魔女の城 1
初めて魔女の存在を知ったのは五つのときだった。祭りの夜、突然現れたプラチナブロンドの魔女を目の当たりにしたとき、ラゼルは訳もわからず呆然と口をあけていた。
その後、持ち前の好奇心で魔女について聞いて回った。
魔女は北の森に城を構えて住んでいるということ。五年に一度、村から男を一人城につれてくるよう要求していること。そこから帰ってきた者は誰もいない、ということ。
そして、聞きまわる最後に見たのは、連れていかれた男の妻のやつれた顔。幼いラゼルでも、彼女に魔女について聞くのはためらった。彼女は、今でこそ笑う顔を見せているが、この時はもう一生笑わないのかと思わせるほど表情が乏しかった。
それからまた、五年後。
その年魔女に選ばれたのは、コールという名の、ラゼルの良く知っていた男だった。体が弱く、仕事も長く続かないためしょっちゅう教会に休みに来ていた。ラゼルもしょっちゅう仲間を引き連れてアスターのいる教会に遊びに来ていたので、そこで出くわしてよく話をしていたのだ。
「この子にするわ」
良く知った人、だったからだろうか。魔女がこう言ったとき、ラゼルの頭にかーっと血が上った。すぐにでもあの魔女を止めなければ、そう思ったときには魔女に向かって石を投げていた。
その時石は魔女に命中したが、しかしそれは彼女の体をすり抜け地面に落ちた。
「まだこんなことする子がいたのね」
魔女は、そうは言ったが、それ以上何かすることは無かった。よろしくとだけ言って姿を消した。
この時、村に来るときの魔女は幻なのだと身をもって知ったのだ。きっと、彼女の城に行けばその実態があるのだろうと、そうも思った。
その後、コールは魔女の城に行くことになった。有無は言わせない。村の誰もが当然のこととしてコールを送り出していた。
それがなおさら、ラゼルには釈然としなかった。
「どうして止めないんですか?」
見送りに集まった村の人々。そこから、その時すでに村長であったナジスが帰ろうとする所をさえぎり、ラゼルはこう切り出した。
「帰れる保証はない、死ぬかもしれないんだろ? あの城に行ったら。どうしてあいつの言いなりになってるんですか? あいつに、あの魔女に!」
そうラゼルが言ったらば、ナジスはため息をついてからこう言った。
「ラゼル、我々に対抗する力は無いのだよ」
「力が無い? それで魔女の好きなようにさせてるんですか! おかしいよ。力が無ければ付ければいいじゃんか! 魔女に対抗できるくらいの。そしたら、魔女は何も言ってこない!」
興奮して涙が出ていた。それすらも悔しくて、ラゼルは唇をかみ締めていた。
「付けた所で無駄なのだ。魔女には敵わない」
さらりと言ってのけるナジス。その言葉にラゼルは腹を立てた。
「大して努力もしてないのに? わかったよ。俺が倒すよ。文句無いだろ!」
そう言ったとたん、あたりが騒然となった。ラゼルのその言葉はいさめたほうが良いと思ってのことだろう、そこから父のアデレンが真っ先に飛び出してきた。
「ラゼル! 今魔女がいようがこうして幸せに暮らしてるじゃないか。馬鹿なことを言うんじゃない!」
押さえつけようとする父を、ラゼルはまっすぐに見つめた。
「父さんは悔しくないのか? 魔女は宝石も寄越せって言うんだよ。それを買うために倹約だってしなくちゃならない。貧しい思いだってする。でも魔女は、城で悠々と暮らしてるんだろう?」
言って、父の手をラゼルは跳ね除けた。
「確かに今は無理かもしれない。だけどいつか力を付けて城に行く。それで、魔女を倒す!」
それは、周りからは、やけになって言った風に聞こえただろう。その後、ひたすら泣きじゃくっていたけれど。
決意は確かだった。漠然とはしていたいけれど。
村人を一人でも苦しめる魔女を許せないという感情だけは、決して消えることはないと、ラゼル自身思っている。今でも。
+ + + + + +
重く閉じていたまぶたをそっと開く。
斜めからやわらかく射してくる晩秋の日の光は、心を穏やかにさせてくれる。不思議と、過去の、あの時の事を思い起こしても落ち着いていた。
きっと、暗い所だったなら、魔女への怒りばかりになってしまうだろうに。
かちゃ、と音を立てて扉が開いた。ラゼルが背にしている壁についていた扉。村長ナジスの家の扉だった。
「まあまあ、いらっしゃい。こちらへどうぞ」
