地下迷宮 5
「貴方も本当は分かってたでしょ? 私には敵わないって」
誰の声かと思い、ラゼルは目を開いた。
すぐにそれは魔女の物だと知る。
魔女は、いつの間にかラゼルのすぐ近くに現れていた。彼女は黒いドレスと、豊かなプラチナブロンドをふわふわと揺らし、宙に浮いている。その顔はにんまりと笑っていた。
「どういうこと?」
確かに、敵わないかもしれないと言う懸念は、魔女を倒すと言っていた時からあった。まるで打つ手は無いとは思わなかったが。
しかし、何故魔女の口から敵う敵わないと言った言葉が出てくるのか。彼女の前で、敵視するような素振りは取るまいとしていたが、やっぱり気づかれていた?
「どういうこと、とは、どういうこと?」
首をちょっとかたむけ、少女は逆に聞き返す。
魔女は、初めて二人が対面したあの部屋で、弓に手をかけたラゼルに気づいていたのだろう。例え背を向けていたとしても、彼女の目には見えていたのかもしれない。
「わかってた? 俺のこと」
「何よ、俺のことって。貴方が私を殺そうとしてたこと、見抜かれてたのがそんなにショック?」
やっぱり、と思ってラゼルは跳ね起きた。自分のミスで迷惑をこうむる人がいる。
「やあね。青い顔しちゃって。私、伊達に長生きしてないのよ。それくらい見抜けないと思う?」
自慢げに、そしておちゃらけて言う彼女だけれど、ラゼルはそれどころじゃない。
自分のしていたことが魔女に知れ、そして彼女はどう行動しただろう。考えを巡らせれば、本当に自分は馬鹿で浅はかだったと思う。
「村はどうした?」
唐突に問いかければ、少女の顔がゆがむ。
けれど、それに構っていられないほど村が心配だった。
「俺があんたを殺そうとしてたって分かってたんなら、あんたはどうした? 村は、襲ってしまった? それとも、これから?」
少女はキョトンとして目を瞬かせる。
「これからなら、お願いだ、それだけは、それだけはやめてくれ!」
ぎゅっと目を瞑り、ラゼルは懇願した。
村の者が、家族が、未曾有の恐怖を体験したのでは!
そう思えば思うほど、心臓がどくどく唸る。そして、自分が軽率な行動を取ったせいだと考えれば考えるほど、頭が真っ白になる。
しかし、頼んだところで魔女はやめてくれるだろうか。
「やめてくれ……」
どうしても悪い方にばかり考えてしまい、声がかすれた。魔女がどんな反応を示すか怖くなる。少女の顔を見ていられなくなり、ラゼルはうな垂れた。
「ぷっ。あははははははは!」
うつむいたラゼルに浴びせられたのは、ある種予想通り、笑い声だった。
見れば、彼女は口を押さえ可笑しそうに笑っていた。声を高らかにしたり、殺したりしながら。
「な、何故、笑う?」
かすれた声のままラゼルは問いかける。
――もう襲った後なのか? だから、こんな俺が滑稽で笑うのか?
そんな思いが浮かべば、震えは一層ひどくなった。
「あなたがあんまりにも失礼で、なんて育ちが悪いのかと思って。それで、可哀想になっちゃって」
「何だって?」
「私はね、村を襲うなんて一言だって言ってないのよ?」
何をおかしなことを言うんだ、とラゼルは思った。頭の中の鎖が上手くかみ合わない。
今まで村は、襲われることを恐れて魔女に従ってきたのに。
「襲う意思は無いと言うことか?」
「そうよ」
そう答えた魔女は、幼子の様な無邪気な笑顔で、余計に腹が立った。
「妙なことを言って惑わそうと言うのなら、そうは行かない! これまで何のために村が苦しんで来たと思ってる?」
「私が嘘付いたって、思ってるの?」
すると突然、少女の表情に影が差した。その後、ふん、と鼻で笑う。
「あーそうですかそうですか。切ないねぇ。信じてもらえないなんて。ただ単に貴方達が馬鹿で単純だっただけじゃない」
すると、魔女は手を前に差し出した。
「私がその辺にある石を、ひとつ、動かしただけで」
何事かと思って、ラゼルは魔女が指した先を見る。地下迷宮の廊下に落ちていたいくつかの小石が、宙に浮いた。
「皆平伏しちゃった、て、だけなのにね」
石は滑空し、魔女の手中に治まった。
「話が違う」
魔女の言い分は、ラゼルには簡単には呑み込めなかった。だいたい何故、その昔、ナジス率いる村の者が魔女に挑みに行ったのか。
「あんたが男を差し出せと要求したのが、そもそもの始まりじゃないのか? それが出来なければ村の畑を全て焼くと。だから、それを阻止しようと村人は城に出向いたのに、あんたはそのほとんどを殺してしまった」
「貴方は周りからそんな風に教えられたの?」
ラゼルは頷く。それ以外に何があるのか、と思う。
「私もとことん、悪者扱いね。確かに、昔村人を徹底的に痛めつけた。けど、貴方も、馬鹿ね。自分を殺しに来る連中にされるがままになるはず、無いじゃない」
魔女はくすくす笑う。
「それに、男を差し出せっていうのも、馬鹿な話よ。私はそんな事一言も言ってない。村の畑を焼くなんて話、今初めて聞いたかも。誰かが抱いた妄想を、皆が信じ込んでしまったんでしょうね。私を、恐れるあまり」
ラゼルは、魔女が自分を正当化しているのかと感じた。自分は悪くない、村人のせいだと。
その当時に生まれてもいないポロが、十年近くもここに閉じ込められ、苦汁の生活を送ったというのに。
ラゼルは、魔女にそう抗議したかった。
けれども、何も言えない。彼女が余りに強気な笑みを零すから。
何か言ったその時、魔女の意思はどの様に、どこへ転ぶだろう。それが、良い方ではなく悪い方向だったら。
――村はどうなる?
そこには恐ろしい結末しかない。だからラゼルはただ身震いして、魔女を睨みつけるしかなかった。
「いじらしいわね、あなたって人は。自分よりも大切なものがあるみたい」
その時、魔女の笑顔は幼げなものから一変し、子を見る母のような目になった。不覚にも、それが壁画のアースラ神の顔に重なった。
すると何か、見えない手に体を包み込まれる心地がした。ラゼルは拒むが、しかしきつく抱こうとするその手に、体を委ねるより他がなくなってしまう。
膝を折り屈み込んだとき、その正体は眠気だと分かった。いくら拒んでも、容赦なく襲い掛かってくる。
「私、そう言う人好きよ」
これが魔女の魔法だと気づいたのは、そんな彼女の言葉を、微かに耳にした時だった。