第3話 血の目覚め
ようやく神器を起動することが出来た春香。だが、そのパーツのほとんどが欠落もしくは破損してしまっている。露出した配線からは、時折り小さな火花が散る。
それでもお構いなしに、彼は立ち向かう。
真白にとどめを刺そうとする相手の腹を思い切り貫いた。
(立ってるのも正直限界だ…ッ。興奮してるからか、痛みはマシになったが…)
体内を締め付けられるような感覚。かろうじて肩で息をしながら、柄を強く握り締める。
そして痛みを堪え、腹部に突き刺した神器を「——フ…ッ!」力一杯振り上げた。
春香と真白は、血飛沫を浴びながら、霞んだ眼でその身体が霧散するのを確認する。
振り上げた神器をそのまま自由落下させ、床に突き刺して両膝をつく。その口内からいくらか鮮血が吐き出されるが、彼はそれを手の甲で雑に拭った。
「大丈夫か…真白…っ。すぐに…応援を呼ぶから——」
なぜか、目の前に転がる彼女と目が合わない。
そしてなぜか、その彼女は大きく目を見開いて、その黒い瞳孔を震えさせている。
真白は「あ…あ……っ」と弱々しく声を漏らしながら、ゆっくりとゲートの方に伸び切っていない人差し指を向けた。まるで悪魔でも見つけたかの様な反応。それに気付き、春香は恐る恐るそちらに顔を向ける。
普段は数分程度で消失しているはずのゲートが、未だにそこに残っている。そして、そこからまた何かが出て来る。
それは先程と同じ様に2mを超える長身を持ち、こちらを見下ろしては不気味な程に口角を上げて『ギィィ……』と発声した。
「———ッ!!!」
骨ばった細長い手足だが、それだけで油断出来る程春香は愚かではなかった。
恐怖を肌で感じ取り、胸の鼓動が強く、速くなっていることに嫌でも気が付く。本能的に感じ取った、生命の危機から来る寒気。心臓から強く押し出される血液さえも冷水と化してしまったかの様に、全身に悪寒が走る。
片手は今も神器を握ったまま。しかし、闘って生き残っているという未来は一向に想像出来ない。
「にげ———」
袖を掴まれ、声のする方を向く。
「逃げて……っ!」
真白は、潤んだ瞳を真っ直ぐに春香に向ける。
振り絞るように発されたその言葉が、瞬間、彼の思考を惑わせる。
そうしてしまえば楽なのだろうか、と一瞬でも考えそうになったことに嫌悪感を抱き、唇を噛む。
そんなことをしている間に、二人の前までやって来た魔獣の姿が視界の端に映り込んだ。
「来るなぁッ!!」
相手の位置を正確に認識して狙いを定めるでもなく、ただ乱暴に、粗放に、手に持った神器を振るった。
それは掠りもせず、ただただ空を切っただけのものだった———のだが、まるで凄まじい風圧に押し負けたかの様に、魔獣は壁際まで吹き飛ばされた。
(今のは……!?とにかく、今のうちに立ち上がらないと…っ!)
