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第七話(二)

 こちらの薄暗い世界へ入ってくるそいつを見て、こんな所に入ってきてはその白い体が汚れてしまうのではないかと一瞬だけ考えた。

 僕の心配などお構いなしに、当人は特に気にすることなく、てくてくとこちらへとやって来た。

「こんなところで何してんの?」

「いや、お前こそ何でここにいるんだよ」

 再度訊ねてきたそいつ――管狐に問い返せば、「あれ、聞いてないの?」と首を傾げられた。

 何のことだ、と返そうとした時、

「あ――!?」

 管狐はぴたりと動きを止めたかと思えば、突然叫んだ。

 大きく目を見開き、僕の後ろを……正確に言えば、僕の後ろの狸を見つめていた。

 狸の方も瞠目している。眠たそうだった目がぱっちりと開いていた。

 ひたと見つめ合う両者。

 シン、とこの場が不気味なくらいに静まり返る。

 沈黙を破ったのは狸の方だった。

「管狐……何故貴様がここに!?」

「それはこっちの台詞だ化け狸!」

「ふんっ。我が何処で何をしていようと我の勝手だろう!」

「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ!」

 何か言い合いをし始めたぞこいつら……え、というか知り合い?知り合いなの?

 僕は目をぱちぱちと瞬かせる。状況についていけない……。

 だが、その間にも、二匹の会話もとい言い合いは続く。

「ここで会ったが云百年目……いざ勝負!」

「望むところだ!」

 ぶおおぉ――と戦いを告げる法螺貝の音が鳴り響く。

 化け狸対管狐。

 妖怪合戦ここに開幕!

 ――なんて、脳内で想像してみたものの、実際に目の前で繰り広げられるのは低レベルな口喧嘩だった。

「黙れこのメタボ狸!」

「メタボとは何かメタボとは!我のぽってりとしたこの愛くるしい身体の魅力がわからぬのか!」

「ああ、わからないね。ちょっとはダイエットしたら?」

「畜生、自分が太らない体質だからって……!」

「ふっふーん」

「その我を馬鹿にしたかのような笑い方やめろ!」

「したかのようなじゃなくてしているんですー」

「何をぉ!?」

 罵詈雑言に加え、もはや取っ組み合いになっている。

 あまりにも酷すぎて、僕は二匹に冷めた眼差ししか送れなかった。

 両者とも止まりそうにない。

 ……困った奴らだなぁ。

 僕は大きな溜息を吐いて、じゃがいもの入った袋と狸から取り上げた酒をその場に置いた。

「はいはいはーい、ストップー」

 二匹の首根っこを掴んで無理矢理引き離す。

 宙に浮いた状態となった二匹がじたばたと手足を動かすが離してやる気は毛頭ない。

「何するのだ小僧!」

「放してよにき!」

「放してもいいけど、ここで喧嘩はやめろ」

 こんな所で暴れられるのは迷惑だし、さっきから埃が立ってしょうがない。

 ぷいっと顔をそらして狸が口を開く。

「仕方があるまい。今日の所は見逃してやる」

「それはこっちの台詞だよ」

 反対方向を向きながら管狐もそう言った。

 一応両者ともこれ以上の争いはしないと認めたので放してやる。……『今日の所は』と言っていた部分が若干心配ではあるけれど。

 狸は編み笠を頭に乗せ、辺りに放置されたままだった帳面と徳利を抱えた。

「全く、折角良い気分で飲んでおったのに興がさめてしまったわ。他の所で飲み直してくるか」

「おととい来やがれ!」

 べーっとお互いに舌を出しあう。

 ……お前たちほんとは仲良いだろ。

 心の中でそう思ったが、口に出したら余計面倒くさいことになりそうなので言わないでおいた。

 最後にふん、と鼻を鳴らし、狸はどろろん、と姿を消した。

「犬猿の仲もとい狐狸の仲、か……。あれ、確か狐と狸ってどっちもイヌ科の動物じゃなかったけ?」

「ボクとあいつを一緒にしないでよ!」

 酷く憤慨した様子の管狐に僕は口を閉ざした。触らぬ狐に祟りなし。これ以上こいつの機嫌を損ねたら、とばっちりを食らいそうだ。

 ふと、僕は思った。

 そういえば、あの狸。妙に見覚えがある。はて、何処で見たっけ……?

 そんな僕の疑問は管狐の次の言葉ですぐに解決した。

「全く、あんな信楽焼風情の飲んだくれと一緒にしないでほしいよ」

「……ああ!」

 信楽焼……そうだ、信楽焼の狸だ。確か、吐水龍の所に信楽焼の狸がいた。

 ということは、さっきの奴はその信楽焼の狸なのか?それとも別物?

