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地下迷宮 1

 13、と赤い壁に数字を書き込んだ。13回角を曲がったと言う意味。その隣に書き込んだ矢印は、どこから来てどこへ進むのか、を表すものだった。


 書き終えてから、ラゼルはあたりを見渡す。

 何度も角を曲がったのに、回廊の景色は変わることが無い。それに、一度として同じ場所に戻ることは無かった。何の代わり映えのしない石の壁に、松明の炎が規則正しく並んでいる。


 広いな、とラゼルは思った。


 一度か二度、元の場所に戻って来られれば、この迷宮の広さも掴めるんだろうが。

 闇の天井を振り仰いでから、ラゼルは矢印の方向に進んだ。きっとどこかに抜ける道がある。今はそう信じて歩き続けるしかないだろうから。


 それからしばらく経たない内に、ラゼルは黒い塊を見つけて足を止めた。これで、出くわすのは七回目だ。

「またか……」


 ラゼルより頭二つ分大きい魔物は、こちらを向くと三つもある目を白く光らせた。人の姿に似ているが、腕を八本も持っている。脚は並の人間より太く、木が根を張るように見えた。

「おおおおぉぉぉぉ!」

 無論、人並みの知能を備えてはいない。怪物はラゼルを見つけると、奇声を発しながらこちらに襲い掛かって来た。


 七回も同じ場面に出くわしては、ラゼルも慣れたもの。剣を抜いては、怪物がこちらにたどり着くより前に足を踏み込んでいた。

 姿勢を低くしてわき腹に一撃。二撃目は喉に。それから間合いを取り、怪物がよろめきながらこちらに倒れてくるのを避け、後ろの首筋に三撃目を加える。


「ぐぇ……、え……」

 一瞬の間に、魔物は倒された。


 ラゼルは黒い液に塗れた剣を下げたまま、倒れた魔物を見下ろし、消えるのを待った。

 魔物は、これだけの魔剣を受けても起き上がって来ることがある。それほどに打たれ強く、背中を見せた途端に襲ってきた例があるだけに、油断ならなかった。


 しばらくして、黒い塊が砂と化し消える。それを見て、ラゼルはほっと緊張を解いて、先を進んだ。


――それにしても、魔女はこうやって、俺が戦うのを見て愉しんでいるんだろうか。


 魔物が消えた所を見つめながら、ラゼルは魔女の言葉を思い浮かべる。

『あの時は面白かったから』


 それはいつの事を指して言ったのだろう。昔、現村長のナジス達が魔女を追い払いに城に向かった時のことか。それとも、つい最近のことなのだろうか。

 後者だとすると、軟弱なコールもここに来たということになるだろう。そうだったら、彼はどうやってあの怪物たちを切り抜けたのか。考えれば、残酷な結末が浮かんでしまって心が痛んだ。




 歩く内に、ラゼルは妙な音を聞いて立ち止まった。

 ぺった、ぺった、ぺった……

 誰かが裸足で歩くような音。ラゼルが歩みを止めれば、その足音も少し遅れてからやむ。


 人、だろうか。


 しかし、怪物もまたそのような足音を立てる事がある。ラゼルは緊張を張り巡らした。辺りを見渡し、微かな音だって聞き漏らすつもりは無い。


「おーい……」

 今度は、人の声に似たものを聞く。

――人、がいる? そんな、こんな所に?


