第6話 新たなる英雄
激しいフラッシュと歓声が、一斉に三人を襲う。
S級という階位を、このような形で知らされた春香は驚きを隠せなかった。
それからは質問の嵐。それらは全て隆一やレイが回答しており、以降の記憶はほとんど残らない程に、春香には目まぐるしい展開となった。
「——お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん!!!」
「うぉ…っ、危ないから飛びつくなって」
帰宅すると、昨日の様に春音が飛びついて来る。
どうやら彼女は記者会見の放送を観ていたようで、当然自分の兄が個人ランク”S”のシュヴァリエになったということを知っていた。
そんな彼を誇らしく思うのと同時に、漠然とした不安を抱え、強く抱き締めた。
そして春香の腹を目の前に、溜め込んだ言葉をゆっくりと吐き出す。
「…お兄ちゃん、S級になったんだってね」
「ああ…俺も初めて聞いたけど、これでやっとお前たちを守れそうだ」
「…おめでと。学校の子達も褒めてくれてたよ」
「そっか」
「私にはそんなの必要なかったのに…」
「——?」
「お兄ちゃん、闘うんだよね?」
「そりゃあな。そのためのシュヴァリエだ」
「それって、お兄ちゃんじゃないとだめなの?他の人に任せられない……のは知ってるけどさ、それでも私、嫌だよ…」
春音は、昨日SNSで見た光景を思い出す。
新種の魔獣——ゴブリンロードにやられ、無惨な姿となってしまった二人の男。まるで赤子の手を捻る様に、瞬く間に命を奪われた二人の男。
それまでにどれだけの苦痛や輝きがあろうと、他人からすると、人は容易く死んでしまうものなのだと痛感させられる映像だ。
そんなことを知ってしまったからこそ、春音は兄の昇級を手放しで喜べる状態ではなかった。
小さく震える肩を抱き締め、春香は答える。
「——春音が俺のことを想ってくれるように、俺もお前のことを、もちろん母さんのことも大切に思ってるんだ。だから、頼らなくても、俺に守らせてくれないか?」
「……っ、ずるいよ。そんなの…そんなこと言われたら反対出来ないよ…っ」
「春音———」
春香が紡ごうとした言葉を遮るように、背後で誰かが扉を開けて入って来た。
「あれっ、インターホンが壊れてたから勝手に入って来たんだけど…もしかして私達お邪魔だったぁ?」
口角を上げ、からかう様に言う玲子と、その背後で「だからあれ程やめようって言ったんですよ…」とぼやくソウリン。
橘兄妹は、慌てて互いを抱擁していた腕を放した。
二人の姿を見た春音は、目を丸くして言葉を詰まらせる。
「えっ…えっ…えっ…。日本一のシュヴァリエって言われてるリュー・ソウリン…さん!?」
「ははは…今はその肩書きはきみのお兄さんの物だよ」
「春音お前、リューさんのこと知ってるのか?」
「そりゃあそうだよっ。クラスの女の子達がずっとリューさんの話してるからね〜」
(この人、そんなに人気なのかよ…。アイドルみたいだな…)
「まぁまぁまぁっ!ソウリンくんのことは良いからっ!」
除け者にされていた玲子が間に入る。
そして、軽く咳払いをして、手に持っていたハードケースを「はい、これ」と前に出した。
「きみの神器が完成したから、渡しに来たんだよ」
「俺の…?」
「そ、きみでも使える神器。これまでの神器——第二世代の物は、使用者の身体に負担がかからないように機能が制限されててね。だから、神器との適性が高すぎるきみには使えなかったんだ。だからこれは、制限を外した第三世代。説明書はないから、実際に使って慣れてってねー」
「わざわざありがとうございます」
「んや、これだけではなくてね。今回はひとつ話があって来たんだ。———橘くん、良ければ、うちのパーティに加入しないかい?」
ソウリンの言葉に不意をつかれ、春香は隣の春音と顔を合わせた。
・ ・ ・
「なぁなぁ橘っ!お前の兄貴、S級になったんだってな!俺はこうなるだろうなって思ってたぜ!」
お兄ちゃんの記者会見、そして階級の発表があってから翌日……。
「今度お前の家に遊びに行っても良いか!?」
