冬の訪れ 3
それから、五日経った。
部屋にいるしかない毎日。右腕の具合は大分良くなったのに、療養のため、と部屋の出入りの自由は利かない。出される食事もまた、変わり映えが全く無く辟易する。
いい加減、腐りかけてきた。
こういう経験が全く無かったわけじゃないが、数は少ない。その少ない経験の中で、ラゼルは「こういう生活をすると人間腐るもんだ」という考えを固めつつあった。
けれども、そういえば、アスターはいつも教会に篭っていて変にならなかっただろうか。
「俺はどうにかなっちゃいそうだけどね」
誰にともなく悪態をついて、ベットに横になった。何度か寝返りを打ち、左ひじをついて、その正面にある窓を見た。
五日間、ラゼルはこの窓から庭園を見ていた。全く代わり映えの無い植木ばかり。夕方になると、影らが庭師になって手入れを始めるが、劇的な変化は望めない。
それでも、毎日見てみるものだな、とラゼルは思った。
窓の枠の中で、白いものがちらついていたのだ。もし、普段だったらそこまでならないのだろうが、この状況だからこそ感動を覚えた。
「雪か?」
ラゼルは飛び起き、ためらい無く窓を開いた。手を伸ばし、降り注ぐ雪を受け止める。
雪は手に落ちる前には水になっていたようだ。湿っぽくて、積もりように無い雪。けれども冷たくて、冬が来たんだなと、いつに無く感慨深くなっていた。
良いことは、続けざまに起こるのが常なのだろうか。その日、外出の許可が出た。魔女が《影》を寄越し、城の中にいる分には好きにして良い、とのことだった。
「何でまた突然」
ラゼルが聞くと、《影》は「だいぶ良くなったでしょう?」と答える。
「理由はそれだけ?」
《影》の言葉は魔女の言葉。それを知っているから、ラゼルは深く聞いてみる。どうにも、疑わずにはいられないから。
「ええ」
「本当にか?」
また突っ込んで聞いてみれば、《影》は口ごもる。しかし返ってきた答えは、意外なものだった。
「雪が降ったからです」
言うが否や、《影》は翻り廊下を歩いて行った。ラゼルはそれを見送りながら思案する。初雪が降ったから、それで機嫌が良いのかもしれない。
――可愛いこと言うんだな、意外と。
あの少女の姿だけを思い起こせば、それでしっくりいく。けれど、長年培ってきた魔女のイメージからは大きく剥離していて、戸惑ってしまう。
本当の姿こそ、あの少女なのかもしれない。そんな考えを浮かべれば、どうしても顔をしかめてしまう。
ほどなくして。魔女の言っていた通り、ラゼルは《影》より剣を習うことになった。しかし《影》は、剣を握る前に走れと言った。
「ずっと篭りきりでしたから、体もなまっているでしょう」
奴の言い分はそれ。ラゼルも一応は納得する。しかし、
「腕の怪我なんだから、走るのに支障ないだろう? 篭ることなんて無かったのに」
と、浮かんだ疑問もぶつけてみる。
「体を休める時も必要です。大分疲労があったでしょう?」
「だからって、五日も寝てろって言う方がどうかしてる」
ぶつくさ言いながらも、ラゼルは庭園を走った。何だかんだで、思い切り体を動かせるのは楽しかった。
それに、これを機に、城を見て回った。庭が城をぐるりと囲んでいるおかげで、ラゼルは城にぽつぽつとついた窓から中の部屋をのぞく事が出来たのだ。まあ、どれもラゼルの泊まった部屋と同じようなものばかりだったが。
庭は城を取り囲んでいるのだから、そこを走っていけば当然、この城に初めて来た時と同じ出入りの門に辿り着く。
気になって、ラゼルは走るのをやめた。門扉が僅かに開いていたからだ。
「こっちから先もご自由にどうぞってか?」
錠は、初めと同じで外されたまま。扉を少し引いて外を見れば、あの時と同じ丘が目に入った。
白い砂が引かれ、まっすぐに伸びる道。その先に見える森は、村で見慣れた森と大差無い。
このまま帰れそう。
「逃げようなど考えないほうが良いですよ。貴方のためにも」
いつの間にか《影》が後ろにいてこう言ってきた。
「逃げてくださいと言わんばかりに開いていたんだけど?」
扉を少しゆすりながら言えば、
「ここから出られたとしても、逃げられるわけではありませんから」
確かに、とラゼルは思う。ポロの話を思い出したからだ。道を走っていたら景色が変わり、迷宮へと誘い込まれてしまう。魔女にとって、誰かを閉じ込めるのに扉も錠も必要ないのだろう。
魔女の自信をそこに感じた。
「魔法ってのは、凄いね。どんな奴だろうと丸め込んでしまう。使えなければ、従うしかないんだな」
ため息しか出ない。例えあの森の前に家があったとしても、帰れないのだろうから。
しばらく、目に見える森を、その奥に村の姿を見ていた。
――アスター。とりあえず、すぐ死ぬようなことは無かったよ。
だからこそ、今逃げ出そうなんて馬鹿なことはしない。魔女の様子を見ていれば、倒すためのヒントがあるかもしれない。まだ時間はある。
――レディナ……
彼女を思えば、泣き怒った顔が真っ先に浮かんでくる。今も彼女は泣いているだろうか。
駄目だな、とラゼルは首を振った。胸がちくりとする。レディナを思えば思うほど、早く魔女を倒して帰らなければと、焦燥に駆られもどかしくなる。
でも、今は敵わない。
「貴方はさっき、使えなければ従うしかないと言いましたね」
突然、《影》はこう言ってきた。
その言葉に、ラゼルは眉を寄せる。魔女は一体何が言いたい? 何度も、自分には敵わないと言ってきた。それがようやく分かったのかと思って優越感にでも浸っているのだろうか。
「それがどうした?」
言葉に険を込めて《影》にぶつけた。《影》は口ごもることなく言葉を続けた。
「昔、魔法の使える者を国の中心に集め、魔法を使って政治を行った時代があったこと、知ってますか?」
その質問には、あっけに取られた。今の言葉で魔女は怒ったかと思ったが、その断片すら拾うことが出来ない。
それに、質問そのものにも、ラゼルは驚かされた。
「魔法を使って政治?」
「昔々の、隣のアグレイル国での事です。故に魔法の国と呼ばれていました」
「魔法は邪なものだぞ。それを国家が使うなんて」
「信じられませんか?」
ラゼルは頷こうとして、やめた。
「魔法は人を脅す。脅して支配していたのならば、不思議じゃないかも」
「そうですね、その通り。ですが、それで人々は怯え暮らしていたと思いますか?」
この質問に、ラゼルは首を縦に振らなかった。その話は何とも、自分の村と酷似している。
「従ってさえいれば、幸せに暮らせる。怯えることなんて、無い」
言いながら、唇は震えていた。
やはり、村を魔女の支配から救うことなど出来ないのだろうか。いや、村は救いなど求めていない。今の状態で幸せなのだから。
「続けましょう。時期に貴方も落ち着くでしょう」