久しぶりのインタヴューと冒険の終わり
いろいろ忙しく投稿が遅くなってしまいましたが、今回はインタヴュー形式です。今後もこんな感じでたまに混ぜていきたいです。
『私』は翌朝起きてから、前日にイスマイールから聞いた都市型農業の技術指導をしている支援団体へのインタビューを行なうべく端末を操作してメッセージを送ってから、朝食を食べた。エチオピア高原独特の作物であるテフを使用したパンであるインジェラは独特の味がしたがまずいものではなかった。寧ろ値段が高めなのが気になったが、聞いてみると連邦政府による制裁の影響とのことだった。
食べ終えてから部屋に戻ると端末には都市型農業の技術指導をしている支援団体である聖エレスバーン財団からの回答があり、昨今の情勢不安及び財団施設に対する襲撃を鑑みて内部の見学や対面での取材はできないが、端末を通してのものならば良いということだったので『私』はさっそく質問事項を整理してからインタヴューに臨んだ。
早速ですがそちらのお名前をうかがってもいいですか?
私は財団の施設で技術指導兼広報を担当しているものでアンヌ-ダニオと申します。
では、初めに不勉強で申し訳ないのですがそちらの財団の由来についてお教えください。
聖エレスバーンは6世紀のアクスム王国の王でキリスト教徒を弾圧していた現在のイエメンのユダヤ教の国家であるヒムヤル王国からキリスト教徒を守るために紅海を超えて出兵し、最終的にはヒムヤル王国をキリスト教国家へと変えました。その功績を称えて教会ではエレスバーンを聖人としているのです。我が財団では逆にキリスト教国家である藩王国を異教の周辺国家から保護するためにこうした農業指導以外にも教育や物資の支援を行なっています。
周辺の異教の国家というのはつまり他の東アフリカ連邦の加盟国でしょうか?
ええ、勿論です。現在の藩王国地域との住民交換で生まれた西ソマリ州があるエチオピア高原は本来アムハラ人の故郷です。存在自体がおかしな存在であるタナ湖周辺のユダヤ人によるシミエン州…とにかくこの地には異教徒が多すぎます。
しかし、東アフリカ連邦自体はパリやフィレンツェの了解を得て成立したもののはずです。まして、藩王国が連邦からの自立をリベリアとともに行なおうとしている今、藩王国を援助することはそれらの国家の意向に反しているのではないでしょうか?
まさにそれこそが問題なのです。先ほどあげられたパリやフィレンツェだけでなく、リスボンにもマドリードにも偽りの代表がいて"正当な権利者"を差し置いて彼らの利益のための政治を行なっているというところにこの問題の根幹があるのです。
"正当な権利者"とは一体…
それは国によって異なりますが…そうですね。例えば、ポルトガルならば共和国政府、スペインならばアルフォンシスタの復古を、そして大国であるフランスやイタリアではオクシタニアやブルターニュあるいはシチリアやサルデーニャは再び自由になるべきです。
話を少し戻しましょう。私が聞きたいのは東アフリカ連邦内の一国である藩王国を援助している問題について…
アナタは私が全く関係のない話をしていると感じたかもしれませんが、それこそが我々が援助している理由でもあります。パリやフィレンツェは欧阿を理念として掲げ、それにほかの各国も追随している。イギリス人が小惑星の採掘や軌道上での発電や工業を中心とする宇宙経済という新たな解決法を示したにもかかわらず既得権益に固執するあまり、いまだに異教徒に尻尾を振っているような政府にはもはや頼れません。ならば我々は自立のために自ら動く必要があります。富を蓄え、剣を研いでその時に備えなければなりません。
…藩王国はそのための実験場に過ぎないということですか…リベリアについてはどうですか?
ああ、リベリアですか、あの奇妙な思想については全く理解できませんが、もう一方の技術重視の側面は我々にとってある意味、模範とするべきでしょう。彼らの科学技術を生かした未来への発展の姿勢は私と同じブレイス人であるヴェルヌのそれを思い起こさせます。加えて言えば我々とリベリアは同じく異教徒と戦う同志でもあります。
同志ですか?それはなんとも社会主義的では?
社会主義ですか…複雑な思いはありますが、正直ルーデンドルフは正しかったのだと思いますよ。おそらくドイツが勝っていればヨーロッパはこうはならなかったでしょう。
それは…
……失礼、感情的になりすぎて、つい言葉が過ぎました。記録からは消してもらえると幸いです。
ですが、こちらとしてもせっかくの取材をなかったことにはできません。例えば、そちらの施設の内部見学などはできないでしょうか
それは…私の権限では出来かねます。ですが、私にできる範囲でアナタに協力できることがあればしたいと思います。資金がご入用であればある程度は手配できますが…
前向きに検討させていただきますと答えて『私』は久しぶりのインタビューを終えた。相手にしてみれば社会的地位を失いかねない失言をどんな手を使ってでもカバーして欲しかったのだろうが『私』にとっては中に入れなければ意味がなかった。
リベリアとつながりがあることも分かったし、施設を運営している者たちが既存の列強各国の分割を含む欧州の再編を目論んでいることやその動機がまかりなりにもイスラームとの協調を成し遂げている現在を否定すること、それどころか社会主義を賛美するような団体であると知れたのは収穫だったが、それらはあくまで思想であって彼らが実際にどのような活動をしているかはわからなかったし、頑なに施設の中を見せようとしていたことから施設の中でチャットが実際に栽培されている可能性は高かったが実際にそうであるか確かめられない以上『私』にとってはあまり実りのあるインタヴューではなかった。
結局、『私』のチャットを巡る冒険はここで終わったのだ。『私』はそう感じて最後にこの地での思い出を作るべくディレ-ダワ=ハラール都市圏のもう一つの中心である聖廟都市ハラールを訪れるべく、再びバスターミナルへと向かうべく、再び路面電車の停留所へと向かった。時刻表通りではなかったが到着した路面電車は空港から宿に向かう時とは打って変わってスムーズに動いていた。車窓から外を見ると青空が広がっていた。それはどんよりとした『私』の心とは全く対照的だった。




