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第一話 家鳴(一)

 空を仰げば照りつける太陽に目が眩んだ。青い空には大きな積乱雲が浮かんでいる。それを眺めていると「夏だなぁ」と当たり前の言葉が口をついた。

 夏の日差しの下、都会というよりは田舎、ど田舎というよりは都会、でもどちらかと言えば田舎な町を僕は彷徨っていた。

「この道を真っ直ぐでいい、はず……」

 ずれた帽子を直して改めて手元を見遣る。携帯端末の地図アプリと記憶を頼りに歩いていく。何かあった時のためにと父さんに持たされた携帯端末は早速役に立っていた。

 桜の木が道端にある十字路に差し掛かった時、ふと顔を横に向ける。

「あ、ここか」

 四方は石塀で囲われている。中央には黒い鉄門。その上にかかるように生える松。そして、その奥に佇む家。

 記憶の片隅にもあるその家はまさしく祖母の家だった。

「……着いた」

 ほっと胸を撫で下ろす。携帯端末を持ってはいたが、そこはやはり慣れない土地。ちゃんと辿り着けるかどうか少し不安だったのだ。

 それにやっぱり緊張していた。いや、今も緊張している。家の外面を見ても祖母がどういう人物なのか未だ思い出せてはいないから。

 深く息を吸って吐く。ゆっくりと僕は呼び鈴へと手を伸ばした。

 と、その時。

 僕が押す前にがらがらと玄関が開いた。

 手を伸ばしたまま、はた、と固まる僕。対して、家から出てきたその人物は特に驚いた様子はなくこちらへ歩いて来て黒い鉄門を開けた。

「よう来たね」

 真っ白な髪を後ろで一つ結びにしたその人物――僕の祖母ことまつなは、優しそうな笑みを浮かべる。

「にきちゃん、大きくなったねぇ。前に会った時はこんなぐらい小さかったのに」

 祖母が手で当時の僕の身長を示した。

 ……僕、そんなに小さかったっけ?

 祖母が示した高さが低かったため、内心で首を傾げる。

「あ、でも目元は変わっとらんね」

 当時の面影を見つけたからか、祖母が嬉しそうに微笑む。

 まあ、僕は僕ですから。

 と、心の中で言いながらも、祖母が現れてから自分が一言も声を発していないことにはたと気がつく。

 居住まいを正して、僕は挨拶をする。

「ご無沙汰しております。今日からお世話になります。宜しくお願いします」

 緊張のあまり堅苦しい挨拶になってしまった。

 祖母もそう思ったのか、その笑みが更に深くなる。

「こちらこそ宜しくね。さあさ、こんなところで立ち話も何だし、早よ中に入ろうか」

 促されて僕はその後についていく。きょろきょろと辺りを見回して、景色を見ながら玄関へと向かう。

 敷地内に入ってすぐ、両側に大きな岩があった。それを越えて右に行けば手洗い場が、左に行けば庭へと続く道がある。縁側に面しており、小さな石橋もあるそこそこ大きな庭だ。

 池もあるのだが水はたまっていないようだ。飛び石を超えて石橋を走り渡っていた記憶が頭を過ぎる。

 真っ直ぐ進めば家の玄関だが、その間にも名前もわからない草花や木々があった。

 玄関の前には梅の木があり、時期になれば大きな実を実らせてぽとぽとと落とす。それを小さな手で拾っては喜んでいたのも朧気だが覚えている。

 懐かしさを感じていたその時、庭の木々がざわざわと揺らめきだした。風も吹いていないのに、だ。

 あれ、と少し不思議に思ったが、鳥が木に止まっただけだろう。

 特に深く考えることなく、「さあさ、お入り」と玄関の扉を開けた祖母に倣って、「おじゃまします」という言葉とともに中へと入る。土間で靴を脱ぎ、きちんとそれを揃えて段差を登った。


