影追い 4
魔女は椅子から立ち上がり、ラゼルの前まで来ると「退いて」と言った。
この部屋の床は違う場所へ通じる入り口になっている様だ。始めに地下迷宮に落とされた時と同じ。ラゼルが退き、魔女がそこに手をかざすと、幾何学模様を描いた茶色の床は姿を消した。見えたのは、闇のように黒ずんだ壁に、階段。
「この下よ」
魔女は、いつの間にか燭台を手にし、階段を降り始めた。カツンカツンと、彼女の鳴らす靴音が、階段の奥の闇へと木霊する。
「歩くんだ。あなたも」
「え?」
「村に来た時は地面に足をつけるなんて事、しなかったじゃないか」
この質問に、魔女は答えなかった。無言で、ただ闇の中に足音を響かせ、階段を下る。ラゼルもそれに続いた。
しばらく、沈黙だけが二人の間にあった。それもそう、ラゼルは魔女と楽しく会話などしたくもないし、彼女から話しかけなければ、たぶん、何も無いだろう。と思っていたのに、また口を開いたのは自分自身だった。
「コールは、この城にどれくらいいたの?」
コールについて知りたかった。魔女は、それに無言の返答をする。
「コールは……」
いつ、どうして死んだのか。問いたかったが、やめる。彼女が先ほどの質問に答えたくないのだから、これ以上は何も聞かない方が良い。また機嫌を損ねさせるような愚かなことはしたくない。
そう思っていた矢先に、魔女の口が開かれた。
「コールは、貴方がここに来る一月前まで、ここに、生きていた」
一つ一つの言葉に重みを付け、魔女は語る。口にするのがつらいみたいに。
「優しい人だった。いつも朗らかで、自信なさげな笑顔で」
ラゼルの頭にコールの顔が浮かんだ。確かにいつも彼は自信が無いようだった。四つも年下のラゼルに向かって「お前すごいよ」と、いつもそんな風に褒めて、それに比べて自分は不甲斐無いと言って。その姿勢を卑屈だとは思ったけれど、嫌味には感じなかった。彼はいつも笑っていた。
「そんな所に篭っているのは、体に毒だとか言うの。魔女に向かって。それで、コールは庭に花を植えたらどうかって言うの。私がうんと言わないと、自分から影に頼んで、どんどん庭を自分の好きなように変えていって。花が咲く頃になると、気分は変わったか、て笑うの。馬鹿みたいに……」
魔女は、一語一語を搾り出すように語った。その時のことを思い起しては、噛み締めている様だった。
そして、どこか嬉しげだった。そして、どこか悲しげだった。
魔女はコールを殺したのか? いや、違うとラゼルは思う。切々と語る言葉の裏に、人間の女の感情を見た。彼女は、コールの死を嘆いていた。
「着いたわ」
永遠と続くようだった、階段ばかりの細い通路の出口だった。その先は明るい。
魔女が先に出る。ラゼルもその後を追って出れば、見覚えのある光景に出遭った。あの地下迷宮にあった大穴。いつの間にか日は傾いて、八角形の大穴の壁は、夕日で真っ赤に染まっていた。
ここは、その大穴の底。埋め尽くすように生えた草を、さわさわと音を立てて割りながら、魔女は歩いて行く。広場の中央に向かって。
そこにあるものをラゼルは一度見ている。水晶のような、白い色を残した半透明の塊。上から見下ろしたあの時、その中に人の影が見えた。
「それが、コール?」
横たわった水晶の傍に立った魔女に聞いた。彼女はこくんと頷き、そっと水晶に手を置く。
ラゼルも水晶の傍に寄った。
近くで見れば、そこに寝ていたのは間違いなくコール。最後に会った日から五年経っているけれど、まるで変わっていない彼の顔はすぐに分かった。しかし、これは魔女の魔法だろうか、まるで生きているかのように瑞々しい。
「コール。本当に、死んでいるの?」
生きていたら良いのに。その問いに魔女は首を振った。
「死んでいる」
魔女は目を、コールに向かって落とす。
