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地下迷宮 2

 ちょん、ちょん、ちょん……

 水の滴る音は、静かな場所でよく響いていた。


 目を覚ましたラゼルは、身をよじって部屋の中を見渡す。

 煉瓦で出来た部屋の中には、回廊からの明かりが入り込んでいてそれほど暗くは無いが、一見しただけでは髭もじゃのポロの姿は見つからなかった。


 体を起こして探しても、やはり影も形も無い。

――あいつ、どこに行ったんだ?

 ここには魔物が徘徊して危険だと、十年近くいるポロは十分承知しているはず。だから、見張っておいてと頼んだのに。


「お、起きたのか?」

 あっけらかんとしたポロの声が回廊から聞こえた。

「どこに行ってたの?」

「ああ、ネズミ捕りに行ってたんだ。貰ってばかりじゃ悪いからな。もっとも、ご馳走とはとても言えないけどなぁ」

 そう言って、ポロはネズミの尻尾を二本ずつ掴んだ手を持ち上げる。どうだ、とラゼルに見せ付ける顔は誇らしげだった。


 ラゼルはそれに腹立たしさを覚えた。

「どうしてここにいてくれなかったんだ? この辺りには魔物が出るって、ポロだって知ってるだろ?」

 思わず、ラゼルはポロに向かって凄んでいた。

 魔剣を拾ったから良かったものの、それが無ければ自分は今生きていないだろう。一度死ぬ思いをしたからこそ、眠ったまま一人にされたことは恐怖だった。


「は? 何だい、魔物って……」

「え、知らない? ここに十年近くもいるのに知らないなんて事……。俺はもう、何匹もの魔物に出くわしているのに」

 呟くようにラゼルが言えば、ポロの方がたっぷりの髭を揺り動かした。


「幻でも見てたんだろう? しばらくここには俺とネズミしかいなかったよ」

 ポロは笑ってラゼルの背中を叩く。

「お前も直ぐに慣れるよ。そうすれば幻も見ないだろ」


――幻で片付くことじゃない、あれは。

 そうは思ったが、けれど良く考えてみれば、幻で片付ければつじつまの合うことがある。


 ポロが十年近くもここで生き延びられたこと。

 魔物がここに徘徊し、人を見つけては襲い掛かってくるのなら、ポロは今ここにいなかっただろう。自分だって、魔剣を拾わなければ殺されていただろうから。




 二人はそれから、ポロが捕ってきたネズミをさばいた。

 ラゼルは持っていた短剣を使ったが、ポロはどこかで拾った石を鋭利に尖らせ、それを使って器用に皮をはいでいた。長いこと、道具も何も無い中で暮らしていたと窺い知れた。


 それに、ネズミは生のまま食べるのだと言う。松明の火は明るいだけの幻の火で、何も燃やさないらしい。ラゼルは松明を持ってきて試したが、触っても何も感じない。まさにその通りだった。


 生の肉は、血も残っているせいか、ひどく舌にまとわり付く味がして気持ち悪い。食べられないものではなかったが、美味しい物でもなかった。

 ラゼルは一匹食べただけで遠慮したが、ポロはこれを夢中になって食べていた。慣れれば、これも美味しいのかもしれない。


「ポロは、ここから出ようとは思わないの?」

 小汚い男が石の小刀でネズミをさばく姿を見て、一番に抱いた疑問だった。こんな生活をするくらいなら、外に出ようと考えないわけが無い。


 この質問に、ポロはため息をついた。

 顔を曇らせ、煉瓦の破片を拾っては何も無いところに投げつける。

「俺も、始めはそうだった。出口があると信じて、ここを基点に探し回ったものだった」


 ポロがこう言った瞬間、ラゼルは心臓が何かに鷲掴みにされる感覚に囚われた。何の考えも無く聞いただけに、あらぬ事を口にしてしまったかと後悔する。

「出口は、無い、のか?」

 そりゃそうだ。出口を知っていたら出るに決まっている。


「さぁ。無いかもしれない。でもあるかもしれない。どちらにせよ、見つけていたら俺はここにいないなぁ」

 また、ポロは破片を投げた。

「お前は、出口がどこかにあると、そう信じているか?」

 ラゼルは頷く。今はそれを探すしかなかろうと思っていた。まさかここで暮らすわけにはいかないと思っていたし。


「深い森で迷っても、そこから抜け出そうと知恵を絞って歩いていけば、抜け出せるものだよ。せめて、迷宮の入り口ぐらいには辿り着けると思う」


 そう言ったラゼルの顔を、ポロは覗き込み、そして笑い出した。真面目に言ったのに、笑われるのは心外だった。

「何で笑うんだよ」

「俺がどれだけ探し回ったと思ってんだ? どれだけ探しても無理だった。それに、この水源から離れるのは危険と思って諦めたんだ。迷って戻ってこれ無くなったら、それこそ終わりだ」


