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冬の訪れ 5

 アスターの目に映った、この村の人間の印象は、驕ったことはせず、慎ましやかに暮らす姿。その印象は今でも変わらない。彼らは身を寄せ合い、魔女に支配された最低限の生活の中に、幸福を見出している。

 だからなのか、野心があったり、行動力旺盛な者は少なかった。


 この少年達もまた、そんな村人の血を強く受け継いでいるものと思っていた。すがった人が首を振れば、何もせずおとなしくするものかと思ったのに。




「本当に、始めたのか?」

「はい。ですから、ここにお名前、お願いしますね」

 アスターは、二つ返事で差し出された木の皮に署名した。薄茶色の木片には、すでに結構な人の名が記されていた。


「この羽ペンとインク壷、教会のものと良く似ているんだが」

 何のためらいも無く、ガイルは舌をぺろりと出す。その後ろの連中も苦笑いを浮かべた。

「紙は盗りませんでしたよ。やっぱ、貴重ですから」

「お前達……」

 大胆なことをしてくれる。あれだけ無駄だと言ったのに、彼らは納得しなかったらしい。それにしたって、盗みまで働いて独自に行動するなど、アスターの予想の範疇外だった。


「俺に任せろと言ったのに」

「でも司祭、署名してくれたじゃないですか。行く日が決まったら、俺達と一緒に城に行って、お願いしくれるんですよね」

「とりあえず、応援はする」

 その言葉の後には、暗に「無理だろうけど」と付け加えていた。わざとらしいため息をし、暗い顔を見せ付ける。けれども少年達は笑顔を崩さない。


「じゃあ、次回ってきます」

 そう言って、羽ペンも返さずに彼らは教会を後にする。

 まるでへこたれる事を知らない。木の皮にあれだけ名前を連ねる間に、そんなことをしても無駄だと言われなかったろうか。それでも諦めることをしない。


――なんだか、ラゼルに似てるな。




 アスターはしばらく、教会の扉を背にして、遠ざかるラゼルの親友達を見送った。

 教会内に戻ろうと扉に手をかけたとき、突然ガイルが足を止めて振り返る。あとの二人も、どうした、と後れて振り返った。


「アスター司祭!」

 ガイルは大声で手を振る。

「どうした?」

 ガイルは、上げていた手を口元に持ってきた。

「言い忘れてましたけど、俺ら、村のためとかそんな大きなことじゃなくて、ラゼルを救いたくてやってるんです。戻ってきて、また話が出来たら良いなってだけで。でも、ラゼルの名前って凄いですよ。それまで渋い顔してた人も、ラゼルって言っただけで、戻ってきてほしいって言って署名してくれるんです。あいつ、どれだけの人に好かれてんでしょうね」

 ガイルの声は弾んでいた。ラゼルの人気があると分かって、嬉しいかの様。


 彼らは、軽い足取りで道の奥へと消えた。

 アスターは思う。友人達は、ただラゼルが好きだから戻ってきて欲しいだけ。そんな彼らだからこそ見えないのだろうと。ラゼルの、村への想い。彼が魔女に怯えるこの村を変えるだろう、そんな希望を、その渋い顔をした人に抱かせていただろうことを。


――姿無くとも、村を変えるつもりなのだろうか。ラゼルは。

 目を閉じて、並の人間なら出来るはずもない事を、問いかけてみた。




 その後、ある人が訪ねてきてアスターを驚かせた。冬の間は閉じこもっていると思ったのに。

 彼女は、アスターと目を合わせづらい様で、俯き加減で話しかけてくる。


「あの、ごめんなさい。私、つまらない意地張って、わがまま言って」

 もじもじと指をいじくるレディナを見下ろし、アスターは笑顔を作った。

「大事な人が突然どこかに行っちゃったら、誰だってああなるものでしょ?」

「あ、あの、私……」

 少女はかぁっと赤くなり、さらに顔を俯かせた。その姿が可愛くてらしい。


「ラゼル、生きているでしょうか」

 顔の紅潮が引いた頃、レディナはアスターを見上げ、こう問うた。

「簡単に死ぬような奴とは思えないけどな。そんなに馬鹿でもない。何とかして命を繋いでるんじゃないかな」

「ですよね。魔女を倒して帰ってくるとか言った奴だもの。そんだけ図太い神経をした奴が若くして死ぬなんてありえない。きっと、頑固爺になって、家族に文句言われながら死ぬんでしょ。きっと」


