望の中、愛しい声が響いた。そこには、これまで毎日見て来た姿——お兄ちゃんだ。

 ここに来て、魔獣と向き合って、睨み合う。

 すると、その魔獣が枯れた声で意思の疎通を試みたのか、ただの鳴き声なのか、何かを呟いた。


『オウガ、ナゼ…』

「———?」


 言葉の意味が理解出来たのかどうか、お兄ちゃんは眉を顰めた。

 隣の里奈ちゃんが「春くん来てくれて良かったね。これでもう安心だよ」と言う。私もそれに同意しようとしたけど、魔獣と対峙するお兄ちゃんの姿に違和感を抱いた。

 白の半袖Tシャツに、黒のスラックス。それは良い。良いんだけれども、それしか身に付けていなかった。


「……じ、神器を持ってない…っ」


 小さく溢した独り言。ただ、里奈ちゃんの耳には届いていたらしく、私の手をぎゅっと握って「それだと、春くん闘えないじゃない…!」と小声で言ってくる。

 上手く言葉を返せず、私はそっとお兄ちゃんのほうに視線を戻した。

 

「お兄ちゃん……」


 何の前触れもなく、魔獣は剣を振り下ろす。それは床に深くめり込んで、物凄い地響きを起こした。

 相手の懐に入ることでそれを躱し、相手の腕に向けて掌底打ちをする。——けど、手応えはなかったようで、小さな舌打ちとともにすぐさま距離を取った。

 その背後から、もう一体が剣を振り払うのを、まるで体操選手の見せる宙返りの様に華麗に避ける。

 そうやって、攻撃を躱すばかりのお兄ちゃんの闘い方に異変を感じたのか、どこからともなく「おい…橘の兄ちゃん、武器持ってねぇぞ…」と言う男子の声が聞こえる。

 続いて「それじゃあ、あいつらを倒せないんじゃ…」「いくらS級でも、武器が無かったら俺達と変わんねぇだろ…」と、誰かが言い出す。

 二体の魔獣に挟まれて、中心で舞う様に攻撃を躱すお兄ちゃんの体力がいつまで続くのか。私は固唾を飲んだ。

 一体の攻撃を避け、その先を狙ってくるもう一体の攻撃を避ける。そんなことを繰り返しながら、お兄ちゃんは相手の背後に回った。

 その姿を一瞥もせずに、魔獣は身体を独楽(コマ)のように回して雑に剣を振るう。それとともに、もう一度相手の背後に回り、もう一体の魔獣がそこを目掛けて剣を振り下ろした。

 しかし、二体の距離があまりにも近すぎたせいで、その斬撃はお兄ちゃんではなく、同族の背中を縦に深く切り裂いた。

 ドシン、と大きな物音を立ててそれは絶命する。どうしてか、今まで来ていたゴブリンと違って霧散しないけど、絶命しているのだろう。

 お兄ちゃんは、肩で息をしながら、倒れた方の使っていた剣——身の丈に合わない物——をすぐに取り、胸の前で構えた。


「す、すげぇ———」


 そして、小さく歓声が湧き上がる。

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