ドームの下で眠れない夜を過ごす
皆様お久しぶりです。最近は現実世界との違いを表現することに拘るあまり、要点が掴みづらい話になってしまった前回の反省と改善に試行錯誤していたことに加えて、私事が忙しかったのでなかなか投稿できませんでした。
今回は試験的にインタヴューなしの話になっております。もしこちらのほうが読みやすいという意見があれば次回からそうします。
リベリアというところは暑いところらしい。らしい、というのは『私』が昔に友人からそう聞いていたのと、ポルトープランスを出てリベリアへの出発前にカパイシャンを訪れた際にジョーンズ教授からそう聞いていたのだった。だが、リベリアに降り立った『私』はそうした暑さを実感することなく、海上空港から地下鉄でクリストポリスへと到着した。そこで『私』が感じたのは心地よい風と程よい日差し、そして頭上に圧倒的な存在感と共に建っている巨大なドームに対する強烈な違和感だった。
ここクリストポリス、かつてのモンロビアは巨大なドームに覆われた完全環境制御都市だった。もちろんリベリア側がそうだと言っているだけで、実際は気象制御装置があるわけでもないので曇りや雨になれば日差しはさえぎられるがそれでも雨に濡れる心配をしなくて良いだけでも大したものと感心した。
「どうです?すごいでしょう。このドーム自体は半世紀ほど前にかつてのアメリカの支援で建てられたものですが、現在では我がリベリアが開発した自己修復性の塗料によって絶えず補修されているんです」
「えぇ、たしかに…帝国でもこのようなものは見たことがありません」
「ああ、それは良かった。リベリアは世界の最先端を行く国ですから。そうでなければ世界で最も偉大な人種である黒人の優秀性が疑われますからね」
尤もそんな大偉業を見ることができたからと言って、『私』の心が晴れやかであったかと言えばそうではなかった。理由は空港からついてきた"政府公認観光客ガイド"のジェーン-ヘンリーズだった。もちろん、ヘンリーズ氏に何か落ち度があったわけではない。日本語は完璧だったし何を聞いてもとても親切に答えてくれた。だが、二言目には"我がリベリア"、"黒人は偉大なる人種"という様に辟易した。多少の苦労はあっても一人旅をしたいと考えていた『私』にとっては苦痛だった。何しろ、まるで『私』も年配の世代の回想の中でしか知らない存在ではあるがかつての社会主義国家のガイドを想起させるようなそんな語り口にはうんざりしていた。
「…どうかされましたか?私の顔に何か…」
「いえ、なんでもありませんよ」
とはいえ、それでもリベリアが興味深い国であるということは間違いない『私』はヘンリーズ氏の顔を見てそう思った。何しろ話すたびに"黒人"として自らを誇り、偉大な黒人国家に何の疑念も抱いていないであろう彼女は『私』の目から見れば"黒人"ではなくオーストラロイドと分類されるべき存在だからだ。
このリベリアは第二次世界大戦後にアメリカから追放されることになった"黒人"たちの受け皿になった存在だったが、そうした"黒人"たちはアメリカ本土からのみ来たわけでなかった。当時アメリカが軍政下においていた太平洋の諸島からも多くの"黒人"たちがやってきていた。しかし、その多くは本来の意味での"黒人"ではなかった。太平洋の諸島においてはより白人的に見えるポリネシア人を白人として扱いそうでないオーストラロイドを"黒人"に分類し、振り分けたが、実際のところポリネシア人にしても、オーストラロイドにしても、白人でもなければ、"黒人"でもなかった。言ってしまえばただたまたま外観がそう見えただけに過ぎなかったのだが、それでも優生学が全盛であった当時のアメリカはこの振り分けに固執し、後には友好国であったオーストラリア連邦からの先住民の"帰還"要請すらリベリアに受け入れさせている。
一方のリベリア側からすれば、太平洋から来た"黒人"たちは多少異なる特徴を持っており、時に差別の対象ともなり、支援と引き換えに渋々受け入れているに過ぎなかったのだが、徐々に自らの同胞たちと認める動きが起こり始め、こうして彼等は"太平洋黒人"としてリベリアの一翼を担う存在になっているのだった。もっとも、"太平洋黒人"たちが認められた背景としては大戦後にリベリア領となった地域に居住する本当の意味での黒人の多くがムスリムや土着信仰といった非キリスト教徒でありリベリアが求める国民としての基準に達していなかったという問題があったのだが。
