2
即物的な父と教育熱心な母の元に生まれたクリスティーナは自我を持つということを放棄して育った。現実的思考がどれだけ時代に適ったものかは分からないが、クリスティーナの父は伯爵として爵位を受け取ってから半ば公の元に露見しつつある王国の権力闘争に身を浸し、一男二女を得てそれさえ道具としていた。私情を介さない振る舞いで親族を斥け国家に法制を確立した父は、中央に食い込み長女であるクリスティーナを王子の婚約者とすることに成功した。その安心から比較的穏やかに育てられた妹のエレーナと違って厳格に育てられたクリスティーナは父の主義に適った行動を率先して採って見せた。母の教育も世界が違えば非難の対象となったのかも知れない。実際のところ、クリスティーナの世でも両親の情愛から距離を置いて育つ彼女のことをかわいそうと思うものは多かった。だが、立派な家庭はそうなのだと、世に覇を唱える家は違うのだと、この世界の君主制国家では一般的に受け取られていたのだった。それが真実には父の出世の道具であり、母の見栄のための飾りであっても。
名前と婚約の事実だけ聞いていた王子の十歳の誕生日を迎えた夜、王宮の晩餐会に一家で迎えられたクリスティーナははじめて王子ユリアンを目にする。食事を終えたあと気を利かせた王の計らいで連れだって夜の中庭に出たクリスティーナは特段の思いもなく未来の連れ添いに従者のごとき挨拶をして見せた。男子が血統の主体となる国家の国主子息に対して理に適ったものとクリスティーナは思っていたし、おそらく彼女の父も先に知らせを受けていればそう指導していただろう。けれどもユリアン王子はそうするクリスティーナを押しとどめ、ひざまずいて見せた上で彼女の手を取って横半歩先を行って見せたのだった。
「クリスティーナ、君はなにが好きなんだい?」
「きみと築いてゆく王国はどうなるだろうね?」
「私はいまだ街のことをよく知らないんだ。きみの目に王都はどう映っている?」
彼の質問は王子としてのしかかる責任と、そしてクリスティーナそのものに対する興味から発せられていた。婚約者との初めての逢瀬においてその対応が最適なものか分からない。けれどもクリスティーナにはユリアンの王子としての意識とともに、自分という個をはっきり認められたはじめての体験となったのだった。
それから、いずれやってくるはずの輿入れの日がクリスティーナにとっての希望となった。この貴族社会、自分が押しつけられた役割から解放される日など、実際には永遠にやってこない。けれどもその夜のようにふたりきりの時間がもたれ続ける限り、自分としての言葉を発する機会もまた続くであろうと。