ポルトープランスでの多くの衝撃とインタヴュー
ポルトープランスに着いた時にはもう夜だったが『私』は驚愕した。そこは夜だというのに多くの光に照らされており、その光にははっきりと摩天楼の輪郭が浮かび上がっていたからだ。『私』の記憶にあるといってもあくまでイメージでしかないがハイチとは全く違う光景に思わず息をのんだ。
現代的で活気あふれる場所、というのが『私』の抱いた感想だったが、ジョーンズ教授のほうは違うらしく鬱陶しそうな顔をしていた。
「まったく…眩しいうえにうるさくてかなわないよ。早いとこ静かなカパイシャンの研究都市に戻りたいところだ」
「そういえば、大学はポルトープランスではないんですよね」
「もう10年ぐらい前になるがリベリアの援助で、郊外に研究都市を作ることになってね。その時にできたんだよ。まぁ、今考えればこんなうるさい町中に職場がなくて本当によかったよ。それなりの緑はあるし、学生の面倒を見なければ研究に没頭できるし…」
「そ、そうですか…あぁ、そういえば、おそらく英語であることはわかるのですが、あれは流行りのデザインのなのでしょうか」
「うん?…アレのことかい?アレはそういうデザインじゃなくユニフォンと言うれっきとした正書法の一つだよ。英語の音素に対応した正書法でね、もともとは50年代にアメリカで英語の初等教育のために生み出されてアメリカでは先住民区域を除いて採用されなかったが、リベリアでは大々的に採用されたんだ。当時は何しろ英語どころかアルファベットにも馴染みのない人間は多かったからね」
急に早口になった教授に対して話題を変えるべく『私』がフランス語表記の下に書かれたおそらく英語と思われる、『私』の知るようなアルファベットもあれば、遠い先祖の古代文字に似た文字もあるなんとも奇妙で、独特なアルファベットについて尋ねると教授は熱心に解説してくれた。そのあと、入国手続きを終えた『私』は一刻も早くカパイシャンに帰りたいという教授とはわかれてポルトープランスに留まることにした。
『私』はそのまま空港に隣接するホテルに宿泊した。そこで『私』は食事もとらずに寝てしまい、起きた時には日が昇った後だった。日が昇った後にホテルから見たポルトープランスの景色は空港で『私』が抱いた印象とはまた違っていて、昨晩の煌びやかな印象は消え失せ、清潔で近代的だがどこか無機質な、そんな印象を与えた。
ともあれ、『私』はポルトープランスを見て回ることにした。とりあえずホテルから出た『私』は決められた路線を周回する有料の無人運転車に乗り込んだ。『私』が乗り込んだのはポルトープランス郊外のディマンシュ城塞へと向かうものだった。『私』がディマンシュ城塞に向かったのは観光のためではなく、そこがハイチの歴史博物館として公開されていて、たまたま近代史に関する展示をしていたからだ。尤も半分楽しんでいたことは事実だが。
途中の街中では黒と緑で塗られた太極図に似た意匠であるモナドのマークをよく見かけた。調べるとモナドはかつてのアメリカで支配的であり、リベリアでは現在でも続いているテクノクラシーの象徴であり、本家のアメリカでは生産と消費のバランスを表す赤と白のモナドだったが、リベリアではもともとマーカス-ガーベイが発案した赤、黒、緑の汎アフリカ旗のうち赤が"白人至上主義的思想である"社会主義を想起させるとして除かれた結果として黒と緑の二色となった関係で、モナドも黒と緑の二色になったらしい。
ディマンシュ城塞に着いた『私』は端末で支払いを終えると、その値段の安さに驚愕した。『私』はメキシコでの不当な料金の割り増しを忘れていなかった『私』は逆に何か裏があるのではと疑って後続の無人運転車から降りてきた乗客に質問をぶつけてみたが、怪訝そうな顔をした後で帰ってきた答えは、
「そう言われてもなぁ…テクノクラシーでは消費したエネルギーによって価格が決まるのだから、それぐらいの距離なら…まぁ、ソレで妥当な値段なんじゃないの?」
というものだった。何ともさらりと答えたあとに乗客は城塞の中に入って行ってしまったが『私』その簡潔な答えを聞いて、驚きと興奮を抑えきれなかった。テクノクラシーという『私』の知る限りにおいて異端的思想に分類されていたソレが、こちらでは通りすがりの一般民衆にすらある程度理解されるほどには浸透しているのだから。この世界の興味深さを『私』が再認識したところで警備員の『私』を見る目がどこか不穏なものを帯び始めたので『私』はそそくさと入場料を支払って中に入った。
中ではハイチの近代史に関する年表とともに博物館の収蔵品がその流れに合わせて展示されており、音声ガイド用端末の中にはなんと日本語のものもあったため『私』はそれを借りて展示を見て回ることにした。多くの展示の中でも『私』の目を引いたのはドミニカとの国境紛争に合わせて展示されていたサン-クリストバル小銃と書かれた、ローラー遅延式ブローバックの自動小銃だった。
