地下迷宮 4
――どうせここを曲がったところで、景色は変わらないんだ。
そう思いながらチョークを取り出そうとしたところで、ラゼルはその手を止めた。左に向けた目が、それを捉えて離さなくなった。
「何? あれ……」
通路の向こうが明るかった。松明も、この迷宮を明るく照らしていたが、あれは、そんなもの比べ物にならないほどの大きな光。
世界で一番明るい光、太陽。
「出口だ……」
ラゼルにはそれしか考え付かなかった。出口以外の何があるだろう、と思った。
そうなると、腕の痛みも一抹の不安も何もかも、全てが吹っ飛んだ。体も軽くなり、飛ぶように走り出す。
走って走って。一秒でも早く、あの先に辿り着きたかった。
近づいただけでは、そこがどこだか分からない。あまりに光が強くて、物の判別を困難にしていたからだ。しかしようやっと、ここがどのような場所か鮮明になったころ。
そのころには、足元を支える床を見ることが出来なくなっていた。
道は、途絶えていた。
ラゼルは、立ち止まって目をむく。下は、落ちたらただではすまないだろう崖、いや、もはや壁だった。そして周りを見渡せば……
希望に膨らんだ胸は、終着地を目の前にして、萎むのを拒んでいた。
そこは、とても開けた場所だった。祭りを行った村の広場が十や二十ぐらい入るんじゃないかと思う広さ。
その広間は八つの面を持っており、面には縦に長い横穴を無数に開けている。穴は、ラゼルが通ってきた通路を輪切りにした様な形をしていた。
横穴は、横方向だけでなく、縦方向にも並んでいた。上にも、下にも。
真上には雲の泳ぐ青空が見えるから、ここは、地上にぽっかり開いた大穴なのだろう。
――ここが、ポロの言っていた場所?
何となく、ラゼルはそう思った。そして、間違いないと思った。
遠くに見える無数の横穴が、今通ってきた通路と同じものならば、それが、この迷宮がいかに広大であるかを物語っている。
これではとても、出口を探る気になどなれない。
――いや、もしかすると、こここそが出口なのかもな。
座り込み、空を見上げ、ラゼルはそんな考えを浮かべた。そうなるともう、外に出る望みなど薄いだろう。一体この大穴を、どうやって登れば良いのか。
――ここにも、魔物は現れるのかな。
もしそうなら、やられるだろう。利き腕も怪我し、後ろに足場の無いこの状態ではそれは確実だ。
懸念はするが、この大穴を目の前にしては、何だかどうでも良くなってくる。今ここでやられれば、それはもう、それまでだった、ということ。
ぼんやりと下を覗き込めば、大穴の底が見て取れる。底は野草に覆われ、秋らしく、緑から赤茶まで様々な彩を見せていた。
広場の中央には、水晶のような塊が置いてあった。
その中には、妙な、人のような影が見える。遠くてよく判別できないが。まあ、水晶の中に人がいるなどありえないし、近づいて見れば、全く別の物かも知れない。
近づくことなど、まず無理だが。
「空が飛べたら……」
そんな、無茶な望みを呟いて、ラゼルは横たわった。
久々に空を見たせいか、この光景に気が抜けたせいか、怪我のせいか、だんだんと体がだるくなってきていた。
まぶたを閉じれば、視界が真っ赤に染まる。真っ赤な舞台に、どういうわけか、レディナの姿が浮かび上がった。
風になびく灰がかった黒髪は、くすんだ黒。それは天然の色ではなく、染めたためになってしまった色だった。幼いころから伸びるたびに染めるので、艶の悪い髪になっていた。
それでも彼女は笑っていた。
『田舎娘が綺麗でも、仕方ないでしょ?』
黒いプラチナ、と呼ばれる風習がある。プラチナ色の髪は全て黒く染めるのだ。
由来は、かつてルンドブック各地を荒らして回った魔王がプラチナブロンドだった、ということ。闇魔王と呼ばれた男を恐れるあまり、男と同じ髪の色を嫌ったために生まれたものだった。
レディナも、本当の髪の色はプラチナ。
『綺麗なのには、憧れるけどね……』
彼女は、自分のそんな運命をどう思っていただろう。呪ったろうか。こんな風習を生んだ闇魔王を恨んでいるのだろうか。その真意は、分からない。
彼女の笑顔ばかりが浮かんでくる。
――レディナ、今、どうしてるかな……
悲しんでいるだろうか。それとも、待ってくれているだろうか。もしくは、ラゼルなんて男がいたことは忘れてしまっただろうか。
『ラゼルに会えなくなるのは、嫌』
レディナのこの一言を思い出し、忘れたって事はないか、と鼻で笑った。
魔女の城に出向く前日の日暮れ時のこと、彼女はこう言って泣いた後、ラゼルのほほを叩いた。魔女を倒すと言ったからだった。その後レディナは、一人で魔女に敵うわけない、と言った。
自分のこと、本気で好いていたんだと思った。好意を向けてくれてるのは感じていたが、それは淡い感情だとばかり思っていたのに。
けれど、会えないのは嫌と駄々をこねたり、魔女を倒そうなどと無茶なことを言えば怒ったり。自分の気持ちを通そうとすれば、ラゼルが無謀なことを言うので、彼女なりに身を案じてくれたのだろう。
――会いたい。
レディナの気持ちに気づけば、それが嬉しくて、そのことでお礼が言いたくなった。
『ありがとう、嬉しかった』
そう一言、彼女の前で言いたい。
でも、それはもう叶わないだろう。まだ変える望みが消えたわけでは無いだろうが、この大穴を前にしては全ての気がそがれてしまう。更なる出口を見つけるのは何年先になるだろうかと。いや、その前に生きていられない。
――もう、レディナに会えない。村の皆にも、母さんにも、父さんにも……
何度となく、自分の無力さに気づかされては泣きたい気持ちを抑えきれなくなる。それに今度は、非情な現実にも気づかされて。
一人静かに涙を零す。それは自然に流れ落ちてしまうけれど、ラゼルはそれすら許せずに、目頭に力をこめた。