緊急事態?
撮影現場には10分遅れて到着した。
「すいません、遅刻しました」
着くなり舞香は頭を下げる。
この業界は特に遅刻は厳禁なので、とても気まずい。
ところが、そこにいたのは同じ読者モデルの菅野沙織だけで
もう一人、一緒に撮影する読者モデル、大野まりやの姿はなかった。
「あれ、まりやは?」
そこに編集長の藤田奈緒美がやってくる。
「それが連絡付かないのよ。あの子が遅刻なんて珍しいから何かあったんじゃないかって心配で…」
まりやは確かに今まで1度も遅刻したことがない。
そういう舞香も今日を除けば過去に2度しか遅刻していないが、2回と0回は別だ。
「とりあえず舞香と沙織は支度して」
「あ、はい」
舞香と沙織はメイク室へ入り、支度を始めた。
髪やメイクはもちろん、ヘアメイクさんがやってくれる。
家を出る前に舞香がやったヘアセットとメイクは、あくまでも最低限のベースだけだ。
念入りにやってもらい、次は撮影用の衣装。
新作の服を着て、スタイリストさんが衣装を整える。
1時間ほどで準備が終わったころで、メイク室に奈緒美がやってきた。
「やっとまりやと連絡がついたんだけど…交通事故に遭ったらしいの」
「え?交通事故??」
予想もしなかった言葉に舞香も沙織も驚く。
「足を骨折したみたいで…もう一人どうしよう、ほかのモデルの子当たってみたけどすぐ来れそうな子がいなくて。締め切りの関係があるから今日中に撮影しないといけないのに」
奈緒美は愚痴とも取れるような言葉をぼやいていた。
思わず沙織が口を挟む。
「2人じゃダメなんですか?」
「3人でそれぞれ3着紹介する契約なのよ…困ったなぁ。ねえ、臨時でいいから誰かオシャレな友達いない?」
この言葉を聞いて、とっさに萌衣と聖菜が思い浮かんだ。
オシャレは好きだし、読者モデルをやりたがっていた。
でもどっちか1人に声をかける訳にはいかない。
呼ばれなかった1人が怒るからだ。
うーん…うーん………………ん?一人いる!
オシャレじゃないけどちょうどいいのが!
「奈緒美さん、一人います!すぐ来れる子が」
「ホント髪がなげーな…」
なんとなく自分の髪を触っていると、突然スマホが鳴りだした。
「だ、誰だ?」
裕香としてしか面識がない相手からだったらどう接していいかわからない。
恐る恐る画面を見ると、舞香と出ていたのでホッとした。
「もしもし」
「ねえ、今からスタジオ来て!」
あまりにも唐突すぎて驚いてしまった。
それにこんな状況で外になど出られるはずがない。
「バカか、無理に決まってるだろ!」
「いいから、人手が足りなくて裕哉…じゃない、裕香しか頼めないの!」
「知るかよ、そんなの。それに俺は裕哉だ!」
なぜ裕哉と知っているのに裕香と呼ぶんだ。
それが無性に腹が立った。
だが、舞香はお構いなしに話を続ける。
「いい、時間が押してるから1時間以内に来て!場所は…」
舞香は一方的に場所を伝えて電話を切ってしまった。
「ふざけんなよ、なんなんだよ一体」
ムカついたので無視しようとしたが、そういうわけにもいかなそうな感じだった。
「仕方がない…貸し1つだな」
そうつぶやき、持ってきたものと変わっていたが、間違いなく裕哉のものであろう
ボストンバッグを開けて服を探す。
裕香が着ている服は、裕哉が着ていたものとさほど変わってなかった。
ジャージを脱ぐと胸の谷間が視界に飛び込んできた。
無地のシンプルなブラに胸がしっかり治まっている。
一瞬ドキッとしたが、気を取り直して、
いつ買ったかわからない少しくたびれたTシャツを着る。
次にジーンズを履き、チェックのシャツを着た。
普段とあまり変わらない恰好だからか、思ったよりも違和感がなかった。
まあ…なんとかなるだろう。
リュックを背負って、玄関へ行き、黒いスニーカーを履いて駅へと向かっていった。
舞香は少し…いや、かなり不安だった。
「全然オシャレじゃないんですけど妹はわたしに顔が似ているので…きっとメイクとかでカバーできると思うんです」
「舞香の妹ねぇ…まあ似てるなら大丈夫でしょ。非常事態だしね」
こうして承諾してもらったので裕哉を呼んだのだが、
あのダサい格好を見たらどういう反応をするだろうか。
舞香は裕香のことは全然知らない。
知っているのは裕哉のほうだけだ。
でも雰囲気からして想像がつく。
絶対に裕香もオシャレに興味がない無頓着な人間だ。
一体どんな格好でここに来るのだろうか…想像しただけでも恐ろしい。
だが、舞香にはどうしても譲れないことがあった。
それは妹がダサいということだ。
弟でも我慢できなかったのに、それが同性の妹となるとなおのこと。
ここで、ちゃんとセットしてもらってオシャレな妹にしたい、そう考えていた。
それをキッカケに絶対オシャレにしてやる。
そのとき、ふと頭の中をよぎるものがあった。
(これがせめて妹だったら無理矢理でもオシャレさせるのに)
昨日の夜、わたしは確かに心の中でこう呟いた…それが現実になったってこと?
わたしのせい…?
突然スマホが鳴ったので慌てて画面を見ると「裕香」と表示されている。
舞香の電話帳にも裕哉ではなく、裕香と登録されていた。
気を取り直して電話に出る。
「着いたよ」
「待って、すぐ迎えに行く」
急いでスタジオの入口に向かうと、思わず額に手を当ててしまった。
裕哉が予想通りの格好をしている。
いくらなんでも無頓着すぎる…仮にも女の子なんだからさ…
「裕香もひどい格好なんだね」
思わず言ってしまうと、裕哉がムッとした顔になる。
「姉貴が来いっていうから来たのになんだよ!帰るぞ」
機嫌を損ねたら面倒だ。
とりあえず謝っておこう。
「ご、ごめん」
「ったく…それにしてもずいぶん雰囲気が違うな」
「撮影用にちゃんとやってもらったから」
「ふーん。で、俺は何をするの?」
そう、ここからが本題だ。
裕哉は絶対に嫌だというだろうけど、ここまで来ればこっちのもん。
「わたしと一緒に読モ」
「は?バカか!やるはずないだろう、興味もない!それに俺は男だ」
「予定してた子が事故に遭ってモデルが足りないの。お願い!」
舞香は手を合わせて頭を下げた。
でも、これは作戦だ。
こうやって頼まれると裕哉は断れないのを知っている。
ややあってから「今回だけだからな」とふてくされるようにつぶやいた。
舞香は心の中で舌を出してニヤッとしていた。