第五話(二)
「……あれ?」
なんて、そんなことは全くなく。
煙が立つこともなく、勿論お爺さんになるなんてこともなく、蓋がとれただけで筒は静かに床に転がっていた。
「勘が、外れた?」
何も起きなくて拍子抜けしたが、それならそれでいい。変な勘など当たらない方がいいし、何も起きない方がいいに決まっている。
ほっと胸を撫で下ろしたその瞬間、シュッと筒から何かが出てきた。
「ひぃっ!」
咄嗟のことに驚いてしまい、思わず尻餅をついた。
……うわぁ、情けない。
と、自己嫌悪を感じている間にも、筒から出てきた何かは部屋の片隅に……もとい、部屋の中央に堂々と佇んだ。
ぴんととんがった三角耳。ふわりと揺れるふさふさの尻尾。触り心地の良さそうな純白の体毛。特徴的な細長い口元をくわっとあけて、そいつは大きな大きな欠伸を一つした。
「ふわぁー、よく寝たー」
筒から飛び出してきたそれ――狐は間の抜けた声を発した。
唖然とする僕を気にすることなく、小さな体躯の狐はぐぐっと前脚を伸ばす。そして、きょろきょろと辺りを見回した。
「あれ、ここは何処?……ああ、まつなの家か!」
くんくんと鼻を鳴らして臭いを嗅いだ狐は、一人もとい一匹で合点したようだ。
「あーあー、ボク置いて行かれちゃったのかー」
狐は耳と尻尾をしゅんと垂らして、もの悲しそうに項垂れる。
そうかと思えば、次の瞬間には耳を立てて長い尻尾をぶんぶんと振り始めた。
「つゆりめー!酷いな酷いな酷いなー!ボクを置いて行くなんて!」
……酷くご立腹のようだ。
子どもが駄々をこねるように狐がゴロゴロと床を転げまわる。埃が舞うからやめてもらいたいのだが、騒いでいて聞く耳を持ってくれなさそうだ。
「……おーい」
取り敢えず、駄目元で声を掛けてみる。すると、予想に反して狐はピタリと動きを止めてこちらを見た。
「ねーねー、キミも酷いと思わない?」
「う、うん?そう、だね?」
突然同意を求められたが何が何だか勿論理解できるはずもなく。
訳がわからないものの大人しく頷いてみた。すると、賛同を得られたためか狐は「だよねー」と嬉しそうに尻尾を振った。
「あれ、そういえばキミはだれ?」
狐が首を傾げて訊ねてきた。
今更な質問だなと突っ込んでやりたかった。だけど、こいつが何ものなのかも訊きたかったから僕は素直に答えた。
「僕の名前はにき」
「にき?ここはまつなの家でしょ?」
「そうだよ。僕はまつなばあちゃんの孫なんだ」
「ふーん」
「ふーん、て……」
自分から訊いておいて、興味なんてありませんというようなこの反応は酷い。
気を取り直して、今度は僕が狐に訊く。
「それで、君は?」
「え、わからないの?何処からどう見ても狐でしょ」
「いやそれはわかるけどさ……」
体の色が純白なのは珍しいが、見た目は普通の狐と何ら変わりはない。狐が喋る云々に驚きは隠せないが、こんな小さな筒の中に収まっていたことの方が衝撃的である。きっと、こいつも妖怪なのだろう。
そう予想しつつも疑問があるからこうして訊いている訳で。
「僕が知りたいのは、君がどんな妖怪で、何で筒の中にいたのかってことだよ」
こんな見た目でこんな子どもっぽい言動でも、もしかしたらこいつは危険な妖怪で筒の中に封印されていたのかもしれない。
と、若干不安になっている僕である。
どきどきしながらも、狐の返答を待つ。
「ああ、そっち?それはだね、ボクが管狐だからだよ」
これでわかったでしょ、と言わんばかりに狐が胸を張った。対して、僕は首を傾げた。
「くだぎつね?」
「えっ、知らないの?有名な妖怪だよ?」
「うーん……」
そんなにメジャーなのか。でも、知らないものを思い出せるはずもなく。
頭の上によじ登ってきたが管狐が「何で知らないんだよー」と不服そうに言ってきたが、そこまで妖怪に詳しい訳ではないし仕方がないじゃないか。
妖怪だからなのか、それともこいつだからかはわからないが、頭の上に登られてはいるがあまり重さは感じられない。
管狐を頭の上に乗せた状態で傍においてあった携帯端末を手に取る。インターネットを開いて『くだぎつね』と打てば、直ぐに画面に情報が映し出された。
今のご時世、こうやって大抵の情報を得ることなど容易い。実に便利な世の中になったものだ。……いやまあ、僕は十数年しか生きていないんだけど。
