魔女の城 2
さっき、村長の家に入ったのは真昼だったのに、今はすでに日も落ちかけてあたりは赤く染まろうとしていた。冬がすぐそこまで来ている証拠だろう。
ラゼルは扉を閉じ、家のある方向に足を向けた。
城に向かうのは明日、それまでに準備をしなければならない。まずは武器。食料に、この季節だから厚手のマントもいるだろうと、村長は言った。
準備は万全にしたほうが良い。良く考えれば、これは魔女を倒す恰好のチャンス。
「ラゼル」
何を用意しようかと考えながら歩いていたラゼルの視界に、ふとレディナの姿が入ってきた。彼女は畑ばかりのこの道の真ん中にただ何もせずに立ち、ラゼルを真正面に見つめてくる。
「レディナ。どうしたの?」
嫌な予感がしながらも、笑って声をかける。
「何明るそうに言うのよ」
「レディナ……」
やはり、と思ってラゼルは苦笑する。レディナの声は例によってまた泣きそうだった。
「行くんでしょ、魔女の城に。行くんでしょ?」
「そりゃね。仕方ないよ、村の決まりだから」
「行かないって言ったじゃない!」
レディナは涙を流しながら声を張り上げた。
正直、ため息が出る。
「無茶言うなよ。決まりなんだから」
「何よ。決まりって。選ばれたのがラゼルじゃなかったら、そんなの無視しろとか言って止めるんでしょう? あんたのことだから!」
このレディナの言葉にはむっと来た。まるで、反抗ばかりで考えが無いとでも言っているようで。
「うるさいな! 馬鹿にするな。俺はそんな無責任なことは言わない!」
「無責任?」
「お前だって分かるだろ? 村は、魔女の要求を呑むしかないって事」
「でも……」
レディナは流した涙をぬぐう。
「ラゼルに会えなくなるのは、嫌」
ぐすん、と鼻をすすりながら子供っぽく泣くレディナは、小さく、可愛く見えた。彼女を見ていると、ラゼルはこう言うしかなくなってしまう。嘘かもしれない、けれど。
「俺は必ず帰るから」
「帰れた人なんていないのよ!」
「前例が無いだけだよ。それに、逃げ帰るつもりも無い。村に迷惑がかかるだけだろうし」
「じゃあ、魔女を倒してくるの?」
ラゼルは頷く。
「そうするつもり。それが最良だと思うから」
キョトンと見上げるレディナ。彼女は時々しゃくりあげながらも、さっきまで泣いていたことはさっぱり忘れラゼルを見つめていた。
と思ったら、急に顔を険しくする。
ぱん!
次の瞬間、ラゼルの左ほほに衝撃があった。ぱん、と頭に響く音。レディナの手がラゼルを叩いて生まれた音だった。
「え?」
ラゼルには分からなかった。何故叩かれたのか、何故レディナは怒っているのか、考えようとする前に、彼女は口を開いた。
「あんた一人が魔女に敵うわけないでしょ! 私だって知ってる。昔何十人と行っても駄目だったんでしょ? 倒すなんて馬鹿なこと言わないでよ!」
「レディナ……」
「もういい、もう何も言わないで。あんたなんか帰ってこなくて良い! ラゼルがこんな馬鹿だとは、思わなかった!」
レディナは捲くし立てて言うと、きびすを返し走り去った。
じんわりと痛むほほに手を当て、ラゼルはレディナを見送る。微かな泣き声を残しながら走るその姿を見るうちに、思った。
――レディナ、混乱してる。
行かないでほしいと願うレディナ。けれど彼女も、魔女に従わなければならないことは分かっているんだろう。逆らえばどんな恐ろしい目にあうのかも、想像が付いているはず。
願い通りに行かない現実に煮え切らない思いでいる。そこに、叶いもしそうにない「魔女を倒す」とのラゼルの言葉。彼女の混乱もひとしおだったろう。
レディナを安心させようと言った言葉は、完全に裏目に出ていた。
『あんた一人が魔女に敵うわけないでしょ!』
確かに、その通り。倒すと言い張るのは、ほんの少しの可能性を信じ込んでいるからであって、冷静に考えれば得体の知れない敵を倒すのは無茶な話。
狩だってそう。その獣の行動パターンが分かっているから、罠を張れるし、追い込める。急所が分かっているから、矢でしとめることが出来る。
魔女は、人間かどうか、いや生き物かどうかすらも分からない存在だ。彼女の魔術もまた、ラゼルはまるで知らない。
何てことだろう。自分はまるっきり、魔女を倒すための手筈など打っていなかった。
――俺も、混乱してる。
ラゼルは、「魔女を倒す」と言う決意の裏に隠れた恐怖に怯える自分を、はっきりと確認してしまった。それでも、倒さなくちゃならないと訴え続ける自分もいるし、何をするにももう遅いと嘆く自分もいる。ここに残っていれば立派な抗議になるのだと伸びやかに訴える自分もいれば、村のためにそれは出来ないと反論する自分もいる。
頭の中がぐちゃぐちゃだ。
すべての憂さを晴らしたくて、叫びたくなるのを、視界を閉じることで堪える。
目頭に力をこめるそのときに出だされた結論、それは、『自分には何も出来ない』だった。