影追い 1
城の中にいる分には好きにして良いとの魔女のお達しを存分に利用し、ラゼルは城内探索に興じることにしていた。
もとより、剣の訓練はまださせて貰えそうになく、稽古をつける影もまずは体力づくりと話していた。広い城内を駆けずり回るのは良い運動になるだろう。
しかし、城の中はそれほど面白いものではなかった。
代わり映えのしない廊下に、扉に、部屋。部屋は、客室や小間使い用の部屋、応接室や食堂、厨房、洗濯室に作業室にリネン室と、色々あったが、どれも似たような様式の部屋。それに、使われている形跡がまるでなく、寂しいものだった。
この城で唯一使われているであろう魔女の部屋は、当然のように入室禁止だったし。
田舎育ちのラゼルにとって、初めこそ、見たことの無い大屋敷を楽しんだものの、二日も探索すれば飽きが来た。
探索は、今では走るためだけの物になってしまっていた。
ちょっと休憩しようと、ラゼルは中庭に出た。喉が渇いてきたので、ラゼルは中庭にいた《影》に目配せした。すると《影》は「何かご用ですか?」と問いかける。
「ちょっと。水をくれないかな」
「かしこまりました」
普段話しかけても必ず無視を通すのに、こちらが頼みたいことがあるときだけは口を開く前に「何か」と聞いてくる。何となく、こっちの心を読んでいるんじゃないかと思えて、魔女の恐ろしさをそこにも感じる。
ラゼルは中庭の中央まで歩き、そこにあった石の上に腰掛けた。
ここは結構お気に入りだった。
植木は、他の庭のもののようにしっかりとした手入れはされず、割合自由に枝葉を広げている。種類も固まっておらず、色々な種類のものが混在しているし、この植木に囲まれて置かれた彫像も面白い。
髭を蓄えたふくよかな男性を中心にし、五人の男女が一つのテーブルを囲って談議を交わしている。これが、どの人物も表情豊かで個性的。何かの物語を切り取って表した彫像のように見える。しかし、ラゼルの知識にはこれに適う話は無かった。
「それがお好きみたいですね」
コップを載せた盆を持って、さっきの《影》が戻って来た。
「何か、物語の一場面なのか? これ」
ラゼルは、コップを取って水を口に入れる。
「いいえ。物語ではなく、ルンドブックの成り立ち、歴史の一場面ですね」
「ルンドブックの成り立ち……?」
この土地、ルンドブック。ラゼルにとって、その歴史といえば、闇魔王が現れたところから始まる。各地を荒らしまわった闇魔王が、たった一人の男によって倒されたところから。
しかしそれは百年も前の話。それ以前にも様々な国があり、抗争もあったことは知っている。詳しく知らないだけ。
「一体、何をしているところなの?」
「聞きますか? 闇魔王の話しかまともに聞いた事のない貴方が?」
「え?」
ちょっと聞いてみようと思っただけなのに、急に皮肉を返され驚く。
「闇魔王が、どう関係する?」
「一番目立っている髭の男。彼は魔王です。周りの男女は、それぞれの思惑を胸に、彼に戦をけしかけにきた輩、といったところでしょうか」
「じゃあ、こいつは、闇魔王?」
またしても驚く。彫像の男は眉を寄せていたが、それを緩めれば柔和な顔であるように思わせる。それが、魔王?
「やはり貴方は闇魔王しか知らない。魔王は、これまでに数多く現れ、様々な形でルンドブックの歴史に関与しています。特に彫像の男は、名の知れた魔王の中でも最も有名だったというのに」
「魔王が闇魔王以外にもいるって事は知ってるけど……」
だけど、魔王はこんなにも柔和な、ありきたりな顔をしているのだろうか。
「闇魔王は確かに凶暴で、悪と呼べる存在でしたが。貴方は他の魔王もそうだと思っているでしょう」
図星。だが、他に魔王を知らないんだから当然だろう、とラゼルは拗ねる。口には出せなかったが。
「一応、教えてあげましょうか? 彼は、アグレイルの初代国王ですよ」
魔王が、国を治める。ラゼルには、それは恐怖政治でしかあり得ないように思うが、魔女の言いたいのはそれとは別だろう。
「さすが、魔法の国と言いたい所。しかし彼は、とても良い政治であったのに、とある一部の人間達によって国を追われることとなった、不遇の王です」
そう言った後、《影》はラゼルに口を挟む隙も与えず中庭から立ち去った。
一人中庭に残され、ラゼルはため息を吐いた。
魔女の言いたいことが分からなかった。
《影》は、ラゼルが闇魔王の話しか知らないと皮肉を言った。どうやら魔女は、それに腹を立てているみたいだった。
何がいけないのだろうか。こんな田舎者が、アグレイル国の初代国王なんて知らなくても、当然だろうに。彼の政治が良かったとか、国を追われる事になったとか、知らないからって怒られるのは理不尽じゃないか。
魔女は、その王を好いているみたいだった。だから買いかぶって、田舎者にまで知れ渡っていて当然だと思って、それで怒るのか。
――怒る……いや、嘆き?
それは、親が子の素行の悪さを嘆くように。
魔王も魔女も、誰かが絶たぬ限り永遠に生き永らえる。自らの姿形も自由に出来る彼らは、いつまでも若くいられる。
魔女はどれほどの時を生きてきたのだろうか。ここに来るまでの人生もあったと彼女は話していた。闇魔王が猛威を振るった時代にも生きていたのだろう。その時彼女は何をしていただろうか。それよりももっと、計り知れないほど大昔からいたのだろうか。この彫像の王とも面識があったかもしれない。
きっと、様々な物を見てきた上で、彼女は今の現実を嘆く。どうして嘆くのかは良く分からないが。