「何してるの?」
「お前のこと調べてるの」
「ふーん……それで、ボクのことわかった?」
「ちょっと待って今読んでるところだから」
画面をスクロールして項目を順番に読んでいく。
管狐。日本の伝承上における狐の姿をした憑き物の一種。
名前の通り、管――竹筒の中に入ってしまう程の大きさで、竹筒の中で飼われている。
別名は飯綱、飯縄権現。術者に使役され、その問いに応答したり、予言をしたりする種々の神通力を持つ。
「……管狐は竹筒の中に入ってしまう程の大きさってここには書いてあるんだけど?」
頭の上にいる管狐は、確かに小さいがその大きさは小型犬程だ。見るからに筒の中に収まる程の大きさではない。
でも、こいつが筒の中に入っていたのは事実で。
そんな僕の思考を吹き飛ばすかのように、ぴょんと頭の上から飛び降りて僕の目の前であっけからんと本人は言う。
「うーん、確かに筒の中に入るぐらいの手乗りサイズ奴もいるけど絶対にそうって決まっているわけじゃないよ」
「そうなのか?」
「そうそう。蛇みたいにひょろっとした姿をしている奴もいるし、ボクみたいに普通の狐とあまり変わらない姿をしている奴もいるしね。ほら、狐それぞれって言うでしょ?」
「いや言わないよ」
とまあ、突っ込んでみたものの、この管狐の言う通りかもしれない。
画面を見てみれば狐の妖怪でも色々種類があるようだし、何より人間という類の自分たちにもそれぞれ違いがあるのだ。例え同じ妖怪でもあっても違いがあるのは当然と言えば当然のことなのかもしれない。
ふむふむ、と一人納得しながら続きを読み進める。そして、ある一点の記述を見て僕は固まった。
「なお、他家から品物を調達することでその術者の家は栄えるが、七十五匹にも増えるため、やがては食い潰されて家が没落する……」
……マジか。
チラリと管狐を見遣る。
顔を顰める僕に気づいた管狐がむすっと膨れっ面になった。
「ちょっと、ボクはそんなことしないよ」
「そうなのか?」
「そうだよ。雌雄一対にして子どもが増えるとそうなるの。欲深い奴がもっと裕福になりたいと願って狐を増やすからそうなるだけ。そもそも、つゆりはそんなこと願わないし。それに、ボクはまだ独り身を謳歌したいし。つがいがいなくても全然問題ないし。というか逆に困る。女房の尻に敷かれるなんて絶対に嫌。まあ、あれだよ。人間でいう『悟り世代』って奴だよ」
「……そうなのか」
妖怪にも悟り世代なんてものがあるのか。
腕を組んで考えていると管狐が「そう言えばさ」と口を開いた。
「キミ、ボクのことが視えるんだね」
「今更な質問だな」
今まで普通に話をしていたのに何言ってんだこいつ。
僕の心の声など露知らずの管狐は見定めるように僕を足元から頭まで見て目を細めた。
「……何だよ」
「いや別にー。ただ、視える人間なんて珍しいなぁって」
「そうなのか」
「うん。ここら辺じゃ、まつなとつゆりぐらいしかいないから」
「……お前はつゆりさんとどういう関係なの?」
先程から度々管狐の口から出てくる彼女の名前。それがさっきから気になって仕方がなかった。
漸くそれについて訊けると思ったら、管狐はニヤリと口元を歪ませた。
「知りたい?」
「知りたくなかったらそもそも訊いてない」
「そうだよねー。うーん、どうしよっかなー」
何故だか勿体ぶってなかなか話そうとしない管狐が腹立たしい。
僕は傍らに置いてあった筒を持ってすっくと立ち上がった。
「何?急にどうしたの?」
不思議そうに首を傾げる管狐を無視し、数歩歩いて庭へと続く戸を開ける。
「三秒以内に言わないと窓からこれ投げるぞ」
「えっ!?」
「さーん、にー、いーち、」
「わー!教える!教えるからそれだけはやめて!」
投げる真似をしてみせれば管狐は必死に僕の腕に縋り付いてきた。
本当に投げるつもりなどなく、ただの脅しで形だけやってみただけだったんだけど……案外チョロいなこいつ。
「何しようとしてくれるのさ、この人でなし!」
「妖怪が何をいう」
「優しくない男はモテないぞ!」
「よしわかった投げる」
「やめてー!」
再び筒を投げようとする僕とそれを止める管狐。
僕らのじゃれあいもとい攻防戦は暫く続いたのだった。




