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2つの竪琴の旗の下で

今回は少し長めですが、分割でやるには文章量が足りないので…ご容赦ください。

アイルランド島へ渡る日を夢見続けて一週間が経過したころ、ようやく海底トンネルの封鎖が解除され、『私』はすぐに列車に乗り込んだ。トンネルを抜けた先のアイルランド側には緑地に昇る太陽と竪琴が描かれた旗が翻っていた。暫くして検査があったが簡易的なもので『私』はそのままバスでダブリンへと向かった。


ダブリンには第二次大戦中に化学兵器によって汚染されたローマから脱出した教皇ピウス12世がダブリン城を一時的な教皇庁としていたという過去があり、その縁で戦後になってカトリック、現在は東西合同教会のアイルランド総大司教の所在地となっていた。そんなダブリンは活気にあふれてはいたが、どこか緊迫感のあふれる街でもあった。その正体はすぐに分かった。ダブリン中心部を流れるリフィー川沿いに壁が建てられ、向こう側を見ることはできなかった。そばには重武装の兵士が巡回し、上空には小型無人機が飛んでいた。その光景は『私』がアイルランド島を目指すきっかけになったディレ-ダワからの越境を思い出させるものだった。


検問所に並ぶまばらな待機列から見えた川の向こう側はロンドンでも、ダブリンでも見なかったような高層建造物が立ち並んでおり、そうした建築を見るのはリベリア以来だった。待っていると『私』の番が来た。


「じっとしてろ。よし、次に身分証明を……ちょっと来てもらおうか」


ディレ-ダワからの越境を思い出していたのがいけなかったのか、『私』は二度目の別室行きとなり、そして、暫くするとやはりというか、入国審査官がやってきた。


「わざわざこちらから北側に向かう旅行者とは珍しいですね…それも日本人とは。まぁ、我々が聞きたいのは一つです。あなたはリベリアに入国していますね。その時どのような活動を行なっていましたか」


『私』は迷ったがリベリア行きの経緯を含めて包み隠さず話すことにした。


「なるほど。薬物の販路を追っていたが特に成果はなかった、と…ご承知だとは思いますが、アナタの使用していた端末を含む所持品は"色々な方法"で検査をされています。ですのでこれまでの質問はその検査結果との矛盾がないかを確かめるためのものです」

「ええ、わかっています。こちらからも質問を…いいですか?」

「どうぞ」

「なぜリベリアに拘るのでしょうか」


『私』がそう聞くと尋問官は少し考えこんでから話し始めた。


「一言でいえばリベリアと"川の向こう"には奇妙な繋がりがあるからです」

「それは…イギリスは何も言わないのでしょうか、少なくとも他国が干渉してくるのは面白くないはずですが」

イギリス人(ササナハ)なんてあてにはならない」


入国審査官ははじめて感情をあらわにした。


アイルランド(エール)が大運河を境に分割されるまで彼等は何もしなかった。結局のところ同じ民族のことしか考えていないんです。たとえそれがどんなに狂った奴らとしても、ね」

「それはどういうことですか」

「"あいつら"は代々アイルランド王の戴冠式が行なわれていたタラの丘に契約の箱があるなどと主張して勝手に神殿を建てたんです。しかもその時、もともと埋まっていた遺物をご丁寧に大英博物館に送り付けてからです。そもそも、此間の海底トンネルの封鎖にしても全く無関係なことを理由にこちらの経済を混乱させようとするイギリス人(ササナハ)の…っと、何だ?…そうか。すべての検査が終わったそうです。良い旅を…ああ、それから向こうの印は別紙に押してもらってください、帰れなくなりますから」


もう少し入国審査官の話を聞きたかったが『私』は橋を渡った。あたりを見回すともう日が傾き始めていた。


橋の先の検問所には青地に3つの王冠、その下にやはり竪琴が描かれたものだった。検問所では物珍しそうな視線を浴びた『私』だったが、言われた通り印は別紙に押してもらった。もっともそれを聞いた相手は露骨にいやそうな顔をしたが。


ショート-ブラザーズやハーランドアンドウルフの広告が街を埋め尽くす中でいつものホスピタリティサービスで宿泊できそうな場所を探すと一軒だけだが見つけることができた。