 ラゼルは、それが魔物のものかもしれないと懸念しつつも、声に応えた。

「誰かいるのか?」


 問いかければ、すぐに答えが返ってきた。

「いるぞー。ここにいるぞー」

 今度ははっきり聞こえた。男の声だ。


 しばらくずっと、人らしい声と言うのを聞いていなかった。今後ここにいる限り聞くことは無いと、心細く思っていただけに嬉しかった。

「今そこに行くから、動かないでくれ」

「わかった」


 男が承諾した声を聞き、ラゼルは声のする方向に走り出した。また見えた角を右に向くと、その彼方に人影を見つけた。

 男はラゼルの姿を見ると走り寄ってきた。


 服はぼろぼろに破れ、茶色い髪や髭を伸ばしっぱなしの汚らしい恰好で、靴は履いておらず裸足でぺたぺた音を立てて走る。

 それでも、ラゼルの手を取って喜ぶ様は紛れも無く人間だった。


「もう、もう、人に会う事は無いと思っていたよ! お前、一体、どうしてここに?」

「あんたこそ、一体どうして?」

「いや、俺のことより、お前は? その恰好じゃ、ここに来て間も無いんだろう?」

 その問いに、ラゼルは頷いた。

「五年に一度の魔女の選定で、選ばれてやって来た。城に来たとたん、魔女に落とされたんだ」


「そう、か。そうだよな。助けに来てくれたわけじゃないんだな……」

 男は落胆する。それをラゼルは宥めて、

「一人より二人の方がずっと良いじゃ無いか。俺も、一人で心細かった。こうやって出会えて嬉しいよ」

「そう、だよな。こうやってまた誰かに会えた。会えたんだ、本当に奇跡だ!」

 男は、ラゼルの手を取ってぶんぶんと振り回した。


 一体この男はどれ程の間ここにいたのか。自分だって、少しの間いただけでも人恋しくなっていたのだから、この男の感激が分かる。自分よりも遥に、その感動が大きいことも。

「そうだ、俺が住まいに使ってるところがあるんだ。喉は乾いてないか? どういうわけか水が沸くところでね、そこで水を飲みながら色々と話そうじゃないか」

 男はにっと笑い、本当に嬉しそうに、ラゼルを案内した。




 水が沸くところは、回廊の横に付いた小部屋にあった。部屋の隅の天井から、ちょん、ちょん、と規則的に雫が滴り落ちる。それを水瓶が受け止めていた。

「これのおかげでここでも何とかやって来れたんだ。それに、消える事が無い松明も。光も水も無ければ、たぶん気が狂って死んでしまっただろうな」

 そう語る髭もじゃの男の声には哀愁が漂っていた。


 この男の名はポロと言った。どれくらいここで暮らしていたのかと聞くと、昼も夜も無い場所で分かるわけが無いと言うので、お互いの話をすり合わせることになった。


「じゃあ、もう十年も経ってるのか!」

 二人で座って話していたところ、急にポロが立ち上がり、それから顔を覆った。

「いや、一年城でおとなしくしていたから九年か。それにしたって!」

 そんなに経っているとは思っていなかったらしい。ショックのためか、彼はしばらく口を開かなかった。




 ポロは、十年前魔女に呼び出された男だった。妻も、生まれたばかりの子供もいた、村が失った惜しい人だった。


 彼は、城に来て一年程は魔女の言う通りにして、何の事件も無く過ごしてきたと言う。

 しかし、妻と子のことが気に掛からないはずが無く、その思いは募りに募って、一年目のある日、城を抜け出した。

 魔女はそれを許さなかったのだろう。しばらく道を走っていたところ景色が変わり、気が付くとこの迷宮にいたと言う。


「私の妻は、娘はどうしている?」

 ここで話しかけるのも酷かなと、しばらく黙っていたラゼルに、ふとポロが問いかけてきた。ここ十年間、彼が思いを寄せてきた人のことを。


「ああ、元気にしてる。やっぱり、あんたがいなくなってしばらくは沈んでましたけど。でも、今はもう……。もう、再婚していて……」

「そう、か。そうだよな。帰ってこない男を待ったって仕方ない。それで良いんだ。二人が幸せにやってるなら、それで」


 ポロは気丈に笑って見せたが、内心複雑だろう。自分の不幸を呪いたいに違いない。でも、その気持ちを押さえ込もうとする姿に、ラゼルはポロの心の広さを感じた。




「そういえば、腹が減ったな。ネズミを探してる最中だったんだ」

 ごまかすつもりか、ポロは立ち上がって言った。しかし、ラゼルの気に掛かる言葉がある。

「ネズミ? ネズミを探して、どうするんだ?」


「ああ、食べるんだ。ここじゃ良く見かけるし、鈍くて捕まえやすいから。どこに奴らの食べ物があるのか知れないけどね。それでずっとやってきている」


 ラゼルは絶句したが「それしかここで生きていく術はないんだよ」とポロは真顔で言った。それからすぐに笑って「じゃあ、捕まえてくる」と、出かけようとする。

 ラゼルも手伝おうかと思って立ち上がったが、急に体中がだるくなりまた座り込んでしまった。

「どうした?」

 だるけは、どうも急な眠気であるようだ。


一体、この迷宮に落とされてからどれくらい経つのか分からない。その、分からないほど長い時間、ラゼルは一睡もしていなかった。

 魔物が出ると思えば、張り詰めた緊張も解けることもなく、途中休むこともあったが、仲間のガイルから貰った木苺やビスケットを食べるに留まっていた。


「眠いだけ、です。心配しないで」

「そうか……」

「ちょっとの間ここで寝させてもらいます。ポロはその間、この中のものでも食べたら良いよ」

 言って、ラゼルは腰のポシェットをベルトからはずした。


 ポロは、ラゼルから受け取ったポシェットの中身を見て、目を見開いた。

「木苺? それに、ビスケット……」

 ずっと食べていなかったからだろう。ポロの嬉々とした顔を見て、ラゼルは笑った。


「ちゃんと見張って下さいよ」

 ポロがここにいてくれるなら、魔物が近づいてきても起こしてくれるだろう。ラゼルは、これなら大丈夫だと思い、その場に横になって目を閉じた。

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