第10話 飲み込んだ言葉の味
春音の通う高校でのゲート出現から一ヶ月が経った。あれからと言うもの、これまであったことがまるで嘘だったかの様に平和な日々が続いており、他の県を含め、日本ではゲート出現の情報は一切出回っていない。
新種の魔獣のことや、長時間消滅しないゲートのことを公に晒したが、それによる不安の増長はどうやら杞憂だったと思える。
その間にさらに技術が進歩し、街中には防犯カメラみたいな物が設置された。正確には、ゲートの出現後、魔獣がやって来るまでの時間を稼ぐ装置らしいが…俺にはさっぱり分からない。
二週間の休校を経て大学での講義が再開。
その昼休みに、のんびりと食堂で時間を潰している俺を、他の生徒達が遠巻きにして眺めてくる。
いつになったら落ち着くんだろうか…。
「なぁ、あの子ってS級のシュヴァリエなんだよな!」
「サイン貰えるかな…」
「やっぱりいつ見ても格好良いね」
「あんた声かけちゃいなよっ!」
そんな声が周囲の席から聞こえてくる。
少し前までの扱いとは大違いだな…。
遠くから視線を向けられ、誰も俺と親しくしようとしないという点では、前までと何も変わっていないが。
そんな俺の元に、硬い足音が近付いて来る。それが真横で止まったのに気付き、俺は顔を上げた。
「えっと…何か用か?」
「ふーん、あんたがリューの言ってたS級ね。顔以外はまぁまぁね。あんたからは強さが全く感じられないわ!」
そんな、少年漫画じゃあるまいし…。
突然現れた赤髪の女は、そんな失礼なことを言って、華奢な人差し指で勢い良く俺の顔を差し「——あんた、今から私と勝負しなさい!!」と言い放った。
……。
…………。
「えぇ…?」
予想外の発言に、思わず間の抜けた声を出してしまった。
そして。
どうしてこうなった——!!
食堂を出て、その前にある広場に連れられた。
その周囲では、噂を聞きつけた者達が「どうしたどうした」「何か知らないけど、あの二人勝負するんだってよ」「喧嘩かぁ?」等と勝手に言い合っている。
向こうはなぜか満足そうな表情……もしかして、堂々とあんなこと言って来たのは、人を集めるのが目的だったのか?
「私は河野真里。A級のシュヴァリエで、リューのパーティメンバーよ!」
なるほど、それで来たのか…。
「それで?河野さんが勝ったらそっちのパーティに入れって言うつもりか?」
「そんな訳ないでしょ、自惚れすぎよ。あんたがただ、調子に乗ってるみたいだから、この私がわざわざお灸を据えてあげるってのよ」
「なるほどな。じゃあ勝負ってのは何をしたら良いんだ?」
「ただの体術勝負。簡単でしょ?本当は神器を使いたいところだけど、あいにく数少ないシュヴァリエを殺すのは御法度だから」
いや、人を殺すって時点でアウトだろ…。
そんな言葉は胸にしまい、受け入れる。
「…分かった。じゃあ、来いよ」
・ ・ ・
「先手は譲ってやる」
そう言った途端、目の前の彼の雰囲気が今までのものとは変わった様に感じた。どこか冷徹で、そして冷血な、そんな雰囲気を感じる。
けど、これで怯えているようじゃA級のシュヴァリエなんて務まる訳がない。いつも通り、思い描いた完璧な動作を再現するだけ。
「ふんっ。その言葉、後悔させてあげるわよ」
まずは最短で距離を詰める!
身体能力ではリューを超える私の、人を超えた速度で相手の不意をつく。向こうからすれば、突然目の前に現れた私に手も足も出ない。そこであの綺麗な顔に蹴りを入れて私の勝ち。
そう、思っていた。
彼の顔を目がけて蹴り上げた右脚の先を、軽々と受け止められた。それも、人差し指と中指の二本だけで。——かと思うと、気が付けば彼は私の視界から消えていて……。
「ひゃっ…!」
私の体を体を支えていたもう片方の脚を振り払うように、下段の回し蹴りを食らわされた…!
