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コンパートメントでのインタヴューと後味の悪い食事

全く期待外れだった。


『私』は眼前に広がるメキシコシティの様子を見て思わずそう思った。確かにそこはきれいな街だったが、よく見ると未だに40年前の大災害の爪痕が残っていたし、何よりもモンテレイで味わったあの人々の熱気が感じられることはなかった。


たしかにここはメキシコの首都なのだろうだが、メキシコを表すのにふさわしい場所ではないと思い、ミゲルの言った『あそこで本当のメキシコはわからない』という言葉の意味をかみしめたのだった。


翌朝、『私』はメキシコシティ郊外のレチェリアス駅から列車に乗って抜け殻のような街を出た。回廊(コリドー)のそれとは違い在来線を走る列車は如何にもこの世界のメキシコらしいもので、アメリカで乗った清潔な列車とは違い機関車から客車に至るまで落書きのような何かの文字列に覆われていた。通りがかった女性―ガブリエラというらしい―聞いたところ聖句やら無政府主義のスローガンや民俗詩などが書き連ねられているものらしかった。その外観を見て呆気に取られていた『私』だったが、中ではさらに驚愕した。車内自体は普通の側通路式のコンパートメントだったが『私』の切符―コチラに来て初めて買った紙の切符だった―を見た車掌が『私』が路線区間在住ではないということを確かめると路線維持費用なるものを徴収しようとしたのだった。『私』は運賃は払っているといったが、車掌は徴収を諦めるどころかさらに執拗に迫ってきた。差別的対応なのかはたまた賄賂を求められているのか分からず困惑する『私』に対して車掌は面倒くささを隠さずに説明を始めた。


「はぁ、アンタが何もわからないっていうことは分かった。つまりね、この鉄道は基本的に地域の公共の財産。したがって地域外の人間が利用するのならば当然その分の維持費を捻出して当たり前」

「そんな馬鹿な。公共の交通機関ですよね?」

「"地域のための"公共交通機関なのだから余所者が金を払うのは当然。人も荷物も余分に増えればその分線路は摩耗するし、電気だって使う。それにこれは何も鉄道に限った話じゃない。バスだってなんだって同じことさ。どうしても不満だというなら終着駅のケツァルテナンゴかどこかで途中下車するならその駅のある地区裁判所で訴訟を起こすことをお勧めするよ…もっとも、勝訴した例は一つも知らないけれど」


勝ち誇ったような態度でいう車掌の言葉に『私』は渋々と路線維持費用の支払いに同意し、言われるがままに電子決済したのだった。


「残念だったわね」

「…こんなこと駅では教えられませんでしたよ」

「そりゃそうよ。"路線維持費用"には"路線を維持するために必要な全ての費用"が含まれているわ。つまり、例えば、あの人たちに支払われる賞与とかね」

「賞与じゃなくて賄賂じゃないですか?」

「いいえ、賞与よ。アナタにわざわざ紙のお金じゃなくて電子的な手続きで済ませるように求めたのは臨時収入を皆でキチンと分けるため。かつての政権下のような誰か一人を肥え太らせるための賄賂とは違うの」


同じコンパートメントだったガブリエラがあまりにも冷静にそういうので『私』の怒りは直ぐに冷めてしまった。


だが、それでもどこか納得いかないという感情は残っており昼食にタコスが振舞われた―当然こちらでも先ほどと同じく『私』の分には路線維持費用が上乗せされていたがガブリエラが二人分買って一つを手渡してくれた―だが、初めてのメキシコらしい食べ物だというのにどうにも味は美味しくなく半分残してしまった。


「ねぇ、アナタ、"アメリカ人"じゃないでしょう」


不意にそんな言葉をかけられて『私』はドキリとした。慌てて取り繕おうとする『私』に、ガブリエラは見てればわかる、と言った。


しばらく沈黙が続いた末に、結局『私』の方が耐えられなくなって話し始めてしまった。勿論、『私』個人の事やアメリカをこうして脱出する破目になったきっかけであるハワイでの出来事についてはそれとなく省いたが。


「そう、この世界について知りたい、ね。…だったらケツァルテナンゴに着いたら私と一緒に来ない?」

「…ケツァルテナンゴからさらに先に行くんですか」

「えぇ、私はグアテマラに行くつもり」

「越境…ですか」

「大丈夫。伝手はあるから」


いやに自信たっぷりに言い切るガブリエラに負けた『私』は提案を承諾する事にした。


そうなると気になるのがガブリエラのグアテマラ行きの理由だが、それを聞くとガブリエラは少しためらった後、胸元から一枚の絵を出した。一見するとグアダルーペの聖母像かと思ったが、よく見ると顔には髑髏が描かれており、神々しさと相まって不気味さを感じる絵だった。『私』が髑髏の聖母が描かれた不気味な絵に困惑しているとガブリエラはぽつりと話し始め、『私』は慌てて記録を開始したのだった。


これは死の聖母(サンタ-ムエルテ)。あらゆる願いを叶えてくれる女神とも聖母ともいわれている。


死の聖母(サンタ-ムエルテ)ですって?