「どうして?」
ラゼルは聞いた。どうしてコールが死ななきゃならないんだ。そんな思いも込めて。
魔女は、事故だったと答えた。階段から落ちたのだと。その時、床には彼の血が広がっていたと。
「その時は、頭が真っ白になった。どうして、私は、沢山の魔物を従えながら、私の城の中で、彼を、死なせてしまったのか。どうして、私は、彼から流れ出る血も止めることができなくて。ただ、呆然とするばかりで」
魔女はコールを大切に思っていた。それは言葉の端々から感じ取ることが出来た。コールはどうだったか分からない。けれど魔女は、人としての感情を彼に向けていた。
そして、また分からなくなる。魔女はその時、村のことを忘れてしまったのだろうか。村が、魔女のために苦労を強いられること。それに、ポロを地下迷宮に落としていたことは? そのまま悲惨な最期を遂げた彼のことはどうなるのか。
「どうして、こんなにも色々な魔法が使えるって言うのに。私は、人一人救う力も無かったのか……」
非力を嘆くのは勝手だ。別に誰の迷惑にもならない。
迷惑なのは、自分が強いと思い込んで、持てる力を振り回す行為。彼女はそれをした上で、忘れている。
「それは、あんたが、身も心も魔女だから。誰かを救うなんて無理だ」
何故こんなことを言ってしまったのかと思い、ラゼルは口を真一文字に閉じる。
魔女の、少しばかり驚いた顔がこちらに向いた。怖くなって目を背ける。けれど、何も言わずにはいられなかった。
「あんたは今日、国を創り治めた魔王の話をした。良い政治をしたんだってね。魔法だって、使い方次第だとその時思った。だから、コールを救えたはず。だけど、あんたには無理だった。力の使い方すら考えていなかった」
どうして考えない? コールを救えなかったと嘆くのに、どうして村もポロもおざなりにする? 力の使い方。始めからそれを考えてくれていれば、何の悲劇も起こらなかった。
「どうして、考えてくれなかった? あんたの振舞い一つで、何もかも変わるだろうに」
また目を向ければ、魔女はこちらを向いてはいなかった。じっと、横たわるコールに目を落としている。
ほんの少し口ごたえすれば怒り出すような彼女だ。今回もそうかと思っていたのに。少女の口は、ぽつぽつと、儚げに言葉を紡ぐ。
「何もかも、変わる。私は、それだけの力を持っている……」
すると、魔女はこちらを向いた。キッとラゼルを睨みつける。
「でも、私は所詮は魔女。人々は、魔女と言うだけで恐れ、嫌い、何か仕出かすものだと思い込む。ねぇ、貴方に分かる? 訳も無く恐れられる私の気持ち。どれだけ悲しいと思う? どれだけ悔しいと思う?」
話し続けるうち、少女の目は赤くなり、涙を零し始める。
なぜ泣く? 長年培ってきた魔女のイメージが崩れてゆく。ただの可哀想な少女にしか見えなくなってゆく。
「だから貴方達の期待通りに振舞っているんでしょう? それで何が不満なの?」
何が不満なの? この問いに首を振ろうとして、そう出来ない自分に気づく。
何の不満も無かった。彼女が魔女であり、村人を脅かすことに。恐るべき魔女がいるならば排除すれば良いと、勝手に考えていた。
魔女も勝手なら、自分も勝手だった。
「ごめん」
視線を落とし、ラゼルは呟く。それは、謝らなくてはならないと思って出た言葉だった。悲劇を引き起こしたのは、魔女なのだろうか、村なのだろうか。分からないけれど、とりあえず謝らなくては、と。
「何故謝るの?」
魔女の問いに、ラゼルは答えられなかった。何故謝るのか、自分でも分からない。分かりたくない。きっとそれは、自分の都合でしかないだろうから。
「行きましょう。私も貴方も、今日はおかしいみたい」
魔女がそう言った時、夕焼けは陰りを見せ、空には星が一つ瞬いていた。