最低限の力で放たれたそれは、的確に体重の軸を捉えていて、私は情けない声とともに体勢を崩す。
そんな私をお姫様抱っこするように受け止め、橘春香は言う。
「今回は俺の勝ちで良いか?」
「……っ、それで良いわよ…っ」
「ありがとな。…それと、気を付けないと、スカートの中が見えるぞ」
視線を下ろし、自分の今日の服装を思い出す。
膝上程度の丈のスカート……これって、絶対に見えてたわよね!?も、もしかして……っ。
「『ありがとな』って、そういう意味なの!?」
「馬鹿なこと言うな。ほら、昼休みも終わるから早く戻れ」
「んんんんんん〜っ、もうっ!分かったわよっ!!次こそは勝ってやるから、首洗って待ってなさいよね!!」
「はいはい、楽しみにしてるよ」
余裕そうな表情でぇぇぇぇ、もうっ、ムカつく!!
怒りと悔しさを噛み締めながら、私は彼の言った通り、次の講義へと向かった。
・ ・ ・
その場を後にする真里だが、その背中からはあからさまに怒りが感じられた。
(あれが、ソウリンさんの言ってたもう一人のメンバーか…。お世辞にも、仲良くなれそうだとは思えないな…)
取り残された春香が、心の中で本音を漏らす。
その周囲では「やっぱりS級ってすげぇんだな」「俺なんて二人の動き全然見えなかったぞ」「やっぱ流石だわ」とざわつき始める。
そして若干気恥ずかしさを感じた彼は、さっさと校舎内に戻ることにした。
その道中、視界の上端に何度も現れるそれが気になり、彼は足を止める。そしてぼうっと眺めるその視線の先にあるのは、まるで防犯カメラの様な見た目をした装置だった。
(これで、ゲートが出現しても一時間程度は魔獣がやって来ないのか…。そう言えば、警報も鳴らすんだったか?これがヒト族の齎した先端技術か——。そもそも、どうして魔族は地球を征服するんだ?)
考え始めるときりのないこと。理解出来るはずもない思考を想像し始めるが、すぐにやめる。
すると、装置の端で光っていたライトが緑から赤に変わり、点滅を始めてウー、ウー、と警報音を響かせる。
「おいおい、まさか——!」
振り返ると、案の定彼の背後で黒い靄が集まり、ゲートの形を形成し始めていた。
「う、うわぁぁぁぁ———っ!!!!」
その突然現れた不完全なゲートは、ちょうど道を歩いていた生徒の目の前に現れ、その片足を飲み込んだ。かと思うと、まるで何かに引っ張られるかのように生徒の姿は少しずつ消えていった。
そこで、春香のスマホが着信音を鳴らした。その相手は桜井寧々と表示されている。
「はい、橘です!」
『今橘くんの大学でゲートが出てるみたいなんだけど、今どこ?』
「今はゲートの目の前にいます!そんなことより、生徒が一人飲み込まれました!」
『ちょっと待って、それどういうことよ!中に入っちゃったの!?』
「はいっ、今すぐ俺も向かわせてください!」
『駄目よ!!迂闊に近付かないで!!ゲートの向こうがどうなってるのかも分からないし、帰れなくなる可能性だってあるのよ!?』
「それは飲み込まれた生徒も同じです!今すぐ助けに行かないと!」
『やめなさい!……橘くん、酷なことを言うけれど、今の日本にはその生徒一人よりも、あなた一人の方が大切なのよ。割り切れないかも知れないし、理解しろとは言わないけど、受け入れなさい』
「……っ!分かりました…俺はここで待機しています」
何も言葉を返すことが出来ず、ただそれを受け入れた。血の通っていない決断ではあるが、自分が乗り込んで確実に二人とも無事に戻って来れると言い切れる程の自信がなかったのだ。
本当に受け入れられないものだった場合、拒絶反応を起こして嘔吐する。だからまだ、言葉も飲み込めているうちは大丈夫なのだと彼は自身の心に言い聞かせる。
しかし、強く握りしめた拳はやるせない気持ちで震えていた。