「お前ずるいぞっ。俺が先に言おうとしてたのに!」
「何だよ!横取りしようってのか!」
という風に、これまでお兄ちゃんのことを悪く言っていたクラスの男子達が、見事に手の平を返した。
何を期待されてるのか分からないけど、不愉快極まりない。
ため息を吐いて、この男子達をどうしたものかと考えていると、長年聞いてきた声がした。
「はーい、散った散った。あんた達みたいなの、S級のシュヴァリエ様が相手してくれる訳ないでしょー。春音、おはよ」
「おはよう、里奈ちゃん。追い払ってくれてありがとね」
大河里奈——私の幼馴染で、ご近所さん。こうやって私が困っていると、何かと助けてくれる頼りになる女の子だ。
大人っぽさを感じさせる様な整った目鼻立ちと、細く引き締まった高身長。いつ見ても羨ましいなぁ…。
そんな彼女は、腰まで伸ばした薄茶色の髪を揺らしながらやって来て、前の席に腰掛ける。
「これくらい良いってことよ。幼馴染のお兄さんに変な虫が付かないようにするのも、私の役目だからね」
「ふふっ、何それ」
「——それにしても、良かったね」
「何のこと?」
「春くんのこと。皆んなから認めてもらえたじゃん」
里奈ちゃんは、私の幼馴染であると同時に、お兄ちゃんの幼馴染でもある。二人は幼少期から面識があり、彼女は昔からお兄ちゃんのことを春くんと呼んでいる。
「……別に、そんなこと頼んでないし…」
「もぉ〜、相変わらず春くんのことになると素直じゃないなぁ。男子達が悪口言う度に、本気で怒ってたくせにぃ」
「そ、それ絶対にお兄ちゃんには言ったらだめだからね!?」
慌てて里奈ちゃんの口を両手で塞いだ。
別に、この場にお兄ちゃんがいる訳ではないけど、どこからどうやって噂が伝わってしまうか分からないから。
彼女は「ぷはぁっ」と口を放して「分かってるよ。春音がブラコンなのは内緒なんでしょ」とからかってくる。
「本当に分かってるよね?」
「分かってる、分かってる。だからそんな怖い顔しないの。せっかくの可愛い顔が台無しだよ」
「んもぅ…調子良いんだから…」
「——でもさ、本当に良かったよ。春くんが悪く言われるの、私も辛かったからさ。ま、これからは魔獣が来ても安心だねー」
そう言って、にへらと笑う。
昔から察しの良い里奈ちゃんのことだから、私が心配していることも気付かれ、何となく励ましてくれてるんだろうと感じた。
・ ・ ・
先日、魔獣が大学へ寄越されたこともあり、しばらく休講が続く。そんな中ではあるが、春香は退屈を感じる様なことはなかった。
自宅に籠るでもなく、家を出る春音を見送った彼は身支度を始めた。白の半袖Tシャツに、黒のスラックスという、シンプルな格好で向かったのは、自宅から少し離れた総合病院——以前彼が世話になったのとは別——だ。
受付を済ませ、その背後から聞こえる「へっ、今のS級の人じゃない!?」という声を素通りし、目的の部屋へと向かう。
少しでも快適に過ごしてもらおうと用意した一人部屋。扉に付けられた名札には、橘結衣という名前が書かれている。
沈んだ表情を明るいものに一変させ、中に入る。
「母さん、来たよ」
シャワールームを併設した便所の壁に視線を遮られ、相手の顔が見えない。だからこそ、返事がなくても淡い期待を抱いてしまう。
もしかすると、目を覚ました母さんがそこにはいるかもしれない、と。
奥に進み、未だ眠り続ける母の姿を見て、春香は目を伏せた。
「…………」
ベッドの隣のパイプ椅子に腰を下ろし、じいっと顔を眺める。
「———俺さ、S級のシュヴァリエになったんだよ。これで、母さんにもっと良い治療を受けさせられそうなんだ。……春音だけどさ、相変わらず学校での成績が良いんだよ。だからさ、今度いっぱい褒めてやってよ。あいつ絶対に喜ぶから…」
どれだけ語りかけても言葉が返って来ないことに寂しさを感じさせる暇も与えぬ様に、ポケットの中のスマホが静かに震え始めた。
その画面を確認した彼は、思わず立ち上がってしまう。その拍子にガシャンッ、と音を立てて倒れた椅子を余所に、春香は「うそ…だろ…っ!?」と声を漏らした。