ええ、死は老いも若きも、男女も、そして富にも関係なくいつかは平等に齎されるものだから。もともと、アステカにはミクトランシワトル、マヤにはア-プチという死の神がいて、少なくとも"アメリカ人"の間ではそうした神々は珍しいものじゃなかった。その後はまぁ、植民地化されてそうした神話は失われていくんだけど、死というものへの信仰は途絶えることはなかった。そうして、いつの間にか信じられるようになったのがこの死の聖母(サンタ-ムエルテ)ね。勿論、弾圧されていたから地下での活動だったけど。暫くしてメキシコは独立したけど死の聖母(サンタ-ムエルテ)に対する信仰は相変わらず当局からは弾圧されていった。でも20世紀になってから一つの希望ができた。


希望…ですか?


ロスアルトスやチアパスを拠点にした自由地区。無政府主義者の集まりであった彼らは同時に貧しい先住民を多く抱え込んでいたから、死の聖母(サンタ-ムエルテ)信仰も強権的なカトリック政策を推し進めていたメキシコ政府への対抗策としてそれなりの地位を得ることに成功した。だけど、その終わりも早かった。第二次世界大戦中にメキシコ政府がアメリカ政府の仲介もあって自由地区との和解交渉を始めたんだけど、その条件の中に異端的信仰の否認があった。死の聖母(サンタ-ムエルテ)は少なくとも信者にとってはカトリックの一部だから到底認めがたいものだったけど、自由地区は結局その条件を飲んだ。大協商との間でまやかし戦争(ファウニーウォー)が始まってからは、カトリックが改編されたアメリカ自由典礼教会が貧者との連帯と救済を掲げて乗り込んできて、アメリカ企業による物質的な豊かさと引き換えに死の聖母(サンタ-ムエルテ)を捨てさせていった。少なくとも当時の自由地区を統治していた評議会にとってはあらゆる願いを叶えてくれるのは死の聖母(サンタ-ムエルテ)ではなかったようね。そして旧体制が倒れた今でも死の聖母(サンタ-ムエルテ)信仰は弾圧され続けている。何しろメキシコの半分を握っているのは復活した超復古的カトリックだから当然だけど。


それで、グアテマラ行きですか?


ええ、勿論、グアテマラもカトリックの国ではあるけど、ポコマムと呼ばれるマヤ人もいるから、グアテマラシティには神殿もある…もっとも神殿自体は昔グアテマラを統治していたカブレーラ政権がローマの女神ミネルヴァを祀るために作ったものだけどね。


なぜ、グアテマラではメキシコのような事態にならなかったのでしょうか?


うーん、支配的だったユナイテッド-フルーツ社に対する反発という部分が大きいのかも。第二次世界大戦後、グアテマラがイギリス領ホンジュラスを併合すると英語が通じる旧イギリス領ホンジュラス出身者をグアテマラ人の代わりに雇用して、グアテマラ人は白人及び混血(ラディーノ)にしても、そうでない先住民にしても差別的な扱いを受けていた。結果として、それが従来あった血の境界を越えたグアテマラ人としての団結を生むことに繋がり、そうした流れの中で死の聖母(サンタ-ムエルテ)信仰は先住民の一つの信仰として認められた。もっとも、グアテマラの東西合同教会は表向きには批難しつつ黙認している状態だけど…ただ、これにはもちろん悪い面もあって、アメリカが混乱すると結果的にその後ろ盾を失った旧イギリス領ホンジュラス系住民は分離独立を試みるも失敗して、今でもその多くが難民になって散らばってる。


それは…何とも。


個人的には悲劇だと思う。でも同時にそのおかげで私たちがこれまで受けてきた弾圧から逃れることができるのも事実。皮肉みたいだけど私には祈ることしかできない。


そういってからガブリエラは静かに祈り始めた。コンパートメントの中にガブリエラのぽつりと呟く祈りの声が響くのを聞きながら、食べ残していた冷え切ったタコスを食べた。何とも言えない後味の悪さだった。

サンタ-ムエルテは史実でもあるメキシコの民俗信仰ですがその信仰が問題視されていたりもします。おそらく超復古的カトリックが統治の一翼を担っているこの世界では弾圧されているのでは?と思いこんな話になりました。

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― 新着の感想 ―
「制毒丸」は良いですね。効果抜群という感じでマスタードガスにも効きそうです。
「超復古的カトリック」「死の聖母信仰」実にエキゾチックですね。 「もしもの時のスペイン宗教裁判は3つの徳を持っている、低能、傲慢、残酷、無知蒙昧いや5つだったか、6つだったかな」 とコントを始めたくな…
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