ともかくそうした背景はあっても、リベリアは紛れもない"自由の地"としてアフリカ大陸に存在しており、そして彼らは絶えず"解放"に向けた"活動"を続けている。たとえその結果としてジュバ川から南極までを領土にするまでに成長した大南アフリカとの緊張状態やリベリア国内でも度々騒乱が多発しているとしても、それでもリベリアは前に向かって進み続けている。その行き着く先がどこになるのか、それは『私』には、そしてリベリア人にもわからないだろう。
「さあ、着きましたよ。ここが建国百周年パビリオンです。1847年の建国から百年となることを記念して1947年に建設されました」
「あの、あそこにある台座は…建設途中なんでしょうか」
「…あぁ、あれはこのパビリオンが作られた時の大統領だったチャールズ-ダンバ--バージェス-キングの像があったんです。マーカス-ガーベイ氏が始めたアフリカ帰還政策の推進や第二次世界大戦後の領土拡張とその後の経済発展などの功績もありますが、キング自身の不正蓄財や政権を維持するための不正選挙などの影響で否定的評価も多く、現在では銅像は撤去されているんです。もっとも支持する人々もいまだに多いですがね…ほら、噂をすれば」
ヘンリーズ氏が視線を向けた先には警官たちに囲われながらデモ行進する集団がいた。手にキング氏のものと思われる肖像画を持ち、何やら叫んでいた。
「彼らは何に反対しているのでしょうか」
「別に何かに反対しているというわけではありません。ただ、キング氏の否定が許せないというだけで」
「ですが、政策的には現在も路線自体は継承されているはずでしょう?いくら、キング氏の功績が否定されたからと言ってそこまで反発をするのでしょうか」
「それでも、ですよ。今のリベリアはテクノクラシーを堅持していますが、多くはそれに対する反発です。キング氏の時代には自由があったというんですよ彼らは。まるで今の我々には自由がないかのような言い草ですよ。私たちは今までも、そしてこれからも自由です。欧阿の一体化を掲げて懐柔を試みているヨーロッパ人とも、そうした路線に反発して今も同胞たちを弾圧し続けている大南アフリカとも私たちは違います。私たちには自由である義務があるのです」
「義務、ですか、権利ではなく?」
「ええ、権利ではなく義務です。このリベリアが消え去った後にいったい誰が同胞たる黒人を守るというんですか?」
そういうとヘンリーズ氏はとても不思議そうな顔をこちらに向けた。ヘンリーズ氏の時折見せる尊大にしか思えない態度の背景には、リベリアがなくなれば黒人全てが形を大幅にかつてのものから変化させつつも残存する欧州列強の支配下となってしまう。少なくともヘンリーズ氏はそうした意識を強く持っているのだということが伺えた。ヘンリーズ氏の語る黒人の優位性というのは、『私』のような非黒人への強さの誇示であると同時に自らへの鼓舞なのではないか、『私』はぼんやりとそんなことを思った。
『私』はその後、ヘンリーズ氏と別れて建国百周年パビリオンの近くにある外国人宿泊用のホテルに泊まった。ホテルの備え付けのテレビをつけるとプロパガンダのような放送が流れておりアフリカから世界に広がった黒人の本来の居住地としてアフリカの他にインド洋や太平洋までもが黒く覆われた地図が写し出されていた。その根拠として"太平洋黒人"の存在が挙げられていたことは何とも皮肉だとも思ったが、あまりにもあからさまなプロパガンダすぎて辟易した『私』はチャンネルを変えてニュース番組を見ることにした。
そのニュースの中でかつてのエチオピア統治者であったソロモン朝が治めるディレ-ダワに首都を置く、ディレ-ダワ藩王国に対するリベリアの投資の拡大について周辺諸国とその宗主国であるイタリア王国がそろって反発しているというものだった。
ニュースの中では典型的なリベリア脅威論であるとあざ笑っていたが、中南米やハイチでのリベリアにまつわる噂を聞いていた『私』にとってはあまり的外れなものにも思えなかった。『私』はもし、アメリカの帰還政策がなければこのような事態にならなかったのではと考えて、はっとした。『私』はそのような世界に生まれ、そしてその結果、アメリカがどうなっていたかを知っていたはずなのに、まるでIFの世界のようにとらえてしまっているのだから。
その日『私』は眠れなかった。
建国百周年パビリオンはモンロビアに実際にある建物ですが台座に設置されているのは初代大統領のジョセフ-ロバーツです。こっちでキングの像が設置されてるのは個人崇拝を推し進めたためです。




