裕哉から裕香に
起きると10時を過ぎていた。
「ヤバい!」
12時から撮影があるので舞香は慌てて支度を始めた。
急いで髪をセットし、メイクをしてから着替えると、時間は11時になっていた。
「なんとか間に合うか…あー焦った」
胸を撫でおろしてから隣の部屋で寝ている裕哉に声をかけるためにドアを開けた。
一応…いる以上一言くらいは…ね。
「裕哉、撮影に行ってくるから」
「ああ…」
まだ寝ていた裕哉は布団の中から返事をした。
だが、その声にとても違和感があった。
まるで女の子の声だったからだ。
「裕哉…?」
そーっと顔を覗き込んでみると、そこにいたのは裕哉ではなく女の子だった。
「ちょっと、誰!?」
大きな声を上げながら布団を剥ぐと、ジャージ姿の女の子が寝ていた。
だが、なんとなく見覚えがある。
それはどことなく自分に似ている顔だったからだ。
女の子が目を擦りながら舞香を見てきた。
「なんだよ姉貴…うるせーな」
女の子は「姉貴」と呼んだ。
この女の子が舞香には誰かわかってしまった。
「裕哉…でしょ」
「何言ってるんだよ、当たり前だろ」
大きなあくびをして上半身を起こした。
そこで裕哉もようやく自分に対する違和感を感じ取った。
「なんだこの声…それに身体がなんか変だ…」
顔には長い髪がかかる。
こんなに長いはずない…
それに胸を締め付ける感覚がある。
恐る恐る胸に手を当ててみると、そこには確かな膨らみがあり、ブラまでしていた。
「嘘だろ!」
慌てて股間に手を伸ばすと、そこにあるべきものは存在していなかった。
それにどうやらパンツも女物を履いている感じだ。
「おい姉貴!これどういうことだよ??」
裕哉は明らかにパニックになっている。
だが、それは舞香も同じだった。
なにせ弟が女になっているのだ。
「そんなのわたしだって知らないよ!変なもの食べたりした?」
「姉貴の冷蔵庫にあったものしか食ってないよ!なんなんだよこれ…」
裕哉が落ち込んでいると、舞香のスマホに電話がかかっていた。
画面には母親の聡子と表示されている。
「お母さんからだ…裕哉のこと言わないと…」
「え、待てよ!言うなよ」
「そんなわけにいかないでしょ!だってどうしていいかわかんないもん…」
舞香は母親にこの事態の答えを求めたかったので、通話を押した。
「もしもしお母さん!?」
「どうしたのそんなに慌てて」
聡子は呑気に返事をした。
それもそうだ、聡子は今起きている事態を把握していないのだから。
「大変なの、聞いてよ!」
「なによ一体?それより裕香の面倒見てくれてる?」
聡子の言葉に思わず舞香が聞き返した。
「ゆう…か?」
「そうよ、裕香まだ高校卒業したばかりだから、住むところ決まるまで面倒見てねってお願いしたじゃない。姉妹なんだから本当は一緒に住んでくれたら安心なんだけど、舞香が嫌がるから」
「姉妹…?」
母親の言っている意味がわからない。
ひょっとして裕哉のことを言っているのだろうか?
だが聡子は、裕香と言い、姉妹と言っている。
「じゃあよろしくね」
そういうと、一方的に電話を切られてしまった。
舞香は切れたスマホを耳に当てながら茫然としている。
その様子を裕哉は不安げに見つめていた。
「お母さん…なんだって?」
恐る恐る聞いてみると、舞香はスマホを下ろして裕哉を見つめた。
「裕哉のことを裕香って…わたしたち姉妹って言ってた…」
「お母さん頭おかしくなったのか??」
裕哉はそういうが、舞香はそう思わなかった。
そのとき、舞香の頭の中で何かがピンときた。
ひょっとしたら、裕哉が女だったらという現実では?
どういう理由かはわからないけど、裕哉が男だったと認識しているのは
わたしと本人だけでは?
「裕哉、アンタ免許取ったって言ってたよね。ちょっと免許証見せて」
裕哉は免許証が入っている財布を探した。
「確かカバンに入れてたはず…」
ところが自分のカバンが見当たらない。
代わりにシンプルなレディースの青いリュックが置いてあった。
「これ姉貴の?」
「違うよ!そんなダサいの持ってないし。それアンタのでしょ?」
俺のじゃない、と思いながらもそのリュックの中を開けてみる。
奥にはやはり、レディースの財布が入っていた。
もちろんノーブランドでシンプルなものだ。
その財布の中を見てみると免許証が出てきた。
「な、なんだこりゃ??」
名前が君川裕香になっていて、写真も今の女の裕哉のものになっている。
「やっぱり…」
舞香の予想は当たっていた。
これで裕哉がすでにブラや女物のパンツを履いていたことも、
聡子が「裕香」と呼んでいたことも納得がいった。
「ここは裕哉が女という現実の世界なんだよ」
現実という言葉でハッとなる。
時計は11時30分を指していた。
「あ、ヤバい!!行かなきゃ!!」
舞香が慌てて玄関に向かう。
「お、おい!俺はどうすればいいんだよ」
「撮影終わったら帰ってくるから!」
それだけ言って、舞香は急いで家を飛び出し、駅に向かった。
「俺が女の世界?なんだよそれ…」
少しうずくまってから立ち上がり、鏡に向かった。
そこに映るのは間違いなく女の姿だ。
顔をよく見ると、舞香によく似ている。
姉弟の頃でも似ていると言われていたが、より似たと思う。
背は少し縮んだらしい。
170cmだったが、どうやら今は160ちょっとしかなさそうだ。
髪は肩よりも下にある。
だが、特にオシャレな感じはしない。
裕哉のものと思われるリュックなどを見ても、
どうやら女の裕哉もオシャレには無頓着な人間らしい。
試しにリュックを漁ったが、メイク道具などはやはり入っていない。
小さなポーチがあったが、中身はポケットティッシュや絆創膏だ。
更に謎の包みがあったので開いてみたら、それはナプキンだった。
「わっ!」
慌てて投げてしまった。
「そうか…女なら必需品なのか…」
ナプキンを拾い、ポーチに戻す。
「ずっとこのままだと、これを使う日がくるのかな…」
想像しただけで怖くなり、頭を横に振ってから考えないようにした。
そのまま下を向くと、スマホが視界に入る。
真っ黒に透明のカバー、これは男のときに使っていたのとまったく同じだった。
どうやらオシャレだけでなく、かわいい物などにも興味がないみたいだ。
入っているアプリなどを見てみると、基本的には今までと変化はなかった。
裕哉が好きでよくやっているパズルゲームのアプリもちゃんとある。
何気にLINEを開いてみると、そこには知らない女の子の名前ばかりだった。
それもそうだ、女なんだから女友達のほうが多くて当たり前だ。
だが、名前やあだ名だけでは誰が誰だかわからない。
そこで今度は電話帳を開いてみる。
「秋山唯…ああ、あの秋山か。それに片野晴香…秋山と片野は仲良かった気がする。俺はこの2人と仲が良かったのか」
唯と晴香は高校3年のときに同じクラスだった。
2人ともおとなしくて地味なタイプだ。
なるほど、なんとなく納得がいく。
逆に、裕哉として仲が良かった男友達の名前は電話帳にまったくなかった。
「まさに俺が女になった感じだな」
思わず自嘲気味に笑っていた。