そこで待っていたのは初老の白人男性、マイク-ブラック氏だった。


「…君は観光に来たのかね?バンドランはいいところだ。ここからは少し遠いが」


北にある有名なリゾート地の名を挙げたブラック氏に対して『私』は首を横に振った。


「…以前、東アフリカ連邦にいたことがありまして、そこでアイルランド島についての噂を聞きました」

「ひょっとして、ユダヤ人の自治区でかね?まぁ、あそこには"我々"を嫌っている連中も多いという話だからな…何を、どこから聞きたい」

「できるだけ全てを、最初から…お願いできますか」

「いいだろう。始まりはまあ、色々あるが決定的になったのは76年だ。当時の首相の同性愛疑惑とそれに関連したと思われる殺人事件が起こり、イギリス政界は大混乱だった。隣国であるアイルランドだって無関係じゃなかった。何しろ当時はまだイギリス国王を戴くアイルランド王国だったからだが、ダブリンの総大司教は当然のように同性愛疑惑を非難し、それを受けたアイルランド民族主義者どもはイギリスからの分離を唱えてテロ行為を行なったんだ。その後、政治的妥協としての宗教別議席から人口に比例した議席配分への転換と経済格差解消のためにアルスター地域に与えられていた経済的特権の廃止が決まると、今度はアルスターの側で不満が高まって内戦が始まり、今はこうして分断状態で落ち着いたというわけだ…こんなことを言ってもしょうがないが、フランスがアルジェリアでやったみたいにアイルランドでも分割をすれば今頃平和だったんだ。そもそも一つの国で纏まるということが無理だったんだ」

「…経緯はわかりましたが、なぜそれがタラの丘に神殿を建てることに繋がるのでしょうか」

「…"川の向こう"の連中に妙なことを吹き込まれたか。言っておくとそれが総意だと思ってもらっては困る。"我々"はかつてと同じように選挙で指導者を選ぶ、たまたま選んだ政党が"ああ"だったというだけだ」

「では、その統治は永続するものではないと」

「そうだ…と言いたいが現状ではそうであってほしいというところかな。彼らは、シオンの丘戦線はますます支持を拡大している。この前には首相を大士師と改名させたぐらいだ」

「なぜ、そこまで支持を集めているのでしょうか」

「結局、"我々"は見捨てられた存在だからだな…"川の向こう"の連中は"我々"は英本国から援助を受けているというが、現政権になってからは関係は断絶している。もちろん心情的にはこちらに近いものは多いというが…アングロサクソン人が失われた十支族の末裔などという主張はさすがに受け入れられることはない。だが、そうしたイギリスの姿勢を二度目の裏切りとする意見も強いからこそリベリアなんて馬鹿げた連中とも手を組む羽目になるわけだ」

「二度目…ですか?」

「そうだ。俺もそうだし、今の大士師だってもとはカナダ系だ。祖国から…文字通りカナダからも中央アフリカからも追われて最後にアルスターに流れ着いた、アメリカ人にもローデシア人にもそして、イギリス人にも追われた人間なんだ。たとえどんなに狂ったものに縋っているとしても、もう帰る場所を失うわけにはいかないんだ」


『私』がその言葉を聞いて思い出したのは皮肉にも南アフリカで出会ったロストヴァ夫人の『故郷はここなの』という言葉だった。


「それで…今はリベリアに庇護されているということですか」

「その言い方は適切じゃない。"我々"はショート-ブラザーズやハーランドアンドウルフの持つ技術を提供し、リベリアは国際的には認知されていない"我々"に代わって貿易や投資といった面で"我々"を支えている。それだけだよ。…"川の向こう"の連中は"我々"のことを神権統治企業国家というが、自分たちとてコンスタンティノープルの言いなりだよ」


そう言うとブラック氏は話をやめて、夕食を出してくれた。『私』が川の向こうに帰ったのは翌日になってからのことだった。

こっちのアイルランド側で使われている旗はキルケニー同盟の旗とアイルランド共和主義者同盟の旗を組み合わせたもので、対するアルスター(といっても大運河沿いに分裂しているのでダブリンを起点に南北に島を分断しつつシャノン川を通って大西洋に至る境界の北のほう)の旗はアルスター旗でも良いと思ったんですが、そもそもアルスターの赤い手の紋章はゲール文化由来でナショナリストの間でも使われていたということを知って、安直ですがかつてのアイルランド総督旗を組み合わせました。


ひょっとすると赤い手が統一的に認められたシンボル扱いされているのかもしれません。


タラの丘の契約の箱の話ですが、これは実際にそう信じていたアングロイスラエル主義者という人たちが史実でも19世紀末に発掘と称して遺跡を損壊させてます。あと、シオンの丘戦線については過去作で使った政党名の流用です。

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