第1話 騎士〈シュヴァリエ〉
それは一世紀程前のこと。
魔族たちの侵略から逃れるため、自らをヒト族と称する異界の住民達が『ゲート』を使って地球へとやって来た。
その5年後、異界を征圧し終えた魔族は地球へとその矛先を向け、ゲートからゴブリンを寄越すが、それはヒト族によって設立された『騎士団』所属の『シュヴァリエ』によって排除された。
以降、シュヴァリエとソルジャーは人々の希望として立ち上がった——。
「今日も余裕だったな。もっと強ぇヤツはいねぇのかよ」
そう言ってため息を吐いたのは、シュヴァリエである山田広樹だ。半袖のTシャツからも分かる程に筋肉質な彼は、頬の返り血を拭いながら、その鋭い視線を隣の男の方へと向ける。
「——おい、いつも通り後処理は任せたぞ。せめて、荷物持ちの仕事くらいはちゃんとしてもらわねぇとなぁ?」
それだけ言い残し、シュヴァリエ専用の武具である『神器』——まるで古くから存在する日本刀の刀身を型取ったかの様なもの。柄や鍔に当たる部分には、ヒト族が齎した科学技術が見られるもの——を押し付ける。それにも当然ゴブリンの血液が付着しており、受け取った橘春香の衣服を赤黒く染めた。
『神器』それは、魔を狩ることに特化した武具。
ヒト族によって製作されたそれの使用には適性が必要であり、人間だけでなくヒト族でも使用出来る者は数少ないと言う。
これは使用者との間で起こるマナの循環——つまり血液が流れるような——により、活動を開始する。そのマナの循環を受け入れることが可能な肉体の持ち主であり、一定以上の身体能力、そして判断能力等を持つ者がシュヴァリエとして選出されるのだ。
マナの循環が不可能な場合、神器はただの最先端の鉄屑と化してしまう。
春香は、いつものように「あ、あぁ、分かってるよ」と返し、手に持っていたハードケースに神器を収納する。
それを見たもう一人、鈴木太一も彼の目の前に神器を放り投げた。そして、目を細めて口角を上げる。
「何で高貴なシュヴァリエにお前みたいなのが居るのかねぇ…。そう言えば、お前の親族がS級のシュヴァリエだったって噂だけど、そのコネで入ったのか?」
「……さぁ、俺あんまりそういうことは知らないんだ」
「ちッ——!ま、今はせいぜい無能の荷物持ちとして頑張りな」
踵を返し、手をひらひらと振ってその場を去ろうとする彼の背に向けて、結城真白が「ちょっと…!」と制止するが、立ち止まる気配は一切無かった。
若干の幼さを残した顔立ちに憂いを浮かべながら、彼女は長い黒髪を揺らして春香の元へと駆け寄る。
「ごめんね、春香くん。私が二人を止められたら良いんだけど……」
彼女は、鈴木の放り投げた神器に付着した血を拭い、収納する。
「良いよ。実際に俺は戦闘には参加してないし」
「どうして春香くんだけ神器を支給されてない上に、戦闘の参加を禁止されてるのかな」
「……さぁ。けど、こうやって働かせてもらってるだけありがたいよ」
「あ——っ、そう、だよね……」
真白の顔に影が差す。
そんな間も、春香は霧散したゴブリンの落とす魔石と、使用していたナイフを取るという『荷物持ちとしての仕事』を淡々とこなしていた。
支給された鞄にそれらを入れ、彼は立ち上がる。
「それじゃあ、俺は本部にこれを持って行くから」
「うん……。ま、また明日っ、学校で会おうね…っ!」
「あぁ、また明日」
その答えに、真白は透き通るような白い肌を薄らと紅く染め、頬を緩ませた。
・ ・ ・
「ただいまー」
ゴブリンから取った物を本部に提出してから帰路に着いた時点で陽は落ち始めていて、俺が帰宅する頃には辺りは既に薄暗くなっていた。
玄関を開けると、その先には偶然ほぼ同時に帰って来ていた妹——春音がちょうど靴を脱いでいるところだった。
彼女は振り返り「あっ、お兄ちゃんおかえりー」と軽く言う。
「春音もおかえり」
「ただいまーっ」
靴を脱ぎ終えた彼女は、じっと俺の方を見詰める。
身長差のせいで首が辛そうだが……。
「……どうしたんだ?」
「いやぁ、我が兄ながらイケメンだなぁと思いまして。身長も182㎝だっけ?スタイルも良いしモデルになれば良かったのにぃ」
「何言ってんだ。せっかく適性があったんだ、シュヴァリエにならないと勿体無いだろ。ほら、手洗って一緒に飯の準備するぞ」
少し不満そうに「はぁーい」と返事する春音の頭を軽く撫で、俺も廊下に上がる。
「って、お兄ちゃんそれ、ゴブリンの血とか触った手だよね!?」
「さぁなー」
本部で洗って来たけどな。面白いから黙っとこう。
「——春音、最近学校ではどうだ?」
食事中、ふとそんな質問を投げかける。
すると彼女は特に驚いたような様子もなく、スプーンでオムレツを掬い、口へ運ぶという一連の動作の中で流れる様に「んー、授業は簡単だし、次のテストも心配無さそうだよ」と答えた。そして、咀嚼をしながら「うちの高校、一応進学校なんだけどねぇ」と付け加えた。
春音が秀才なのは昔から知ってるけど、こういう時は出来の良い妹を持って誇らしいという感想を抱くべきなのかな。
ただ、俺が問いたかったのはそういうことではない。
口の中の物を水で流し込み、率直に聞くことにする。
「そうじゃなくてな……学校で変なこと言われたりしてないか?」
「——変なこと?」
「あのー、揶揄われたりとか…?」
「まぁ、確かに『シュヴァリエのB級パーティの金魚のフン』とか『お荷物荷物持ち』とか言われてるけど——」
聞いたのは俺だけど、そこまで素直に答えられるとかなり精神的なダメージを食らうぞ……!
