第11話 それぞれのエゴ
これは、春音の通っている高校で倒したハイオークを従えた——後に、ハイデルと名付けられた——数日後のこと。
日が暮れて、澄んだ空気が窓から入って来る部屋で、春香は一人考えに耽っていた。
不意に眺めた窓の外からは、子ども達の笑い声が聞こえてくる。
(この綺麗な景色からは想像出来ない程、実際は世界は平和ではないんだよな…。それを守るためのシュヴァリエとソルジャーか…。今の俺に出来ることは——)
「——来い、ハイデル」
『本日はいかがなさいましたか』
「いや、ちょっと気になることがあってな。こうやって姿を現している時意外は、どこにいるんだ?」
『そうですね…。王の周囲を彷徨っていると言う表現が正しいのでしょうか』
「えぇ…てことは、ずっと俺のことを見てるのか?」
「いえ、ただ周囲を彷徨うだけの魂…視覚はありません。ただ、王の魂を通じて様々なことを感じ取っています」
「……お前って、こうやってハイオークの形になったり、消えたりしてるけど、もしかして武器にもなれるのか?」
「魂自体に形はありません。しかし残念ながら、こうして具現化する際は、どうやらこれまでの器の形に近付いてしまうようです…」
「なるほどなぁ」
隣で片膝をつくハイデルの肉体に触れてみるが、感じたのは硬さではなく、何か磁力のようなもので強く反発されている様なものだった。
(幽霊みたいに透けて触れないと思ってたが、それなりに硬いんだよな…)
「ま、頼りにしてるよ」
『はっ…ありがたきお言葉!!!!』
一方その頃。本部で寝泊まりすることの多い玲子は、偶然見かけた寧々を連れて休憩室にやって来ていた。
小鍋で沸かした牛乳を二人分のカップ麺に注ぎ、蓋を閉じる。そして「これが結構美味いんですよー」と寧々に渡してから時計で三分測る。
渡された方は「醤油ラーメンに牛乳ねぇ…。まぁ、確かに美味しそう、かも、ね……」と若干頬を引き攣らせながらも取り繕った。
そして、装飾や背もたれもない腰掛けに、隣り合うようにして座り、両手の中のカップ麺の温もりを感じていると、玲子が口を開けた。
「——どうして、魔族はこっちに攻めてきたんですかね?」
「ああ、珍しくご飯に誘ってくれたと思っていたらそういうことね」
「へへ…」
恥ずかしそうに、申し訳なさそうに、玲子は頬をぽりぽりと掻く。
そんな彼女に呆れたような表情を浮かべつつも、寧々は続けた。
「まったくもう。平野ちゃんはどうしてだと思う?」
「んー、ただ単に人を殺すのが好きだから…?」
「ま、そういうのもいるでしょうね。けど、正解は自分達が生きるためなのよ。魔族にはね、生産っていう概念がないのよ。とにかく一方的に消費を続けるだけ。だから、自分達の土地に資源がなくなって、他の土地を襲うのよ」
「それはなかなか自分勝手で、迷惑な話ですね…」
「向こうは、自分達が生きるために殺しに来る。こっちは、自分達が生きるために殺す。実際やってることはどっちも同じなのよ」
「いや、でも、向こうは他人…と言うか、他の種族に迷惑かけてますし…」
「アタシ達がこうやって抵抗してるのも、向こうからしたら迷惑だと思わない?あんたは変なところで真面目すぎるのよ。生きていくのに善も悪もないわ。あるのは、正義という名前の皮を被った『エゴ』だけよ。皆んな、自分が可愛くて必死に正当化するけど、偏見をなくして触れてみたら、そういうものなのよ——」
どこか遠い目をして俯く寧々の横顔に、ふと玲子は思ってしまう。
「……寧々さんって、結構どうしようもないくらいに遊んでそうな見た目なのに、何かこう…意外とちょっと真面目なところありますよねぇ」
「あんたねぇ、いちいち一言かそれ以上多いのよ…」