 ひとしきり笑ってから、ポロは、また顔に影を落とした。

「それに、あそこを見たら、もう、出口を探そうなんて気は一気に失せてしまうよ」

「探す気が無くなる? どんな所?」


 笑ったり落ち込んだり、ポロの様子がどうにもおかしくて、ラゼルはポロの顔を覗き込む。するとポロは、真顔になって立ち上がった。

「見せてやるよ。ここからそう遠くないところにある」

 ポロは、有無を言わさぬ様子で回廊を歩き出した。ラゼルはそれに付いて行くしかなかった。




 ポロはどうして、この地下迷宮に落とされたのだろうか。

 髪が伸びきってぼさぼさになったポロの頭を見つめながら、ラゼルは少し思案する。


 答えは簡単だ。ポロも言っていたが、彼が城から抜け出したのを魔女が許さなかったからだ。

 しかし、どうして。魔女にとってそれほど許せない事だったのだろうか。十年近くも、ここで悲惨な暮らしを強いられるほどの事だったのだろうか。一人の男の人生がめちゃくちゃになるほどの……

 理不尽で、腹立たしかった。


「何を考えている?」

 それまで、いくら話しかけても口を開かなかったポロのほうから、そう聞いてきた。

「どうせお前も、俺と同じだろう。一生ここで過ごすことになるんだ。一生なぁ」

 薄気味悪い笑いを零しながら、ポロは歩き続ける。


「そんな、諦めなくたって良いだろ? 道はあるはずだから。信じよう」

 ポロの後ろ頭に、ラゼルは強がりをぶつける。するとポロは笑うのをやめた。

「じきにお前も諦めるよ」

 一つため息をつき、彼はまた無言になる。




 それから程なくして、ラゼルは奇妙な音を聞いた。

「クーン……」

 それは靴音よりも微かな音で、狼が鳴くような声だった。


 それで足を止めると、ポロも止まってこちらを振り返った。

「どうした?」


「クオーン」

 また獣の鳴き声があった。今度はポロにも聞こえたようだ。

「何? 今のは。お前か?」

「明らかに人の出す音じゃない」


 ポロは、回廊の前も後ろも何度も振り返る。声の正体が分からず戸惑っている、といった風だったが、ラゼルには何となく見当がついていた。

「多分、魔物」

「え?」

 ポロが目をむいてこちらを見た。

「俺も、幻聴を聞いてるって、事か?」

「幻じゃ無かったんだ、やっぱり。残念なことに」


 そのうち、獣の声だけでなく、がしゃり、がしゃりと歩く音も聞こえてきた。荒々しい息遣いも。

 こちらは、すぐにも鉢合わせになるだろう。ラゼルは剣を抜いて時を待った。


「ひ……!」

 ポロは、ラゼルが剣を抜いたことに驚いたようだった。腰に差していたことは知っていただろうに。本物だとは思わなかったのだろうか。


「慌てるな。……来たよ」

 全身真っ黒の巨体。しかし、それまで遭った物の中でもそう大きなものでもない。

 いつも通りに相手のすぐそばにまで踏み込み、腹と喉に一撃ずつ食らわせる。


「ポロ?」

 振り返れば、ポロは足を投げ出して座り、震えていた。完全に怯えてしまっているようで、言葉にならない声を上げていた。

「大丈夫だ、倒したから。じきにあれも消える」

 ラゼルはしゃがんで、やさしく言う。


 しかし、ほっとしたのもつかの間。どうやら他にも魔物が近づいてきているようで、足音やら唸り声やらが耳に届いた。立ち上がってその方向を見れば、すぐにも黒い姿が現れていた。

 その数は、一つではない。四つ、五つ……。その数の多さに、ラゼルは目をむいた。


 一応剣は握りなおしたものの、複数を相手にしたことは無かった。

――上手く切り抜けられるか?

 その方法を思案するが、しかしラゼルは首を振った。すぐそばに、腰を抜かしたポロがいる。

「逃げよう!」


 怪物は大分近づいていた。突進でもされれば轢かれるかもしれないギリギリの状況で、ラゼルはポロの手を引いて走った。

 ポロは何度も振り返り、何事かぼやくが、構ってはいられない。何度か回廊の角を曲がり、撒くことだけを考え走り続けた。

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