魔女の城 4
弓を肩にかけ、背中には換えの矢。身動きの取りやすい狩人向けに仕立てたコートをはおり、腰には簡易食料などの常備品、それに短剣を携えた。
そしてラゼルは、居間に揃った家族を見渡す。
父のアデレン。祖父に、二人の弟。そして母のランメーディ。
「ラゼル……」
ランメーディはラゼルの前まで駆け寄り、しかし固まってしまった。戸惑い顔で息子を見つめ、ラゼルは小柄な母を見下ろし、目を伏せる。
本当は笑って、必ず帰ると言いたかった。でも、レディナのこともあって言うべきではないと感じていた。
ラゼルは微かな笑みだけ浮かべ、けれども真剣な面持ちで静かに言葉をつむいだ。
「行ってきます」
ラゼルは玄関を抜け、外に出た。するとそこに、父より少し若いくらいの男が立っていた。村長の息子のアーディス。魔女の城への案内役として村長が立てた者だった。
「行こうか」
アーディスは組んでいた腕を解いて、ラゼルを促すように横に並んで歩き出す。それは見張り役でもあった。
しばらく木々に囲まれた道を行き、すると人の姿を見つけた。道が広くなったところに村の者が集まり、ラゼルの登場に気づくと皆の注目がここに集まった。
ラゼルは群集を一通り眺めた。皆、ラゼルの顔なじみだった。幼いころから連れ添うようにはしゃいだ仲間も顔をそろえていた。
そして、村長ナジスの姿も。
「来たか。行くぞ」
ナジスは急かすように言う。それに、周りは直ぐに反論した。
「ま、待ってください」
ガイルだった。赤毛を揺らしてこちらに走ってくる。
「こういったものはあっさり済ませれば良いんだ。別れを惜しんでどうなる。こんなに集まりおって」
「渡したいものがあるんです」
「ならん」
全く、いかなる時も冷たい態度を崩さない頑固な爺さんだと、ラゼルは素直にあきれた。
それで、ラゼルの方からその場に出向く。ガイルは近寄ったラゼルに、持っていた包みを差し出した。
「これ、皆から。俺ん家の裏の木苺を取って詰め込んだんだ」
差し出す彼の後ろに立つ幼馴染も、皆ラゼルを見つめていた。そうなるとラゼルには断れない。包みを手に取った。
「ありがとな」
ラゼルは、自然と顔がにんまりするのを抑えられなかった。嬉しかった。
それがいけなかったのか、仲間達はいっせいに揃ってすすり泣いた。
「大丈夫だって。泣くなよ」
そうしていると、ナジスが仰々しくため息をついた。
「ならんと言うのに……」
ラゼルはすぐに「じゃあな」と言って友人達と別れ、不機嫌そうな爺の元まで駆け寄った。
「すみません、村長。でも皆だって……」
「言い訳は聞かん。直ぐにも行ってくれ。ほら」
そう言って、ナジスは真っ白な巾着袋を差し出した。
「魔女に渡す宝石ですね」
その問いに無反応の老人からラゼルは袋を受け取った。仲間から受け取ったものと一緒に腰のベルトにくくりつける。
最後に、集まったもの全員の顔を見渡した。その中にレディナを探したが、見つからなかった。最後に見た姿が泣き去るものと言うのも、なんだか寂しい。
「行ってきます」
真顔で挨拶して、アーディスの横について歩き出した。
きっと、皆、ラゼルは死にに行くとしか思えないのだろう。後ろからは、泣く声しか聞こえなかった。
「本当にこの道が魔女の城に通じてるの?」
しばらく、腰まで草の生えた道と呼べない道を歩いていたが、そこでラゼルは不審を抱き始めた。とても見慣れた風景だったから。
この獣道をまっすぐ行くのであれば、じきに巨大な岩にぶち当たるはずだ。そもそも、これまでいくら探しても見つからなかった魔女の城が、徒歩で行ける場所にあるというのもラゼルには不思議だった。
「この日だけ特別に道が開く」
短剣を持って道を分け入っていくアーディスが振り返って言った。淡々と静かな雰囲気はナジスにそっくりだった。
「魔女は魔法が使えるからな」
「ああ、なるほど」
しばらく、ささ、ささ、と草道を進む音が響く。
「五年前のコールも、こうやって連れてったんですよね」
「いや、あいつは道の途中で気絶してしまって大変だった。背負って歩いたのを覚えてる」
「はは。軟弱なあいつらしいなぁ」
ラゼルはそう笑ったが、そのコールももういないのだろうと思うと、むなしくなった。
「こんな話、今しても仕方ないな」
もう直ぐ自分も消えるかもしれないと言う思いが浮かび上がってしまう。このラゼルのぼやきに、アーディスは無言だった。
そんな会話をするうちにも、魔女の城は近づいていた。
「着いたぞ」
アーディスが口にした。回りがまだうっそうと茂る森の中だったので、ラゼルは思わず「え?」と問いただしてしまう。
「見れば分かる」
言われるままに、ラゼルはアーディスの傍まで歩いた。そしてその先を見る。
城は、丘の上に建っていた。
ちょうどラゼルの立つあたりで森はぷっつりと途絶え、そこから白い道が伸びている。急な斜面を這う道の先に城はあった。
四角い形をした建物には幾本もの棟が立ち、その中央には碧玉色の大きな屋根が見えた。遠くから見ると何の屋根だか分からない。大きく、普通の四辺ある三角屋根とは違い、八辺以上はありそうだった。
それはアスターに見せてもらった本の挿絵を思い起させた。本には、今住むこの地、ルンドブックに古くからある建築だと解説されていた。もちろん、王侯貴族の住まうための建築。ラゼルには本の中でしか見ることの無い物だった。
「これが、魔女の城?」
それは案外まともだった。もっとおどろおどろしい雰囲気が渦巻いているのかと思いきや、あたりは晴れ渡り、手前に伸びた道は広くて木々に日の光をさえぎられることが無い。さっきまで通ってきた道のほうがずっと陰湿と言えた。
「俺が来れるのはここまでだ。まあ、案内役だからな」
アーディスが言った。ラゼルは、ああ、そうか、と相槌を打ち、城に続く道に一歩踏み出した。そして、振り返る。
「ありがとうございます」
お礼を言われたアーディス当人は、キョトンとする。やっぱり変だったか、とラゼルは思った。
「俺は何人かここまで案内したけど、礼なんて言われたの初めてだ。よくそんな余裕あるな」
「余裕、か……」
自分はこれから魔女と対決する。だからこそ浮かぶものだろう、とラゼルは思った。
「持っていないと負けるんです」
他人にこの言葉の意味を伝えようとは思わない。ただそっと、心の中にある決意を固めるために口にしただけだった。魔女に勝つために、あせることだけは禁物だと、そう思うからこそ。
振り返ろうとは思わない。余計なことは考えないと心に誓っていたからだ。走るぐらいに速く、白い丘を登って行くのも、同じ目的のため。
ラゼルは、神妙になりながらも、錠のはずされていた門を抜ける。
扉の前に立ち手をかけようとすると、その前に自然に開くのには驚いたが、ここの主人が魔女であることを思えば何も不思議ではない。
もったいぶりながら開くドアを途中から押しやり、ラゼルは屋敷の中に踏み入った。