隣に顔を向けると、そこにはにへらと笑う女の姿があり、呆れて怒る気もなくしてしまった。そして不意にため息を溢した後、三分経過を知らせる音が鳴った。
玲子が「おっ、もうイケますねぇ」と言う隣で、寧々は軽く麺を啜る。
「……美味しいわね」
「でしょーっ」
「でも、二口くらいで何か飽きて来ちゃうかも…」
「うわぁ、おばさんの台詞だなぁ」
「あんたほんとにうるさいわねっ」
「ごへんははーい」
ズズズと啜った麺を咀嚼し、玲子はもごもごと、思ってもいない謝意を示した。
それを飲み込むと同時に、彼女は一変して真剣な面立ちを見せた。
「……それで、橘くんはどうなんですか」
「あー、それやっぱり気付いてた?」
「そりゃあそうですよ。今までここで健康診断なんてしたこともなかったのに、わざわざ採血までして。どうせ彼のこと調べてたんでしょう」
「相変わらず勘だけは鋭いんだから。……彼はねぇ、正直に言うとよく分からないわ」
「何ですか、それ。宇宙人ってことですか」
「もしかしたらそうなのかも知れないわね。何と言うかね、彼のDNAは人間的な部分もあれば、ヒト族に近い部分もあって…あと、それ以外の何かが混じってる感じがしたのよね…」
「んー、そういうのはあまり分からないですけど、簡単に言えば混血ってことですか?」
水を打ったかのような静寂が訪れる。そんな中、玲子が静かにスープを飲んでいると……「それよ!!」と、寧々が突然声を上げたせいで吹き出しそうになってしまった。
そんなことはお構いなしに、彼女は「どうして、そんな簡単なこと思いつかなかったのかしら…。愚者にも一得ってこういうことなのね」と独り言つ。
独り言にしては大きなそれが嫌でも耳に入ってしまい、玲子は反応せざるを得ない不快感を抱いた。
「それってうちのこと馬鹿にしてません?」
「あら、バレちゃった?日頃のお返しってやつよ。そんじゃ、アタシは戻るから、後はしくよろー♡」
「言い方も古いし…」
手をひらひらと振って出て行った彼女が残したのは、赤い口紅の跡が付着している半分程度食べ残したカップ麺だった。
「——って、後はよろしくってそういうことねぇ…」
その下唇の跡がやけに生々しく、玲子はごくりと固唾を飲み込んだ。
・ ・ ・
校内に警報が鳴り響いて、私は慌てて外に出た。
ゲートが出現したのは——。
「春香くんっ!」
「あぁ、真白も来てくれたんだな」
「もちろんだよ。…春香くん、何かあった?」
確証はないけれど、長年見てきた幼馴染の顔色が、どこか悪いような気がした。
「…いや、大丈夫だよ。ちょっと寝不足なだけだ」
「そっか。あんまり夜更かししちゃ駄目だよ」
「そうだな」
はぐらかされた様な気がするけど、彼が言いたくないのなら、私も聞くつもりはない。聞いて欲しそうにしていたら、そうしたかも知れないけど、見た感じそんな風でもなさそうだった。
それにしても、このゲート今までの物よりもかなり大きい……。春香くんの二倍。いや、三倍くらいはありそうだな。
ほんの少し見上げると、校舎の窓からスマホを向ける生徒達の姿が目に入った。
まるで見世物小屋に来たかのように、目を輝かせてこちらを見ている。その向かい側の校舎でも、同じように皆んながスマホを掲げていた。
「…皆んな、怖くないのかな」
「そうだろうな。ある意味、俺達を信用してくれてるってことなんだろ」
「それでも、私としては離れてて欲しいな…」
「来るぞっ…!」
その言葉に驚いて、慌ててゲートの方に目をやるけれど、何も出て来る気配はない。それに、なぜか春香くんは全く違う方向——校舎の方を振り向いている。
それに気付いた瞬間、彼の視線向く方から大きな警報の音が響いて来た。
「春香くん!向こうは私が行ってくるよ!!」
どうしてだろう。何だかすごい胸騒ぎがするの———。