第5話 在るべき形
迎えが必要なら連絡するように、と言われたが、運ばれたのが近所の病院だったお陰で徒歩で済ますことが出来た。
着替えも用意されてたし、今度お礼を言わないとな。
病室のサイドテーブルの上に黒のシャツとスラックスが積まれており、橘春香と俺の名前が書かれた紙があった。遠慮なく着せてもらったが、かなり質の良い物なのか、肌触りだけでなく着心地まで最高だ。伸縮性も高くて動きやすいしな。
「ただいまー。——って、うわっ!」
いつもの様に帰宅すると、なぜか春音が弾丸のように飛びついて来た。その頭が腹に当たる痛みを感じながらも何とか受け止めると、今度は勢い良く顔を上げてこちらを見詰める。心なしか、その瞳がいくらか潤んでいるように感じられた。
「良かったぁ…生きてるぅ…」
「おいおい、何があったんだよ…」
腰に回された腕の力が段々と強くなっているのを感じる。
「……お兄ちゃんのパーティメンバーの人が…死んじゃったって聞いたから…」
「…………」
どこでそんなことを耳にしたのか。
そういえば、動画を撮ってるやつもいたし、それがどうせSNSに投稿されたんだろう。
返す言葉が見つからず、ただ、静かに頭を撫でてやる。春音はそのまま俺の腹に顔を埋め、深く息を吸った。
「——新品の匂い…。今日着て行ったのって、この服じゃなかったよね?」
「あー……魔獣から逃げる時に転んで破けたんだ…」
「それに、ちょっとだけど、お兄ちゃんから血の匂いがする」
「転んだ時に顔をぶつけてなー…。鼻血が大量に出たんよ…あははは…」
妹を心配させまいと咄嗟に吐き出したそんな下手くそな嘘。しかし、簡単に見破られてしまったのか、目の前の彼女は、今にも泣き出しそうな顔で「ばか…っ!!」と俺の胸を強く叩いた。
そしてもう一度、今度は力の抜けた声で「ばかぁ…っ!」と涙を溢す。
「私にそんな下手くそな嘘吐かないでよ…。お兄ちゃんがいなくなったら、私どうしたら良いの…。そんなの嫌だよ…っ」
「……大丈夫だ。春音に心配かけないくらい、強くなるから。お前と母さんを置いてどこかに行くなんて絶対にないよ」
「ほんと…?」
「もちろんだ。俺がお前に嘘を吐いたことないだろ?」
「……ついさっき嘘吐かれたけど…」
……。
…………。
「……さてと、もうこんな時間だし、さっさと夕飯の準備するか」
良い感じに丸く収まるはずが、恥をかいて終わってしまった。
「ふぅ…」
夕飯を終えて風呂にも入った俺は、自室で腰を下ろして一息吐いた。
強くなるとは言ったものの、正確には何をすれば良いのか……。
そもそも神器を持たない俺が、どうやって魔獣と闘うと言うのか。そんなことを考えていると、机に置いていたスマホが震え始める。
知らない番号だな…。
「はい、もしもし」
『夜分遅くにすまない。橘春香殿で間違いないか?』
「そうですけど…」
聞いたことのない声だ。
優しさを感じさせつつも、深みのあるような低音がスピーカーから聞こえてくる。
「私は騎士団本部長、林堂隆一だ」
林堂隆一……個人ランクS級のシュヴァリエじゃないか!そんな人がどうして俺に!?