再び神器を床に突き刺し、杖の様に体重をかけながらふらふらと立ち上がる。
「だめ…逃げて…っ。お願い…っ」
下から真白の声が微かに聞こえる。それでも春香は、両の瞳で真っ直ぐに魔獣を睨みつけていた。
真白が伸ばした手が彼に届くことはなく、生暖かい雫が、目尻から流れて一筋の跡を残して静かに床に落ちた。
それが合図になるかのように、春香が飛び出した。
「うああああああああぁぁぁ———ッ!!!」
起き上がった魔獣は教卓を持ち上げ、向かって来る彼に向けて放り投げる。
神器を用いてそれを一刀両断出来るのであれば、それが理想ではあったが、そのような斬れ味は持ち合わせておらず。足を止めた春香は、放物線を描いてやって来るそれの直撃を避けるために受け流すことで精一杯だった。
「邪魔だ…ッ!」
神器を振り上げて受け流す。そこで出来た大きな隙は見逃されず、魔獣が懐に飛び込んで来る。鋭い爪を向け、喉を貫こうとしていることが見て取れた。
その光景が、春香の瞳には必要以上に鈍重なものに映った。かと言って、素早く対応出来る訳でもなく、反射的に軽く後方に跳ぶことが限界だった。
返り血や泥で薄汚れたその爪が喉元に届く———その刹那、横腹に何かが突っ込んで来たのを春香は感じた。
「春香くん…っ!!」
「真白!?」
突っ込んで来た真白のお陰で、薄皮一枚裂かれる程度で済んだ。
体勢を崩した二人はそのまま倒れ、攻撃を躱された魔獣はそのまま長机の方へと突っ込んで行った。
真白は、春香を下敷きにしたまま「うぅ…」と呻く。その下で、春香は「助かったよ、真白…」と彼女の後頭部に手を添える。
(やばいな…そろそろ俺も限界そうだ…。ごめんな、真白…。ごめんな、春音…それと、母さんも……)
霞む視界に最後に映したのは、自分達の身体に細く影を落とす醜い魔獣の姿だった。
「すまない、遅くなった!!」
入室して来たのは、紅の瞳を持つ青年——肩まで伸ばした艶やかな金色の髪と、端正な顔立ちを持つ青年だった。
彼は、春香達が使用しているのと同じ刀剣型の神器を、ハードケースに入れるのではなく帯刀し、その手には何やら狙撃銃のような物を持っていた。
春香達にとどめを刺そうとする魔獣を見つけるや否や、彼はそれを構えて迷うことなく引き金を引く。
若干の反動を受け止めながら、撃ち出された弾丸は二発。肩と頭頂部を貫いて血飛沫を上げる。
魔獣の身体が魔石を残して霧散する頃、もう一人「いやー、相変わらず銃火器型神器ってのは羨ましいねぇ」と感嘆して入って来た。
赤縁の眼鏡をかけた一見軽薄そうな女性だ。
黒のTシャツの下に黒のミニスカートを履き、白衣を着用しており、その背中からは『働きたくない』という中に着たTシャツの印刷が薄らと透けている。
そのポケットから棒付きの飴玉を取り出し、口に入れて続ける。
「遠距離からでも魔獣を倒せるチョー便利神器とか、ソウリンくん専用じゃなかったらうちも欲しいってのー」
「いえいえ、僕専用って言うか、僕しか適性のある人が存在しないってだけですよ…」
「流石は日本一のシュヴァリエ様って感じー。チョー不公平なんですけどぉ。ヒト族ってそんなチート持ちばっかなのぉ?」
「まぁまぁ……そんなことより早く仕事しますよ、平野さん。ただでさえ到着が遅れてしまったんですから」
「へいへーい」
不満はないが不服そうに、気怠そうに返事をし、取り残された生徒達を講義室の外へと運び始める。
その間にソウリンは、魔獣のいた方へと足を運ぶ。
・ ・ ・
さてと…。この二人はかなり重症だがまだ息はあるな。
半壊した神器が近くに転がっていることから察するに、この男女はシュヴァリエなのだろう。
「突然やって来た『ゴブリンロード』相手によく闘ってくれたね。この人、どこかで———」
男性の方の顔を、どこかで見たことがある様な気がした。それも最近だ。
「……荷物持ち。無能の荷物持ちと言われていた人物か…!と言うことは、ゴブリンロードと闘っていたのは彼女の方なのか」
どちらにせよ、生き残ってくれたという事実だけで十分なのだが、僕はその結論を呟いた。
そんなことを確認しているうちに医療班が到着し、二人を搬送する。
僕と平野さんはその車両に同乗し、そこで本部への連絡を済ませることにした。
スマホを耳に当て「——はい。現在シュヴァリエを二名搬送中です。そのパーティメンバーである他二名は死亡が確認されました。…はい。相手はゴブリンロードで間違いないかと。現場には半壊した神器がありましたが、使用者は不明です。しかし、検知されたマナ反応はそこからで間違いないでしょう。……それでは、失礼します」と感情は切り捨て、淡々と質問された答えだけを述べる。
揺れる車内。目の前には、酸素マスクを装着した男女のシュヴァリエ——橘春香と結城真白。そして隣には、パーティメンバーであり先輩でもある平野玲子。
本来なら、ここにもう二人、彼らの仲間がいたんだろうか——。