そんな言葉が突き刺さり落ち込む俺を余所に、春音は続ける。
「——けど、別に私のことじゃないから気にしてないかな」
「あっ、そう……」
そこは「お兄ちゃんのことを馬鹿にするな!」って否定してて欲しかったけど、春音が気にしていないならそれで良いか……。
何とも言い難い感情を抱いていると、彼女は頬を染めて何やらばつが悪そうに「でも——」と呟いた。
「お、お兄ちゃんがすごく優しくて格好良いのは私が知ってるから……」
「はいはい、ありがとな」
「あっ、その反応、信じてないでしょー!」
・ ・ ・
今日はゴブリン達来ないと良いなぁ。
昼の強い日差しを浴びながら大学へと向かう道中、そんなことを考えながら、俺は「ふわぁ…」と情けない欠伸を溢した。
そんな俺に向けて駆け寄って来る足音がひとつ。
「春香くーんっ」
「真白か、おはよう」
「おはよう、春香くん。相変わらず二人分の神器を運んで…片方待つよ?」
「いや、そうしたら真白が二人分運ぶことになるだろ。戦闘には参加出来ないんだ、俺もせめて荷物持ちとしての仕事くらいはこなさないとな」
それに、デジタル化が進んだお陰で、昔みたいに教科書を運ぶ必要がなくなった分かなり楽だしな。
「そっか。けど、もし辛くなったら私に貸してね!幼馴染なんだから、遠慮はいらないよ!」
「ああ、いつもありがとな」
そうやって会話をしていると、目的地である講義室へと辿り着いた。
俺たちが入室すると、既に着席していた生徒達の視線が一斉にこちらに向けられるのに気付く。入学して一ヶ月以上経つ今でもこんな感じだ。
「ほら、荷物持ちが来たぞ」
「あいつまだクビになってねぇのかよ」
「俺もシュヴァリエなりてぇー。俺の方があいつより絶対に活躍出来るぜ」
「バッカ、お前の場合は筆記試験の時点で不合格だろ!」
そして、聞こえる罵声や嘲りの声もいつものことだ。
「おう、お努めご苦労さん」
後ろから威圧感のある低い声が聞こえたかと思うと、手に持っていたハードケースを奪い去るかの様に山田と鈴木が取って行った。
それとともに鐘が鳴り、俺達は「ここにするか」と最後列の端の席に慌てて腰を下ろした。
広大な講義室。前列になるにつれて低くなるという仕組みになっているこの部屋では、中心辺りに座っている山田達を容易に目視することが出来た。山田はスマホゲームをしており、鈴木は何か音楽を聴きながら居眠りしている。
そんな二人のスマホ、そして俺や真白、その他の生徒や教授のスマホに通知が来る。
『ゲート出現の予兆あり』
『直ちに避難してください』
『場所:北城大学』
その文章を読み終える頃、一人の女子生徒が声を上げた。
「ね、ねぇ…あれって…ゲートだよね…?」
震えた細指で差した先には、今まで見たこともない程の大きさのゲートが出現していた。
今まであったのは、せいぜい2m程度。あれはその倍……いや、それ以上はあるか——!?
気が付いた山田は、隣の鈴木を叩き起こして神器を取り出し、ゲートの前へ跳躍する。
「センセーはどいてな。こいつは俺の仕事だ」
「や……やっちまえー!シュヴァリエの力見せてやれー!」
生徒達は歓声を上げる。
ゲートの黒い靄の中から深緑の腕が出て来るのを確認し、山田は神器を構える。——が、鈍い音が響き渡るとともに瞬く間に彼は薙ぎ払われた。
「ぐふぅ——ッ!!」
吐き出した鮮血が床を赤黒く染め、身体がめり込んだ壁には亀裂が走り……生徒達は言葉を失い、その代わりに恐怖と絶望を得た。