 案内されたのは、真正面に襖、他三方を障子で囲われた部屋だった。部屋の中央には年季の入った木製の机があり、片隅には積まれた座布団があった。

「暑かったでしょう。さあさ、一服しましょうかね。お茶持って来るからちょっと待っててね」

 座布団を敷きながら祖母が言った。

 僕は促されるまま荷物を置いて座布団の上に正座した。

 それを見ていた祖母がくすくすと笑った。……何か可笑しかっただろうか。

「別に正座じゃなくて胡座でいいんよ」

「ああ、はい」

 言われて足を崩す。よしよし、と頷いて祖母は部屋から出て行った。

 それを見届けて、はあと息を吐いた。一旦座り込んだせいか、疲れがどっと押し寄せてきた。

「あー、疲れた」

 寝転がりたいところだがそこまでだらけるわけにもいかない。

 手持ち無沙汰だったためぐるりと部屋を見渡す。

 見上げれば松や竹、鳥の彫刻が施された部分がある。

 今は閉じられているが、富士山と鶴が描かれた襖の奥には更に部屋があって、そこには確か仏壇があったはずだ。

 何となくだけど覚えているもんだなぁ……。

「……ん?」

 思い馳せていたその時、ふと視界の片隅で何かが動いた気がした。

 そちらを見てみるがそこには何もない。

「気のせいか……」

 そんなに疲れがたまっているのかなぁ……。

 そう思っていると、障子が開いた。入ってきたのは言わずもがな祖母である。

「お待たせ。さあさ、どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 出されたコップを受け取ってぐいっと飲む。キンキンに冷えた麦茶が喉の渇きを潤していく。自分が思っていたよりも喉が渇いていたらしい。

 僕は止まることなくごくごくとそれを飲み干した。

「おかわりいるかい?」

「あ、もう大丈夫です」

「そうかい。それにしても、さっきから気になっていたんやけど……にきちゃんはいつもそんな風に喋っとるの?」

「え?」

「さっきから敬語ばかりよ」

「ああ……いえ、違います」

「ほらまた」

 指摘されて、あ、と口元をおさえる。そんな僕を見て祖母が笑った。

「私はにきちゃんのおばあちゃんなんよ?まあ、そういう風に敬語を使えって躾る家もあるんやろうけどね。私の前で敬語なんて使わなくていいんよ。あと、何処かに出掛けてここに帰ってくる時はただいまと言うんよ。おじゃましますはやめてな」

「は、はい……じゃなくて、うん、わかったよ」

 僕の言葉を聞いて、祖母――いや、ばあちゃんが満足そうに頷いた。

「さて、にきちゃんの部屋やけどね、離れの部屋を掃除しておいたんよ」

「離れってあそこの部屋だよね」

 僕は庭の方を指差した。庭の奥には小さな建物がある。そこが離れで、この母屋の渡り廊下を歩いて行けばそこにたどり着けたはずだ。

「よう覚えとるね」

「いや、何となくだけど……」

「にきちゃんがこの家で暮らしていたのは、もう何年も前のことやのにねぇ……」

 感慨深げにばあちゃんが頷いた。


 そう、僕はこの家で暮らしていたことがある。とは言っても、ばあちゃんの言うとおりもう何年も前のことだ。

 今回のように父の仕事が忙しく、僕が幼かったのも相俟って、ここに預けられていたらしい。

 今の僕からしたらその時の記憶は酷く曖昧で。まあ、僕も幼かったから、覚えていなくても仕方がないだろう。

 だが、この家で過ごしたのはそれから一度もなかった。

 何故だかわからないが、昔の僕にはどうしてもこの家に行きたくないという思いが強くあって。

 尤も、その思いがもう薄れているからこうして僕はこの家に来たのだけれど。

 ……どうしてここが僕にとって鬼門のような場所になったのだろう。

 考えてみるがさっぱりわからない。

 ここにいても、特に嫌な気はしない。ああ、あそこにはあれがあったな、などと思い出すのも楽しい。何より懐かしくて安心する。ただ、何処か不思議な感じはするのだけれど、それはきっと住み慣れていない家に来たからだろう。

 物思いに耽っていると、突然電灯ががたがたと揺れ出した。

「じ、地震?」

 驚いた僕は慌てて腰を上げかけたが、ばあちゃんにそれを制された。

「大丈夫だから座ってなさい」

 ばあちゃんがのんびりとお茶を啜る。その姿に、慌てている僕の方がおかしいんじゃないかと思えて、多少心配ながらもその場に座り直す。

 けれども一向に部屋の揺れは収まらない。僕は取りあえず電灯が落ちてこない位置に移動しようとした、のだが――

「いい加減にしなさい!」

 突然ぴしりとばあちゃんが叫んだ。

 その声にびくりと肩が揺れる。どくどくと心臓が鳴り、少しばかり冷や汗が出た。

 ……僕、何かやらかしただろうか。

 素行?……いや、ばあちゃんの言うとおり座っていたし。もしかして、移動しようとしたから怒られたのか?