 アスターは、ほう、と驚かせてもらった。今、両手を組み、ちょっと横に目をそらした少女は、思う人に対して容赦が無い。けれどその口は、安心したようにほころんでいた。

 こんな奴だからきっと大丈夫。そう言い聞かせ、自分を落ち着かせようと努める。彼女の気丈さを垣間見た。


「魔女を倒して帰ってくる。ラゼルは、それが村にとって最良だって考えてたんでしょうね。馬鹿だから、勝つか負けるかの二択しかないの、あいつ」

 そこまで言うと、レディナははっと何かに気づく。手を口に寄せ、眉をひそめてアスターを見上げた。


「無茶してないかしら」

 彼女の、不意に沸いた不安を払拭させようと、アスターは笑って首を振った。

「ああ見えて冷静な奴だよ」

「だけど……」


 するとまた、レディナは目を横にそらす。それから口にあった手をゆっくり下ろした。

 その姿が、どういうわけかラゼルと重なった。魔女の城に向かう前夜、そこに魔女がいるかのように、どこか一点を見つめていたあの姿に。


 レディナもまた、長椅子に座る、見えない何かを見つめている。その顔には表情が無かった。

「無茶をする前に、助けなきゃ」




 やはりレディナは、ガイルたちの話を聞いて外に出ようと決めたそうだ。ラゼルを救えるかもしれない、希望。それが彼女の内に生まれた。


「魔女、私達の願いを聞いてくれると良いですね」

 家に帰ると言って教会を出たその時に、レディナが言った。

「そうだね」


 今までが今までだったから分からないけど。そんな台詞を言葉に続けようとしたが、アスターは喉の奥に引っ込める。育とうとする希望を殺すのはためらわれた。


「始めに提案したのはアスター司祭なんですってね」

「ふと、思いついただけなんだけどね」

 照れ隠しに、頭を掻く。

「ありがとうございます」

 首を傾け、アスターの目を覗き込むようにしてレディナは微笑んだ。


 その笑顔に、アスターは不覚にも胸を弾ませた。少し憂いを含んだ、けれども心を強くもとうとする、大人びた微笑。相手を心配させまいと、真っ直ぐに瞳を貫く彼女の視線を受ければ、誰もがそうなるかもしれない。

 この子のためにも何とかしなければ。自分が、アスターのそんな気持ちを奮い立たせているとは、レディナは思いもしていないだろう。


「一緒に頑張ろう」

 そう言うと、レディナはほっと息をつき、さっきとは違う、子供っぽい笑みを返した。

「はい」



***



「村長。署名はだいぶ集まっているようです」

 アスターはナジスの家に上がり、お茶をごちそうになりながらこう言った。


「村の人々の話では、このままではいけないという声を良く聞きます。魔女の支配に怯えるのはおかしいと、はっきり魔女のことを口に出す者もいます。村長からも、何か行動を起こしていただけませんか。村人は貴方を待つしか出来ない」

「アスター」

 アスターの言葉を切るように、ナジスは言う。そうして、ため息をついた。

「お前はもう少し賢い男かと思ったが。所詮は余所者なのか」

「はい。私は無茶をする馬鹿な余所者です。だから、真の意味で、村のために行動することも考えることも、出来ない。ですが私は、貴方がどれほど村を愛しているのか知っています。はい、でも、いいえ、でも良い。貴方が何か言えば、皆それに従うでしょう」


 今度は間があった。しばらくしてからナジスの声が上がった。重く。絞り出すような声だった。

「村を愛している……。お前は、そう思うのか?」

「はい。違いますか?」


 ナジスは、困ったと言う風に短く息を吐き、唸る。

「私は、ただ、魔女が怖いのだよ」

「え?」


 村は、動かそうにも、簡単に動かすことは叶わない。


 他方で、ラゼルの友人達が、老婆たちに署名をもらえる様頼み込んでいた。

 彼らは必死の説得を試みるも、老婆達は渋い顔をするばかり。それでも、ラゼルの名は、不思議な力があった。口にすれば、老婆の険しい顔が柔らかくなる。

 ナジスの名にも、同様の力があった。老婆の一人が口にすれば、少年達は口を閉じ、顔を見合わせるしかなかった。

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