魔女との対峙 4
「誰か来たわね」
魔女が呟くのを聞き、ラゼルははっと顔を上げた。
彼女の目の先にあったのは、巨大な窓。その向こうには庭園。
その庭園に、いくつかの人影があった。良く見れば、それは見知った顔ばかりで驚愕する。
アーディス、アスター、ガイル、ステイ、それに、父に、レディナ。
さーっと血の気が引くのを感じた。自分は今さっき、とんでもないことをしたばかりなのだ。
「あ、あいつらは……」
魔女の顔を見上げれば、何の表情も見せずに、彼らが庭園を横切っていくのを見つめていた。
何を考えているのだろうか。答えは分からず、焦る。
「あいつらには何もしないでくれ!」
ラゼルは立ち上がり、声を荒げた。
「悪いのは俺一人であって、あいつらは、何もして無いから」
それでも、魔女は反応を示さず、ただ窓のほうを向くだけ。
思い余って、ラゼルは魔女の肩を掴んで揺すった。
「お願いだから!」
すると、魔女は目を丸くしてこちらを向いた。意外にも素っ頓狂な顔で、拍子抜けする。
「そうね。今まで私がしたことを思えば、貴方が取った行動も、言う事も、妥当なことよね。私は、力で貴方達を脅したんだから」
何かを納得したように、魔女は呟く。彼女は思い通りにいかないとすぐ怒るような、それだけの人ではなかった。
「貴方のために来てくれたんでしょ」
そう言って、魔女がにこりと笑うので、こちらが驚く破目になってしまった。
「使いを遣って、彼らをホールに導くようにしたわ。貴方はすぐホールに行って、そこで待っていなさい」
そう魔女が言えば、部屋の扉が開いた。
ラゼルはその扉と魔女とを交互に見ては「え?」と戸惑いの声を漏らす。
「貴方を村に返すと言っているの。早く行きなさい」
「え、えぇ?」
急に手のひらを返されたようで、驚きと同時に、気味の悪さを覚える。
「お、怒らないのか? だって、俺は今さっき、とんでもないことを……」
「目が覚めただけよ。そう、やっと目が覚めた。自分が憎まれるのは当然だってことが、やっと分かった」
ラゼルは、魔女が何を言い出すのかと思い、顔をしかめる。憎まれるのがやっと分かったって、本気で言っているのだろうか。
「自分がやってきた事がどんなことか、分かって無かったのか?」
「まさか。それで人は苦しむものと分かってやっていたわ。その苦しみを見て喜ぶのが魔女。その幻想に、私は囚われていたのね。正直、空しいだけだった」
――空しい? あれだけのことをやって、何の利も無かったのか?
ラゼルの胸に憤りがこみ上がる。しかし、同時に呆れてしまい、何か言いかけた口はぱくぱくと宙を噛むだけ。
「怒りたければ怒って良いのよ。貴方は私を許せない訳でしょう? 貴方達には怒る権利があるけど、私には無いから」
「いや、怒るとか怒らないじゃなくて……。どうして急に村に返すって?」
自分が悪いと言う様な魔女の口ぶりが、ラゼルには信じられなかった。彼女の心変わりなのか、それとも本性なのか。
「前に貴方、私が身も心も魔女だと言ったわよね」
大穴で、コールの前で言った台詞だ。だからコールを救えなかったのだと、確かにそう言った。
「その通りだと思った。だから苛立ちを覚えて、怒るしかできなかった。身も心も魔女。まさに、その通り」
魔女の緑色の瞳に陰りが出来た。
自然と、怒りは生まれなかった。同情も苛立ちも覚えず、ただ、一つの問いかけが頭に浮かんだ。
「あんたは、魔女の自分が嫌いなのか?」
ラゼルは、思った通りに口に出す。これは、以前から肌で感じていたこと。彼女は、自分が恐れられる魔女と言う存在であることに、胸を痛めていた。
彼女は、自らの力すら疎ましかったのかも知れない。だから力の使い方も考えられなかったのだろうか。
「またしても言われたわね。意外に、貴方って的確に物を言う」
魔女の瞳に、再び光が戻った。その時の彼女は笑ってさえいた。ラゼルには、どうして笑うのかが分からなかった。嬉しいのだろうか。だがどうして。
「早く行きなさい。彼らがもうすぐホールに着くわ」
魔女の顔を覗き込んでいる内に、ラゼルの前に一体の《影》が現れた。《影》はラゼルの肩を押して、部屋の外に追いやる。
「わかった、行くから押すな」
ラゼルは駆ける様にして、廊下まで出た。そこで部屋の方を振り返れば、扉は閉まりかける最中。その隙間に、魔女の笑顔が見えた。
そして彼女は呟く。その声はラゼルの耳に微かに届いた。
「そう、私は、こんな魔女になどなりたくなかった」
自分のほうこそ、身勝手で、どうしようもない我儘だったのかもしれない。
村の為にと大儀を背負って、この女を殺そうとした。だが、一人の人間の命を奪って、その上に築かれる幸せとは何だろうか。
『ねぇ、貴方に分かる? 訳も無く恐れられる私の気持ち。どれだけ悲しいと思う? どれだけ悔しいと思う?』
彼女は魔女で、永遠の若さと魔法の力を持ち、そして人の心があった。魔女と恐れられることに苛立ち、そのために村を脅かした。
自分もまた、魔女に支配されることに苛立ち、その魔女を消すことで救われようとしていた。
同じだった。
自分も、魔女と変わらない。身勝手で、どうしようもない我儘だった。