 考えてみるがわからない。理由はわからないが謝っておいた方がいいだろうか。

「すみませんでした」

「何でにきちゃんが謝るの?……ああ、悪かったね。さっきのはにきちゃんに言ったわけじゃないんよ。びっくりさせちゃってこちらこそ悪かったねぇ」

「い、いえいえ大丈夫です」

「にきちゃん、また敬語」

「……あ」

 僕たちがそんな遣り取りをしている間にも部屋は揺れ続けている。

 やれやれといった様子でばあちゃんが立ち上がる。

「早くやめなさい。悪い子は締め出すよ」

 部屋中に響き渡るように告げられた言葉。笑顔で紡がれたそれには、有無を言わせぬ圧力があった。

 ああ、この人を怒らせちゃいけない。

 直感的に僕は思った。

「怒られたー」

「怒られたー」

 ぴたりと揺れが収まったかと思えば、とすん、と上から何かが落ちてきた。それも続け様に、だ。

「驚かそうと思っただけなのにー」

「だけなのにー」

 赤と青のそいつらは机の上で、きゃっきゃきゃっきゃと騒いでいる。対して僕は目を丸くした。

 頭に二本の角を生やした赤いモノと、一本の角を生やした青いモノ。

 そいつらの姿は、信じがたいが昔話によく出てくる鬼のそれだった。けれど、決しておどろおどろしいモノではなく、手のひらサイズの可愛らしい小鬼だった。

 彼らがぴょんぴょん飛び跳ねる毎に、どしんどしんと机が揺れる。

「これお前たち、机の上でそんなことをするんじゃないよ」

「はーい」

「はーい」

「全く、いつになったらその素直な返事が本当になるのかしらねぇ……」

 慣れた様子でばあちゃんが小鬼たちを諫める。

 一方僕はというと、未だ固まったままだった。

 目を見開いて、金魚のように口をぱくぱくとしている姿はさぞかし滑稽だろう。

 そんな僕を見て、ばあちゃんがちょっと驚いた様子で訊ねた。

「おや、この子たちが視えているのかい?」

「う、うん」

 こくりと頷けば、「そうかいそうかい。視えているんだねぇ」と微笑まれた。その笑顔は何処か嬉しそうだった。

 僕は目の前にいる奇怪なモノたちの存在が信じられなくて、古典的ではあるが自分の頬を抓ってみる。

「……痛い」

 夢ではない。どうやらこれは現実のようだ。

「何で頬抓ってるのー?」

「抓ってるのー?」

「自虐趣味でもあるのー?」

「あるのー?」

「そんな趣味ないわ!」

 僕は思わず突っ込んだ。

 だが、小鬼たちはきゃっきゃきゃっきゃと笑うだけだった。きっと、僕の反応を見て面白がっているのだろう。……いや、どう見ても面白がっている。腹抱えて笑っているし。

「ごめんなさいね、にきちゃん。この子たちは悪戯っ子でね。さっきの家鳴もあの子たちが原因なのよ」

「やなり?」

「さっきの揺れのことよ。ほら、あんたたちも謝りなさい」

「あんまり驚いていなかったからやだー」

「つまんなかったからやだー」

 小鬼たちが不服そうにぷくっと頬を膨らませる。そして、ぱっと机から飛び降りてどろんした。

 それはもう脱兎のごとく……いや、兎は消えはしないし、そもそも奴らは兎なんて可愛いモノではない。

 騒がしかった二体がいなくなり、まるで台風が過ぎ去ったかのように部屋に静寂が戻った。

「……えっと」

 僕は口を開いたがすぐに噤んだ。

 いきなり現れて消えたあいつら――小鬼のことをばあちゃんに何て訊けば良いのかかよくわからなかったから。

 けれど、ばあちゃんは僕のことを見透かしていた。「ええよ。何でも訊きなさい」と静かに告げたのだ。

 許可を得た僕は再び口を開く。

「あいつらって何なの?」

「見ての通り小鬼だよ。妖怪、あやかし、物の怪、怪異、魔物、化け物――呼び方は色々あるけど、まあそういった類の子たちよ」

「……へぇー」

 然も当然といった風に説明され、僕は頷くことしかできなかった。

 妖怪なんてそんなモノ、信じられないが先程確かにこの目で視た。

 今は痛みが和らいでいるが、抓った頬は確かに痛かった。

 お伽噺や昔話で出てくる妖怪は確かに存在していたのだと僕は悟った。

 不思議なことに妖怪のことを否定する気にはなれなくて……僕はその事実をすんなりと受けいれたのだった。

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