入道雲をコントロールできたなら
「入道雲をコントロールできたらいいのに」
彼女がポツリと零したその言葉の意味を、俺はまだ推し量ることができなかった。
♢
高校二年の夏休み、補習を受けていた彼女と俺は教室に残り、課題をこなしていた。
他の生徒は補習が終わるやいなや、教室を飛び出して帰ったので、今は二人きりだ。
窓際に座る彼女のシルエットが、強烈な夏の日差しによって、教室内に浮かび上がる。
背中まで伸びた黒髪は纏められておらず、窓からの風に靡いていた。
首筋に髪が幾本か、汗で張りついている。色香を感じさせるその横顔に、俺の鼓動は早まった。
ふと、彼女はなにか思い立ったように顔を上げ、俺の方を振り返る。
見惚れていたのを誤魔化すために、慌てて俺は視線を逸らす。
「ねぇ、そろそろ帰ろっか。」
彼女の言葉に小さく頷いた俺は、手早く帰り支度と戸締りを済ませる。
彼女は、俺が帰る準備する間、ずっと窓から空を見上げていた。
♢
幼馴染の彼女と俺は、いつものように一緒に帰路に就いた。「幼馴染の友人」というこの距離感に、俺はもどかしさを覚えている。
半歩前を歩く俺には、彼女の表情を窺い知ることができなかった。
靴音と気配を頼りに、彼女の歩幅に合わせて歩を進める。
規則正しく響いていた靴音が、突然止まった。
右側を振り返ると、彼女が空を見上げていた。
「どうした?」
問いかける俺に、彼女は視線を下げ、緩く首を振る。
「なんでもない。ただ、夏だなぁって思っただけ。」
その言葉に俺は首を捻るが、彼女が歩き出したので、また歩幅を合わせることに集中した。
♢
分かれ道に差し掛かかり、いつもはここで彼女と別れて帰るのだが、今日は違った。
突然、彼女が俺の右手を軽く引いたのだ。
「……どうした?」
早まる鼓動を誤魔化すように、俺は彼女に問う。本日二度目の問いに、彼女は俺の顔を見て言った。
「そろそろだから。」
「え?」
ポツリ。彼女に引かれた手の甲に一雫。
次の瞬間、空から大粒の雨がたくさん降ってきた。
俺は慌てて、彼女の手を引き、近くの喫茶店の軒先に飛び込む。
「……止まないと、帰れないね。」
彼女は悪戯が成功した子供のような顔をして、繋ぎっぱなしになっていた手を見つめる。
「あぁ、そうだな。」
確かにこんな土砂降りじゃ帰れない。
俺はやっと彼女の意図に気づいて、彼女と繋いだ手を強く握り直した。
まだ暫くは彼女と一緒にいられる。今日こそ彼女に「好きだ」と告げよう。
入道雲から降り注ぐ、この雨が止むまでに。
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