説明文によるとハイチ軍がドミニカとの国境紛争において鹵獲したものらしく、サン-クリストバルという名は第二次大戦後にドミニカに受け入れられたいくらかのドイツ系技術者によって設計されたものらしい。『私』の世界ではナチス-ドイツの末期に産声を上げ、スペインのフランコ政権で育ち、分断されたドイツの片割れである西ドイツにて大輪を咲かせた方式の自動小銃がナチスもファシストも存在せず、ドイツが敗戦国であっても分断国家とはならなかったこちらではカリブ海の片隅でひっそりと作られているにすぎないという事実は『私』にとって興味深いもだった。
「もし、そこの方」
「はい…はいぃ?」
「そんなに驚かなくてもよいのでは?日本語仕様の端末を使う人なんて滅多にいないので…一応来た時にも話しかけたのですが」
端末を返却しようとすると職員からいきなり、日本語で話しかけられた『私』は一度は素直に応じたが、そのあとに上ずった、妙な声を出してしまった。まさか、ハイチで日本語で話しかけられるとは思わなかったからだ。
以下は『私』に衝撃を与えた博物館職員ジャコット-ドライエ-エティエンヌ氏に対して行なったインタヴュー記録である。
インタヴュー記録 提供者ジャコット-ドライエ-エティエンヌ
日本語が上手ですね。留学経験があるのですか?
いえ、留学したことはないです。日本語は大学で学んで、そのあとは通訳を仕事としていました。大学を卒業したころ、といってももう20年は前になりますが今のマルーン島、当時はまだナヴァッサ島と言っていましたが、そこでの埋め立て計画やイル-ア-ヴァシュ島での空港建設計画などあの頃は日本企業による建設計画がとにかく進んでいましたから。アメリカは日本人による秘密軍事基地建設が始まったなどと騒ぎ立てていましたが、私たちにはそんなことは関係ありませんからね。仕事にはそう困らない…と思っていたのですが…15年ほど前から、日本人の姿は減っていき、建設計画も多くは放置されました。
放置された計画はそのままなんでしょうか?
現在ではリベリアによる援助をもとに計画が進められています。もっとも、マルーン島での計画は取りやめられて今ではただの保養地開発計画になっていますが、ハイチ人ではなくリベリア人向けの、ね。
ところで、そのマルーン島というのはなぜですか?
元々はナヴァッサ島といわれていてハイチが領有を主張していたのですが、1857年にグアノの採掘のためにアメリカが領有を宣言し、支配しました。それから約100年後、第二次世界大戦後に旧英領ジャマイカにてイギリス統治時代に自治を認められていた逃亡奴隷の子孫たちがそれを根拠にリベリアへの移送を拒否して反乱を起こすと、アメリカは第二次世界大戦時の台湾島での戦訓をもとに逃亡奴隷の子孫たちが立て籠もるブルーマウンテン山脈などの山岳地帯などに化学兵器によって攻撃したことをきっかけにハイチでは逃亡奴隷の子孫たちに対する同情が高まり、それに対してアメリカが融和政策の1つとして無価値になった島をハイチに引き渡し、現在では残忍に鎮圧された逃亡奴隷の子孫たちを忘れないためとしてマルーン島に改名したんです。
やはり、リベリアの影響力は強いのでしょうか?
私の国では親リベリア系政党であるハイチ真正ホイッグ党が政権に居座り続けており、親リベリア政策は強まる一方です。いくらリベリアがハイチに大規模な援助をしてくれているといっても限度があるはずです。それなのに…ハイチ真正ホイッグ党はシウダー-トルヒーヨからの脅威から国家を守るためには同じ黒人国家であるリベリアとの連帯が必要だと繰り返しますが、今の彼らに一体どれだけの力があるのでしょうか?報道で見ただけですが、彼らの小銃は今日、展示してあるものと全く変わっていないんです。小銃の更新すらできない彼らが脅威だというのはあまり信じられません。それよりも、問題なのはハイチ真正ホイッグ党自身でしょうに。
それはどういうことでしょうか?
とにかく、悪質な噂が多いんです。ハイチ真正ホイッグ党支持者からは一笑に付されたり、激怒されたり、あからさまに狂人扱いされたりしますが。
それは…どのようなことですか?例えば、違法なものとか
ああ、そういうものも、ありますね。何でもリベリアの諜報機関と組んで違法な薬物を売買しているとか、勿論私だってハイチ人ですから真実とは思いたくないですが、火のない所に煙は立たぬ、というでしょう?
そう言ってエティエンヌ氏は困った顔をした。彼女にとっては現政権の愚痴のようなものだったかもしれないが、『私』は最後にとても大きな衝撃を受けることになったのだった。
ドミニカについては、そのうちに触れられたらいいと思いますがいつになることやら…




