第十話(二)
「お待たせしました!」
電話をして何分か経った頃、前方からつゆりさんが走ってくる姿が見えた。その姿は後光がさして見えた。
「……女神だ」
「何か言いましたか?」
「何でもないです」
掠れた声で呟いた言葉はつゆりさんには聞こえなかったらしい。彼女は小さく首を傾げた。
その後ろからひょっこりと何かが顔を出した。
「若、生きてるっすか?」
「河童……何でお前がここに?」
それは、先程僕が懺悔した人物もとい妖怪だった。
「何でって、救助隊っすよ!ちょうど家に寄ったら、若が死にそうになっているってお嬢から聞いたんで一緒に来たんす」
「……つゆりさん?」
「あ、あまりにもにきくんの声が弱々しかったので、つい……」
じとりとつゆりさんを見遣れば、彼女は眉を下げて申し訳なさそうに顔を伏せた。
……うん、まあ、いいんだけどさ。
「でも、思ったよりも元気そうで安心したっす。人間はおいらたちよりも寿命も短いし、体も弱いっすからね。特に若はひょろっこいですし」
ひょろっこいって何だよ。
河童の発言に反論したかったがそんな元気なんてなかった。
僕の反応を見てつゆりさんが手に持っていた水筒の蓋をさっと開けた。
差し出された水筒を手に取り、ごくごくと中身を飲んでいく。お茶かと思ったそれは、スポーツドリンクだった。
喉の渇きをそれで潤している間にも、彼女は水で濡らしたタオルで首元を冷やしてくれて、河童はぱたぱたと団扇で扇いでくれた。
「……はあ、生き返ったー」
ぷはっと水筒から口を離して、深く深く息を吐いた。
「ひとまず、安心っすね」
「大事に至らなくて良かったです」
河童とつゆりさんがほっと胸を撫で下ろした。
少し余裕が出てきた僕はそんな二人を見て気がついた。
こんな暑い中走ってきてからか、つゆりさんの前髪は汗ではり付いてしまっていたし、河童の頭の皿は少し水分がなくなっているようだった。
ぐるぐると頭が回り出す。迷惑をかけてしまったという思いが僕の胸の内を占めた。
「二人とも、ごめん」
「どうして謝るんですか?」
「だって、二人に迷惑かけたから……」
どうして、こうなってしまうのだろう。
なるべく人に迷惑をかけないように生きていきたいと思っているのに、実際には上手くいかない。
一人で何とかしたくでもどうすることもできなくて、結局他人を頼ることになってしまう自分が情けなくて仕方がない。
「本当にごめん」
頭を下げる。くらりと、一瞬めまいがした。
思わず目元に手を当てた僕に、二人が慌てふためいた。
「そんな、謝らないでください!」
「そうっすよ。ほらほら、顔を上げるっす!」
言葉のみならず物理的に河童に顔を上げさせられた。水掻きのついた手はひんやりとしていて、何とも言えない感触だった。ちょっとひんやりとしていて気持ちいい。
……って、感想を言っている場合じゃなくて!
「痛い、痛いよ河童!」
急に顔を上げさせられたせいか、首がぐきっと嫌な音を立てた。
抗議すれば、河童は拗ねたように口を尖らせた。尤も、奴の口は嘴だから、元々とんがっているのだけど。
「いやあ、このままだと若が一生頭を下げる人生を生きていくことになるかもしれないと思ったんで、つい。これはもう強制的に上を向かせるしかないかなぁと」
「いやいや、そんなことにはならないから!というか、そんな人生御免だ!」
「かっかっかっ、そいつは失礼いたしやした。いやなに、若が水臭いこと言うんで、ちょっとからかいたくなってしまったんすよ。まあ、体臭的に水臭いのおいらの方なんすけどね」
快活に河童が笑う。僕は首元をおさえながら、「お前なぁ……」と呆れた。
その時、隣から包み隠すことなく笑い声が聞こえてきた。
「……つゆりさん?」
「あ、ごめんなさい。にきくんが元気になってよかったなぁと思いまして」
……まあ、確かにさっきは反論する元気もなかったけど。
なんだかなぁと思っていると、つゆりさんが僕を真正面から見てきた。
彼女の瞳が僕を捉える。あまりにも真っ直ぐすぎる視線に、僕はたじたじとなった。
「でも、河童さんの言う通りですよ」
「え?」
「迷惑をかけただなんてそんなこと気にしないでください。大切な人を心配するのは当然のことなんですから」
それに、とつゆりさんは続ける。
「迷惑をかけたことを悔やんでも仕方がありません。勿論、悔やむことも大事でしょうけど。でも、その後が大事なんです。迷惑をかけたと思うなら、心配をかけたと思うなら、そのことを悔やむよりも、その人が困っていた時にその人のために自分ができることは何かを考えて行動すればいいんですよ。……と言っても、この言葉はおばあさまからの受け売りなんですけどね」
照れくさそうにつゆりさんは微笑んだ。
彼女の言葉がすとんと僕の中に落ちてきた。
僕は他人に迷惑をかけることが嫌だ。心配をかけることも、だ。
でも、こうして僕を心配してくれる人がいることが嬉しいと感じているのも事実で。
――まあ、生きているモノは皆、何処かで孤独を感じているものなんやろうけど。
ばあちゃんの言う通りだ。何だかんだで僕も孤独を感じていたのかもしれない。だから、心配してくれる人たちがいてくれることが嬉しいと思うのだ。
俯いていた僕は顔を上げる。
先程の彼女のように、真っ直ぐにつゆりさんを見つめた。
「ありがとう」
言葉を伝えると、彼女は蕾が綻ぶようにふんわりと笑った。
その笑顔が眩しくて綺麗で、顔に熱が集まっていくのが自分でもよくわかる。
「あれ?にきくん、まだ顔赤いですけど大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫大丈夫!」
顔を覗き込んでくるつゆりさんから逃げるようにふいと顔を逸らす。
すると、視界に入った緑色がニヤニヤといやらしい笑みを浮かべていることに気がついた。
僕は恥ずかしさを誤魔化すために、付け足すようにその緑色――河童に声を掛けた。
「あ、あと河童もありがとう」
「いえいえ。いやー、よかったっすー。若がおいらのことも忘れないでいてくれてー」
目を細めながら河童が大きな声で言った。見事なまでの棒読みで。




