奇妙な街、奇妙な会社
ロンドンは霧の都と呼ばれるが、少なくともその日は晴れていた。
『私』が最初にロンドンを訪れて思ったのは奇妙な街という印象だった。
ヴィクトリア朝というよりはクリストファー-レンの影響を受けたエドワード朝スタイルの記念碑的ともいえる住宅が数多く立ち並び、ランドマークであるロンドンアイやO2アリーナのような現代的建築の気配は一切なく―唯一の例外は後十年で完成から百年がたつという高速道路だったが、それですら『私』の目からすれば不必要なほどに装飾的だった―一方で通りを走るのは排気ガス一つ出さない電気自動車の群れであり、『私』は過去と未来が入り混じったものを見たような、そんな奇妙な感覚に襲われた。
そんな感覚にしばらく浸っていた『私』は博覧会会場であったわけでもなければ、スタジアムが立っていたわけでもない、ただの平凡な古い住宅街であるシェパーズブッシュの再開発の結果として生まれたビジネス地区を訪れた。おそらくは過去と未来が入り混じった中でも最も奇妙なものの象徴。そういっても過言ではない存在がそこにあったからだ。
その名はイギリストロヤ点会社、三角解と呼ばれる高い安定性を持つ平衡点への軌道植民地建設と運営を目的とする勅許会社だった。まるで大航海時代のような組織だが、この会社が設立されたのは半世紀ほど前にイギリスの宇宙開発自体は順調だったが肝心の軌道植民地に関しては足踏みが続いていたことが大きな理由だった。
そもそもイギリスの宇宙開発は人類が形質獲得によって宇宙に適応できるという学説が当初の前提だったが、アメリカが1959年に月に人類を送り込んで以降対抗心を燃やし続けてきたイギリス人にとっては残念なことに形質獲得による進化は机上の空論であることが判明したことにより軌道植民地計画そのものが学会はもとより国民からも批判されることになった。
しかし、一方で国際情勢を考えると計画をあきらめるどころか推進せざるを得ない状況だった。ロシア帝国と準同盟関係にあったイギリスは多くのロシア人の亡命先であり、彼らからの情報によって従来想定していた化学兵器によるものとは全く違う核兵器の全容を知ったイギリスは、同様に極東社会主義共和国からの亡命者によって対立するアメリカがその情報を得たと考え、来る核戦争後に自国が生存するためにも更なる軌道上への植民を進める必要性に迫られ、そのための足掛かりとしていくつかの宇宙事業を専門とする勅許会社―当時は前述の理由から純粋な民間投資はまるで見込めなかったし、国家計画についても当時の自由党政権は前向きだったが、野党である労働党及び自由党と労働党のすべてに反対するかつての保守党の残党の中でも最大勢力である中央党からの激しい反対にあっていた―を立ち上げ、その中にこのイギリストロヤ点会社もあったのだった。
そして現在、全くもって悲しいことに同時期に設立された多くの会社、例えば成果が上がった後に公営化されたイギリス軌道発電公社やイギリス小惑星資源公社などとは異なりまるで成果の上がっていない会社でもあった。だからなのか『私』がインタヴューを申し込んだ時にも快諾され、逆に『私』のほうが驚いてしまったくらいだった。
受付を済ませてから通された部屋は古風だが清潔な部屋だった。応対してくれた広報のフィリップ-キャクストン氏は柔らかな物腰でようこそといった後、紅茶をすすめてきた。その味はとてもおいしかった。そうして『私』はゆったりとした気持ちで質問をすることができた。
「早速質問を始めたいと思うのですが、まず、そのいきなり失礼な質問で申し訳ないのですが、イギリストロヤ点会社は現在も継続している事業体なのでしょうか」
「確かに我々が成果をあげられていないのは事実でしょう。イギリス軌道発電公社は今や大英帝国やその友好国に無限の電力を供給している。イギリス小惑星資源公社によって採掘された金属資源は工業界に必要不可欠な資源であり、ポンドの通貨としての価値を裏付けるイングランド銀行の金備蓄の完全準備は宇宙由来の金資源あってのものです。確かにそれらに比べれば我々のしたことなど半世紀の時間をかけて、せいぜいトロヤ点に一家族分の実験用施設を建設したに過ぎず、しかもそれすらもあくまでも超長期的な滞在が可能というだけで本来の恒久的な軌道上への植民という目的にはまるで足りません」
「そうですか、では…」
「しかし、それは我々の事業が停滞しているというだけで、決して実体がないわけではなく、むしろその意義は失われるばかりかますます強まっています。かのマッキンダーが予言したようにアナタの祖国を含むアジア地域や南米、アフリカといった地域は発展しましたが、その代償としての乱開発により地球全体はますます危機に瀕しているといます。だからこそイギリストロヤ点会社は今や人類すべてのための事業であるといえるでしょう。何しろ軌道入植地さえあればすべてが解決しますから。ええ、するはずなんです」
熱っぽく、最後は言い聞かせるように言っていたキャクストン氏の言葉が気になった『私』は質問をすることにした。
「…それは会社の考えですか、それとも貴方個人の考えですか」
「…私個人の考えにすぎませんが…ただ、内密にしてほしいのですが、会社の内部では"そういう方向"に持っていこうという考えが検討されているのは事実です」
「…それはなぜでしょうか」
その質問に対してはキャクストン氏は答えず、代わりにゆったりとした動作でポール-メル-ガゼット紙を差し出した。伝統的に自由党支持の新聞であるポール-メル-ガゼット紙には様々な記事があったが要約するとイギリストロヤ点会社を全く実体がなく、また存在する意味もない閑職と評し、解散させて月ないし火星への植民を推し進めるべきなのではないか、という記事だった。
読み終わってからキャクストン氏のほうを見たが、かぶりを振ってぽつりと言った。
「我々の足踏みはもう半世紀も続いていますから成果の上がりそうなほうに投資しようとするのは当たり前でしょう。特に契約していたベルファストのショーツは"トラブル"の結果、今や関係を断絶していますからその時点で運命は決まっていたのかもしれませんね」
そういってキャクストン氏は力なく笑った。『私』はベルファストという言葉に機内で見た白い地図を思い出して、ひっかかるものがあったがキャクストン氏の様子を見てインタヴューを打ち切り、建物を後にしたのだった。
作中ではシェパーズブッシュと書きましたが、実際の地理でいうとホワイト-シティ地区です。地区の名称の由来が1908年の英仏協商を記念した博覧会なので、1906年から世界大戦やってるときにそんな余裕はないでしょうし、スタジアム建設のきっかけになったオリンピックにしても大戦で延期してる間にヴェスビオ山噴火の影響がおさまったローマでやってるので、こっちだと建設もされなかったわけです。
イングランド銀行が完全準備銀行になってますが、そもそも、完全準備銀行自体が通貨学派に起源がある理論なのでまぁいいかな、と思います。何なら経済学者じゃないですがフレデリック-ソディも言ってるし。
ポール-メル-ガゼット紙は時代によっては保守党支持だったりと初期のころは割とふらふらしてるんですが、史実の廃刊間近のころは自由党支持だったんでまぁ、伝統的に自由党支持といってもいいかなぁ、と。




