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悪役令嬢と流刑地の島  作者: 諸星中央
入島
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 古木を背にして身体は重かった。柔らかなベッドしか知らぬクリスティーナにその身体の痛みは悲しみと同じ位置にあった。けれど、ここで沈み込むことになんのメリットもないことは彼女自身が良く理解していた。すぐに立ち上がって適当な足場を広場に引き込みながらオークからどんぐりを採取しはじめる。

 肉体労働ははじめてだった。それはそうだ。この世、貴族の令嬢が泥にまみれて生活するなどあり得ない。けれど、ここでそれをしないのは合理に反する。自分はいま罪人として流刑地におり、なんの身分の保障もなかった。流刑されるにあたり国庫より少額の資金を与えられ、ある程度の私物の持ち込みを許されるくらいなもので、その後は生きようが死のうが国家の関知するところではない。貴族も卑人も、男も女もなく、この測量もままならぬ僻地の島へ、文字通り放り出されるのだった。島の中心地へ足を運べば借家もあるかも知れない。生活の再建に資金を出すくらいだからそれなりになにかはあるだろう。だがクリスティーナはそれなりの貴人で、もともとの自分の立場から末端の人間の憎悪の対象となっていることも理解していた。生きるためにはまず、自分になんらかの価値を持たせなければならない。いまこの地を居と定めたなら、有益となるものは確保せねばならず、資源はすべからく回収しなければならなかった。


 国母たる自分を作るために読書を常としてきた。それなりに貴族として慈善に歩き、街を観察し、農地を視察した。けれどもいま、薪を集め窯を作り火を起こす、そんな技術としては枯れたものがなんと難しいことか。汲む水の重さにふらつき、どんぐりを挽いた粉の荒さに辟易し、そうして私は自分が書物を通して学んできた歴史がこのとき知識となったことを実感した。有無を言わさぬ納得があったのははじめてで、私はいたく感激した。経験のみを指針とすることが愚であることなど当然知っている。だがいくらこの世に蓄積されてきた歴史を読んでも、経験が全くないのでは賢たるにはまるで不充分であることをいま身体を以て理解したのだった。

 笑みがこぼれてきた。ほかに笑ったのはいつだろう。自身ではまったく覚えのないこの状態を知覚し、こころの糸が少し緩んだ。手を汚し、パンをこね続ける。大気に砂が混じるような野辺で、土の薫りを知る。自然というものは音に豊かなのだと、耳を通して感じる。

 貴人でなくなれば自分は自分であった。この世に自分ほど政治を学び、経済学の知識を蓄えた女はそう居ないであろう。用意された場所にふさわしく国母たろうと努力した結果なのだ。例え機会を奪われようとも、自分の誇りを捨てる気などない。小さきものにも魂が宿るなら、私は泥にまみれてさえ堂々としていよう。守るべき名がもうないなら、残りは私の人生だ。私はこれから、自分のための人生を生きるのだ

 あたりを見回した。そうと決まれば私は自分を最も大切にしなければならない。いままでは私を守る役割を与えてやることもあり、またもしかしたら国家のため犠牲となることも必要だったかも知れない。だがもう私は私だけのものになった。野蛮人どもの島で他に美しいものもあれど、貴人めいた自分の風体が悪意の的となることは容易に想像できる。いま自分を守れるものは一振りの仕込み杖しかない。剣術の覚えに乏しい私では不充分が過ぎる。とりあえず、生活の場であるこの広場に罠なりの細工をしなければ。

 それからパンを火にくべつつ翌日まで、クリスティーナは石を拾ったり蔓を採ったりして、それまでにない力仕事もした。乱雑に打ち砕いて作った丸太は、正直いって腰を折るかと思った。まあ、それだけあって直撃すれば頭くらい割れるだろう。

 その夜クリスティーナは枕を高くして眠りつつ、腰をさするのだった。筋力の増した貴人がひとり。


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