ハノーファーへの旅と翼のついた舟
イギリスを離れた『私』は空路でドイツへと向かった。機内の地図で見たドイツは『私』の記憶よりずいぶんと小さいものだった。
社会主義体制の崩壊後、ライン川左岸、ラウジッツ地方、ポメラニア地方、そしてシュレースヴィヒ=ホルシュタイン地方すら失ったドイツはその後暫くは人口の流出が続いた。国内の農業地帯のほとんどが大戦中の作戦によって化学兵器で汚染されたことによる食糧危機が深刻である一方で、併合された諸地域からの追放者に加えてロシア帝国から来た何世紀も前に移民したはずのバルト-ドイツ人やヴォルガ-ドイツ人すら追放の対象となり、国内には膨大な数の"ドイツ人”があふれかえっていたことから、国家主導による移民政策を行なっていたことが原因だった。
現在ではそうした移民の必要性こそなくなったが、それでもなおドイツを取り巻く環境は悪かった。周辺各国、特にフランスを筆頭にかつてドイツに踏みにじられた国々はその恨みをいまだに忘れていなかったからだ。そしてさらに勢力均衡を求めるイギリスがドイツの庇護者となって様々な分野で支えたことによる"迅速な賠償支払い"を名目にした戦後復興によって、大戦後のどん底から自力復興を強いられた国々との関係はもはや修復不可能だった。
一方でドイツの庇護者であったイギリスは年々宇宙政策を重視する反面地上への関与を縮小しており、ドイツ国内ではそのことに関する不安と不満が広がっていた。
だからこそ、『私』は最初の目的地にイギリスと関係の深いハノーファー王国を選んだのだった。
『私』の記憶では1866年の戦争以来消滅したはずのハノーファー王国は現在ではハノーファー王が近隣のブラウンシュヴァイク公位を兼ねる形でさらにその領土を広げて復活していた。
そのハノーファー王国の中心都市であるブレーメンに『私』を乗せた飛行機は降り立った。『私』にとってブレーメンとはドイツ有数の港湾都市以外では、童話の音楽隊かブンデスリーガのチームぐらいしか思いつかない地だった。着陸してまず驚いたのは空港のあちこちにいつか見た暴動の痕跡が残っていたことだった。
そして次に驚いたのは宿泊先のホテルに行こうとしていた時だった。市内を流れるヴェーザー川を一見すると小型飛行艇に見えるものが大量に航行していたからだった。すでに南西アフリカでドイツ人が航空機の保有を禁止されていることは知っていたから、いったい何なのかと『私』にはまるでわからず、困惑した
「失礼ですが…我が社の製品にご興味が?」
「アレはそちらの製品でしたか」
「はい、そうです…申し遅れました。私はここブレーメンを拠点とするフォッケウルフ社に勤めているものです」
『私』に話しかけてきたのは女性だったが、『私』は彼女の勤めている会社名を聞いて驚きのあまり固まってしまった。だが、女性は『私』の反応を別の意味でとらえたようで少し残念そうな顔をしてから話しを続けた。
「うーん、やはりまだ知名度ではまだまだですか…確かにあの空力浮上式舟艇は海外で使われているものの製造こそオランダのフォッカー社が行なってはいますが、ドイツ国内向けに関しては我が社が行なっているんです」
「空力浮上式舟艇…ですか」
「ええ、そうですよ。まぁ、言いたいことはわかります。どう見ても飛行機にしか見えない…というのはフランス人にもイタリア人にも言われた話ですからね。ですが、その起源は古いんです」
「どれぐらい古いのですか」
「そう…ですね。起源自体は大戦中です。その…戦中に当時の海軍が新型魚雷艇として投入したのが始まりで当時、航空機生産を担っていた我がフォッケウルフ社でも生産が行われていました、戦後もイギリス軍向けに戦中の部品をもとに組み立てが行われ、占領終了後には完全な新規の設計製造も行なわれるようになりました。当初はやはり航空機であるとして製造が禁止されそうになりましたが、戦中の魚雷艇としての使用を根拠としたイギリスによる仲裁によってドイツ国内での使用に限定して製造が認められるようになったんです」
「なぜイギリスは製造を認めさせたのでしょうか」
「やはり、戦後復興の一環というのが大きいですね。移民によって飢餓は避けられましたが、それは頭脳流出による技術力、経済力の衰退も意味していましたから、そうした中でドイツ各地で新たに産業振興をする必要がありました。生み出された財貨は賠償へと回されていきましたが、それは皮肉にもドイツ脅威論を生み出すことにつながりました。そしてドイツはいまだにヨーロッパに受け入れられていません」
「…先日の暴動では共和制への移行すら主張する人間がいたと聞きましたが、ヨーロッパに受け入れられていない現状でそのようなことが可能なのでしょうか」
「逆ですよ。少なくともそう主張する人間の多くは侵略的国家体制であるドイツ帝国の解体によってのみヨーロッパに受け入れられることができると本気で主張しているんです…たしかに彼が帝国軍人であったのは歴史的事実ですがそれとあの体制での出来事は別のはずです。ですがそれを言えばハノーファー生まれのたわ言と罵倒されるのがオチでしょうね」
そういって女性は悲しそうな顔をしたが、『私』は伏せられた固有名詞が気になってつい質問してしまった。
「彼とはいったい誰なんですか?」
その問いに関して女性は少し驚いた顔をしたあと、周囲を見渡してから端末で何かを調べるとそのまま画面を見せてきた。そこに表示されていたのは『私』の記憶では総力戦理論の生みの親として、そしてこちらではヨーロッパ各地で破壊を振りまいた悪魔のような存在として知られている男エーリヒ-ルーデンドルフだった。
空力浮上式舟艇(要は地面効果翼機)は本編で魚雷艇として使っていたので、それを途絶えさせるのもどうかと思って採用しました。なおブレーメンの企業なので存続したフォッケウルフ社ですが、こちらだとアルバトロスとの合併話もなさそうなのでタンク技師はいないと思います。