村長の妻である老婆の導きに従って、ラゼルは家の中に入った。
入ってすぐは居間。村長の家であっても、間取りは他の家と変わりない。正面には円卓があり、そこを長椅子二つが囲っていた。その椅子にはナジスが座っている。
「そこへ座ってね」
村長の妻に促され、ラゼルはナジスの正面に座った。
堅物の老人はそれでも喋ろうとせず口をへの字に曲げていた。老婆が、じゃあ私はここで、と言って奥の部屋に入ってしまう。二人っきりになって余計、重苦しい緊張がまとわり付いた。
「ラゼル」
ナジスが低い声を唸らせて言った。
「これから魔女の城にまで行く手順を教えるわけだが。わかっているだろうな。くれぐれも、魔女に逆らうな」
彼がこう言うのは、ラゼルももう良く分かっていた。それが村の体制であったから。
「分かってます」
「それと、毎回魔女の要求は違うが、今回は武器を持って来いと言うことだ。好きに選んで持って行って良いだろう。だが、これはお前もその場にいるから分かっているだろうが。魔女を倒す為のものじゃない」
わざわざ自分を殺して欲しくてそう言う者は、いないだろう。
「それはもう、当然」
「分かってるんだな」
ラゼルは頷く。ナジスとは目を合わせないように。
すると、ナジスの方がため息をついた。
「聞く耳もたん、と言った風に見えるがな」
その通りだよ。そう思いながらも、ラゼルは無言を通す。
「どうだ。五年前から考えは変化無いか?」
ナジスが問うた。
少し驚いてラゼルはナジスにちゃんと顔を合わせる。彼が人に質問するなど、あまり無いことだった。
「いいえ。あります」
ナジスの目を見すえる。
ラゼルがこの五年で知ったこと。たとえば、ナジスが若い時のこと。
その頃に魔女が村近くの森に城を構え、若い男を要求し始めたのだと言う。
当時の村人も黙ってはおらず、魔女を追い払おうと城まで戦いを挑みに行った。しかし、数十人もの死者を出し、生き残ったほんの数人だけ命からがら逃げ帰ってきた。ナジスもその中の一人だったという話だった。
「いつまでも子供じゃありませんし、不可能なこともあるのだと、諦めるべきものもあるのだと、ちゃんと分かっています」
そう、そうして村は魔女のいない元の生活を取り戻すのを諦めた。魔女に支配されている、その恐怖に耐える道を選んだのだ。そして、耐える中にある平穏な生活を望んだ。
父アデレンの言うとおり、他の誰もが言うとおり、この村は魔女の要求にさえ耐えれば幸せなのだ。宝石のために貧しい思いをしたって、幸せなのだ。
「魔女に従うのが一番だと言うのも今はわかってます。逆らって怒らせでもすれば、この村が攻撃されかねないですし。でも……」
でも、それと魔女に対する怒りがぬぐえるかどうかは別問題。魔女さえいなければ、愛する人を奪われ悲しむ人はいなかった。誰も魔女に怯えることなく、村はもっと幸せだったのに。
「一見不可能に思えることにも、可能はあるのだと思います」
ラゼルの答えに、ナジスは目を伏せた。
「あまり、変わりないようだな」
「決意は変わりませんから」
――どうあろうと変わりません。魔女を倒します。
ラゼルは心中でそうつぶやいた。自分自身に良い聞かせるため、変わらぬ決意をさらに固めるために。
「わかった。可能なことだけをやるなら良いだろう」
ラゼルはハッとする。ナジスが自分の意見に賛同した、一瞬そう思った。
「しかし、誰かが不可能と言ったものはその時点で不可能だ。冷静になって考えてみろ。少しでも可能性があったとしても、危険が伴う事ならば現実的に不可能なのだ」
これを聞いて、ナジスの言葉に舞い上がろうとしていたラゼルは幻滅した。つまりそう、彼は、魔女には何もするなと言っている。
「村長!」
思わず立ち上がっていた。どうして分かってくれないんだと、そう訴えたくて。
確かに村長としては、村を思って慎重にならざるえない。けれど内心では倒してほしいんじゃないかと、そう思ったから余計もどかしかった。
「ラゼル。私は冷静に考えろと言ったのだ。村のためを思うなら、今すべきことは何なのか、お前なら分かるはずだ」
その瞬間、ラゼルは言葉を詰まらせた。何も反論できない。
至極分かったのだ。ナジスがラゼルに言わせようとしている答えが、魔女に従う、それひとつだと言うことが良く分かった。
言いたくない。その言葉を、口に出して言いたくなんかない。絶対に。
「座れ。これから城に行くまでの手順を教える」