「——きみと、会って少し話がしたい。出来れば早い方が助かるのだが…明日の予定は空いているか?」
「はい、明日であればいつでも大丈夫です」
「そうか。それでは、明日の10時にそちらに迎えをやろう」
「分かりました、ありがとうございます」
「…それと、もうひとつだけ良いかね?」
「?ええ、どうぞ」
「きみは、現代での騎士の在り方について、どう考える」
突拍子もない質問に若干の戸惑いを感じつつも、俺は素直に感じていることを吐き出す。
「——常に、守るべき人達を安心させられるような存在であるべきだと考えます」
「……そうか、それを聞けて良かった。ありがとう、それじゃあまた明日」
通話が終わる。
最後の反応……俺の答えは、彼を満足させることは出来たのだろうか。
「俺と話したいことって、何なんだ…?」
一人小さく呟き、天井を仰いだ。
・ ・ ・
「ひょえーっ、これって映画でよく見る車じゃんっ!黒塗りの高級車ってやつ!?お兄ちゃん、もしかして大出世したの!?」
そうやって騒ぐ春音を「はいはい…」と軽くあしらいながら家を出た春香は、迎えの車の中で揺られながら、目的地へとやって来た。
入り口まで行くと、彼を待っていたスーツ姿の男が声をかける。
「お待ちしておりました。本部長のところまで私が案内します」
その男の眼鏡の奥にある瞳が紅いことに気付き、春香は彼がヒト族であると知る。
物腰柔らかく、どちらかと言うと細身で、この様な特徴からは想像出来ない程の圧迫感を彼は肌で感じ取る。
男は軽く頭を下げ、春香の案内を始める。
十二階建てであるこのビルの八階にある応接室で本部長である林堂隆一が待っていると言うので、二人はエレベーターに乗り込んだ。
それまで言葉を交わすことはなかったが、その中で男は「申し遅れました。私はカイル・レイと申します。お察しの通りヒト族ですので、皆さんからすると馴染みのない名前ですが、気軽にレイと呼んでください」と自己紹介を済ませた。
「橘春香です。レイさん、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。そして橘さん、あなたには無茶を強いるかも知れません。それでもどうか、お力を貸していただけると幸いです」
春香に背を向け、階数を眺める。
「えっと、それってどういう———」
その背中に問おうとすると、数字が8になり、レイは「本部長はこの先です。詳しいお話は、彼から説明されるでしょう」と言って春香を見送った。
応接室の扉を叩き、中から「入りたまえ」という声が聞こえる。昨日、春香が電話越しに聞いた声だ。
扉を開けて対面したのは、筋骨隆々という言葉の似合うような体格をした、左の頬に傷のある老翁だった。
色の抜けた白い髪や、頬から顎にかけて生えた髭。そして、深く刻まれた目元や額の皺からは老いを感じられるが、鍛え上げられた肉体の張りからは、そのようなものは一切感じ取れない程だ。
中心の机を挟むように設置された腰掛けに堂々と座りこちらを眺める姿は、まるで獲物を狙う猛獣の様に感じられた。
「突然呼び出してしまってすまないね。さぁ、座ってくれ」
「それで、話というのは……」
「——昨日の件だ。こちらへ送り込まれて来た魔獣は、ゴブリンロードと言ってね。今までやって来ていたゴブリンよりも上位の個体になる。まずは下級の魔獣を寄越して相手の戦略を知り、次第に上位種を送り込む。これが魔族による征圧の仕方だ」
「それって…!」
「ああ、向こうは本格的に戦争を始めるつもりだ。他県でも既に何体かゴブリンロードの出現が確認されている。今や日本は混乱状態だ」
「それで、俺はどうすれば…」
「きみに、これからある記者会見に出てもらいたい」
「どうして俺が…っ!?」
「きみは、自身に付けられている蔑称を知っているだろう?」
「まぁ、はい…」
隆一の指しているものが『無能の荷物持ち』であるということを察し、春香は言葉を詰まらせる。
そんな彼を余所に、隆一は続ける。
「これは騎士団だけでなく、世間でも知れ渡っているものだ。今回は、その情報の拡散力を逆手に取りたい。きみには、国民の希望のひとつになってもらいたいんだ」
「それは———!」
「失礼します」
春香の言葉を遮る様に、扉が叩かれた。
中へやって来たレイが「本部長、お時間です」と告げる。
「橘殿、付いて来てくれ」
隆一に言われるがまま、気が付くと春香は記者会見の席に参加していた。
・ ・ ・
座ってるだけなのに、こんなに写真撮られるのか!
つい目を閉じてしまいそうになる程の量のフラッシュに、頭痛を起こしそうになる。
隣のレイさんが色々喋ってるのも、慣れない場のせいで内容があまり頭に入ってこない。
「昨日、魔族が新たな戦力をこちらへ仕向けて来ました。既にSNS等で多くの方が見られたと思いますが、それによってB級パーティのシュヴァリエが二名死亡したことも事実です。幸い一般市民の怪我人は出ませんでしたが、対処に遅れてしまったことをお詫び申し上げます」
「これからどうするつもりなんだー!」
「今日も出たって聞いたぞー!」
「それより、隣の荷物持ちは何だー!」
様々な野次が飛んで来る。
それを聞いて本部長が立ち上がり、マイクを手に取った。
「彼は故あって戦闘への参加を許可出来ず、これまで個人ランクを非公開としてB級パーティの荷物持ちとして務めさせてきました」
「ただの役立たずじゃねぇかー!」
「そんなのに税金使うなー!」
「せめて戦力を強化しろー!」
「——静粛にお願いいたします。本日、彼を会見に出席させたのは、彼の個人ランクをお伝えするためです」
突然の出来事に頭が追いつかなくなる。
本部長は、すぅっ、と息を吸って、その答えを出す。
「彼のランクは……S。昨日のゴブリンロードを退けたのも彼です。この橘春香が、国民の新たな希望となることをお約束します」