 信楽焼の狸に憑いた妖怪なのか、はたまた化け狸が信楽焼の狸の恰好をしているだけなのか……。あ、でも管狐がさっき「化け狸」と言っていたから後者かもしれない。

 うーん、と唸る僕に「どうしたの?」と管狐が首を傾げる。当人はいないが知っていそうな奴が目の前にいるのでここは素直に訊いてみた。

「さっきの化け狸って、庭にある信楽焼の狸なのか?」

「うん?……ああ、庭にあるのはただの置物だよ。あいつはね、信楽焼の置物のふりをして、いつの間にか人様の敷地内に上がり込んでは酒を奪っていくただの飲み意地のはったメタボな化け狸だよ」

「へぇ……」

 管狐に相槌を打ちながらも、僕は心の中で思う。

 管狐よ。お前も人のこと言えないけどな、と――。

 尤も、こっちは飲み意地ではなく食い意地だけど。いつの間にかこの家に上がり込んでは何かを食べているし。酔っ払うことはなくても、散々僕に迷惑をかけているし。

 勿論、心の中で言うだけにとどまった。言わずもがな、面倒くさいことになりそうだからである。

 未だにぶつぶつ文句を言い続けている管狐にそんなことを言ったら、火に油を注ぐだけになりそうだし。

「というか、化け狸ならわざわざ信楽焼のふりしなくてももっと別のものに化ければいいんじゃ……」

 前に管狐について調べたが、その後他の狐の妖怪についても色々と調べたのだ。その時関連して紹介されていたのが化け狸だった。

 昔から化ける動物と言えば狐と狸が定番だったらしい。因みに、「狐七化け、狸八化け」といって、化けることに関しては狸の方が一枚上手だとか。

 その情報も管狐には言わない方が良いだろうな……。

 そう判断し、疑問だけを口に出す。理由は言わずもがな、である。

「知らないよ、メタボ狸の事情なんて。あんな微妙な化け方なんてしてさ。自分のアイデンティティ捨てているんじゃない?」

 管狐は不機嫌そうに鼻を鳴らし、辛口コメントをした。

 でも、管狐。お前も管狐のアイデンティティ捨てているんじゃないか?最近全然管に入っているところ見てないぞ。

 なんて、そんなことも言わないでおいた。

「あー、思い出しただけでも腹が立つ!」

「おいおい、庭の信楽焼の狸を壊さないでくれよ?」

「そんなことしないよ。信楽焼の狸を見るとどうしてもあいつを思い出してイラッとしちゃうんだけど、まあ、置物に罪はないしね。寝ている吐水龍の前で騒ぐのも悪いしね」

「お、お前……そんなに気が遣える奴だったのか!」

 ――あ、ヤバい。

 そう思ったが時既に遅し。今度は思わず声に出してしまった。ああ、今までの苦労は一体……。

 急いで口を閉じたが後の祭りで。

 案の定、管狐が食いついた。

「ちょっとそれどういう意味?」

「えっと、それはだな……というか、何で管狐がここにいるんだ?」

 詰まりながらも話題を変えれば、管狐はきょとんとした様子になった。

「ああ、そうだったそうだった。まつなににきの様子を見てくるように言われていたんだった」

「ばあちゃんに?」

「そーそー。というか、まつなから何も訊いてないの?今日の夕食はまつなの家でお呼ばれになっているんだけど」

「え、知らない」

 いつもより作る量が多いなと思ってはいたけどそういうことか。そして、管狐がいるということはつまり――

 そう考えていると、りりりり、と呼び鈴の音がした。次いで聞こえてきたのは「ごめんくださーい」という聞き慣れた声で。

 どうやら今思い浮かべた人物が到着したらしい。

「というわけで、ゴチになるねー」

「あ、ちょっと待てよ!」

 慌ててじゃがいもの入った袋を掴んで管狐の後を追いかける。

 まだ夕食できていないんだけど!


 後日、そういえばと思い出して庭の信楽焼の狸を見に行った。本当にただの置物かどうかを確認するために。

 別に管狐の言葉を信用しなかったからではない。いつもいつもからかわれているからもしかしたら今回も……と思った訳ではない。

 ……というのは嘘だ。もしかしたらからかわれているんじゃないかと思って、念のために見に来たのだ。

 そう、一応念のために、だ。

「お前、もしかして化け狸?」

 訊いてみたがもちろん返答なんてあるはずもなく。それは本当にただの置物だった。

 置物に話しかけている僕を見て、小鬼たちがきゃっきゃきゃっきゃと笑っていた。

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