四話目
給仕をしていた部下は、自分が少女を殺そうとしていたにもかかわらず恐怖を感じていた。少女は何処か所在無さげな顔をしていた。首を切られようというのに何も感じない人間を見ると不自然に感じる。
部下は腕を少女の体に巻き付けて顎を持ったとき瞳を揺らしていたので安心した。しかしすぐに頬を赤くして目を伏せたので、部下が少女に近づいたから恥ずかしがっているのだと気づき、少女の前に座っている男と同じ恐怖を感じたのだった。
だから首を掻き切った、いや、確かに掻き切った手ごたえを感じた時に少女の首から血が出なかったので、むしろ安心できた。
それで命を失うことはないと分かっていたから怖くなかったのだろうと。
「どうですか。これで証明になるでしょうか。」
少女から部下が腕を離し、男は軽く頷く。男が見る限り部下の動作に違和感はない。間違いなく少女は死ぬ、そう男は感じた。しかし、部下が首筋を掻き切った後に僅かに赤い線が見えたような気がしただけで、しばらくたっても血が噴き出すようなことはなかった。
確かに、殺せたはずの少女は死んでいない。死ぬ様子もない。
「というより、お前は魔法を使えるのか。あれは魔法だったのか。」
「あれ、言ってませんでしたっけ。………あれ。」
軽く首をひねる少女に対して、当たり前だろうと心の中で言う。少女が部下を倒した時、男は少女が何をしたかは分からなかった。
それに魔法で何ができるのかはよく知らない。指から火を出して自慢していた貴族を見たことはあるが、それ以上何かさせる前に殺してしまった。
だから魔法のことを聞いた後も、少女が魔法を使って部下を倒したのか、それ以前に少女が魔法を使えるのかどうか判断が付かなかった。
「あの、今、私の事殺す気だったんですか。」
真面目な顔をして聞いてくる少女だが、男はやっぱりなぜそんなことを聞いてくるか分からない。組織をたった一人で壊滅させかけた少女のことを全く殺そうとしないのは、組織の人間以外のすることだ。
それに男にとって重要なことは他にもある。
「そんなことよりも、これじゃ証明にならない。魔法を使える人間の中でお前だけが特別だという可能性もあるし、前も言ったように俺は魔法を使っていた人間を………ああ、あと魔族も殺したことがある。」
話をそらされたと不服そうな顔をした少女は、一回きょとんとした表情を見せた後にもう一度不服そうな顔を見せる。男が少女の話をなかなか信じようとしないことが不満、というよりも苛立つことなのだろう。
「じゃあ、私の首を切ろうとした人はどうなんですか。貴方の様に魔法を使う人間を殺したことがあるのですか。」
少女の言葉に頷く部下と男。驚いた様子を見せる少女だが、これは少女の言葉を否定する話ではない。
「殺したことはあるが、どれも毒殺で済ませている。基本的に魔法を使うような標的は、こちらが姿を見せると殺しに来るからな。隠れて毒殺するのがいいんだ。」
少女は肩透かしにあったように体から力を抜き、安堵の表情を見せる。自分の言葉が否定されたわけではないと理解して安心したのだろう。
しかし、それはそれとして、男の言葉に少女は疑問を覚える。
「逆に、なんであなたはナイフで殺したりするんですか? 魔王も、私の父も。」
少女が自分から男の殺した人物、スケア・フィアマギの話を振ってきたので驚く男。そんな反応はいらないとばかりに少女は顔の前で軽く手を横に振る。
男は自分の父の話なのに全く興味がなさそうな少女を不審に思いながら、少女の質問に答える。
「偶にそういう依頼主からそういう指定があるんだよ。そういう依頼は厄介だし、そんなに数もないから全部俺がやることになっている。それだけの話だ。」
少女も貴族の一員なのか、男のその話だけで理解したそぶりを見せる。貴族の場合死ぬ場所や死に方でいくらでもその貴族の死の意味が変わるのだ。場合によっては誰かに殺されたことが分かりやすいほうがいいこともある。
「そうなんですか。まあ、それはいいんですが、ではどうしたら私の言葉を信じてくれるでしょうか。そして私にあなたの暗殺スキルについて教えてくれるでしょうか。」
その言葉に間髪入れずに男は答える。
「俺にもお前の首を切らせてくれ。」
「駄目ですよ。あなたにやらせたところで、スキルを使われたら意味がありません。」
と少女は男の言葉にすぐさま答えて、そのまま死んでしまいます、と続ける。男もこうなるだろうなとは思っていたが、実際のところ自分でやってみないと納得は出来ない。人づてに聞いた情報は間違えが多いということを仕事柄よく理解しているのだ。
だから、自分で試せないとなると男はこう答えるしかない。
「それじゃあ、魔法を使うやつを一撃で殺せないという話を信じることは今すぐには出来ないな。」
今すぐでなければ確かめる方法はある。少女が渡してきた書類に書かれていたようなことを、適当な暗殺の標的を見繕って実験してみればいい。どちらにしろ男には影響がないとはいえ、部下がナイフで暗殺できない標的がいるかもしれない、というのは一度確かめてみなければならないことだ。
男の言葉に、そうですか、とだけ答えた少女は全く焦った様子を見せない。最後には魔法を使って言うことを聞かせればいいとでも考えているのだろうか、と男は思う。それならわざわざこちらにそんなことを信じさせなくともいいような気がする。
結局、少女は何がしたいのだろうか。そぶりだけとはいえ土下座をして、怖くなかっただろうとはいえ自分の首にナイフを当てさせまでした。そこまでして何がしたいのか。
「俺が教えたその、お前の言う暗殺スキルで、お前は何をするんだ。」
少女の目的がはっきりすれば、少なくとも少女が男に嘘を吐く必要があるのかないのかだけは分かるだろう。そうしたら信じる信じないにかかわらず、少女に積極的に協力することは出来る。というよりも協力しているポーズをとることは出来る。
少女に従わなかったら組織を潰されかねないのだ。最後には従わせられるのならば、多少なりとも自由が作れるように向こうを騙しておいたほうがいい。こちらは協力しているのだ、と。
「答えてくれたら信じるかどうかは置いておいて、お前に協力するよ。どちらにしろこっちはスキルとか魔法とか、よく分かってないんだ。」
そんな男の提案を聞いてしばらく考え込む少女。男はこれ以上考えても仕方がないので少女の観察をする。
やはり少女は可愛らしい。長い金髪は艶めいていて、虚空を見つめて思案にふけっている瞳は透き通った緑色である。下を向いた顔は端正だがどこなく子供っぽさを残している。これでもう一年もすれば成人する年らしい。
男はふと気づく。少女は貧乏な貴族の娘のはずだ。何故、こんなにきれいな髪をしているのだろうか。服も汚れが全くない。多分侯爵時代の時に築いた財産で暮らしているのではないかと予想するが、少なくとも組織が調べた情報はまだ表面的なものだったようだ。
男が後でもう一度部下に調べさせようと考えていると、少女が顔を上げたので少女のほうを向く。
「分かりました。そうですね。結局あなたが私の話を信じようが信じまいが、私の方があなたのスキルに詳しいのは間違いないでしょう。それに、スキルを知ろうと思えばあなたにいろいろやってもらわなければなりませんからね。私の目的はどちらにしろ教えたほうが良さそうです。」
少女は、男に答えているというよりは、自分の考えを口に出して反芻しもう一度考え直しているといった様子だった。だから男と目線を合わせたのはその言葉を言ってしまってからだった。
そして、目線を合わせた少女は少しだけ躊躇いの様子を見せながら、口を開いた。