三話目
次の日。再び存在感の薄い男の前にやってきた少女は、男の組織から歓待を受けていた。
「お茶をどうぞ。フィアマギ伯爵令嬢様。」
「あ、ありがとうございます………え、自己紹介しましたっけ。」
「そんなことはどうでもよろしいかと。こちら、お菓子になります。どうぞおくつろぎください、フォーシア様。」
「あ、どうも………名前はやめてください。恥ずかしいです………。」
男たちの組織は少女が帰った後、丸一日全力を挙げて少女についての情報を収集した。そうして得た結果を使って少女に対して優位に立とうとするが、少女に堪えている様子はない。要するに効果がないようだ。
それも致し方なしとは思う組織の面々。たとえどんなに情報を握られたとしても、そもそも実力があるなら恐れる必要はないのだ。それ自体が致命的になる権力者連中ならともかく、少女はただの貧乏貴族の令嬢だった。調べ上げた情報が外に漏れても利益や立場に関わることはないだろう。
良かったことがあるとすれば、殺したとしても少女の家族と少女自身以外からは恨まれないだろう、ということだった。当然、お茶にもお菓子にも毒を混ぜた。
「あれ、これ悪くなってますよ。 皆さん食べないほうがいいと思います。」
しかし、ぼそりと何かをつぶやいたと思うと毒のことをすぐに分かってしまった。毒とは分かっていないようだが、少なくとも害のあるものだとは理解したらしい。
そんな少女の姿にびくりと体を震わせる部下たち。男は半分諦めていたので反応しなかった。
逆に何故こんな実力者が全く有名ではないのかは気になるが、それはともかく調べて分かったこともある。
「スケア・フィアマギ。」
ぼそりと、少女の前に座った存在感の薄い男が呟くと、少女は一瞬だけ動きを止めた。が、すぐに何もなかったかのように手に持ったティーカップからその中身を飲む。
「正確には、スケア・イル・フィアマギ公爵。ピット王国の辺境伯から昇爵して新たにフィアマギ侯爵になった。」
少女はお菓子を手に取って口元に運ぶ。目線は下に向いたままだ。
「確かに俺が殺した奴だ。あの時に見られていたとは、分からなかった。だがあれは暗殺ではなく、事故死で処理されていたはずだが。」
「まあ、その話は実際、今はどうでもいいことです。昔の話ですし、貴方にその情報をうまく使うことは出来ないでしょう。あ、お茶とお菓子の毒は抜いておきました。もう食べてもいいと思います。」
給仕を担当した、昨日少女に毒薬をかけようとして服を溶かされた部下は顔をしかめた。その部下の様子を見つつ男はため息を吐いて、少女と自分の前に置いてあるお菓子を口に含んで吐き出した。
「あ、ごめんなさい。抜けてないのがあったみたいですね。」
素知らぬ顔でそんなことをのたまいつつもう一つお菓子を口に含む少女を睨みつけながら、いろいろなことを諦めた男はもう一度だけため息を吐いて本題に入ることにした。
「それで、俺は何を知らない。そしてお前は何を知っている。」
その言葉に少女は軽く頭を振って、真剣な顔を作る。
「どこから説明したものかとは思いますが、簡単に言うと魔力を持ち魔法を使うものを一瞬で殺すのは、本来不可能なんです。」
「………」
黙って腕を組みながら少女の話を聞く男。男が真剣に話を聞いているようだと思った少女はそのまま説明を続けていく。
「魔力を持っているもの、これは人間に限らず魔族や魔獣でもそうですが、彼らは俗に二つの命を持っていると言われます。これは強いことに対する比喩ではありません。実際に命が二つあるのです。」
「………」
「彼らは肉体に傷を負うときに、それを魔力で肩代わりします。この魔力の量を俗にHP等と言い始めたのは信託を受けた神官たちですが、要するにこの魔力が切れるまで彼らは死にません。」
「………」
「そして、魔力が切れるまではどの部位に対する傷であってもその衝撃や与えただろう傷の深さ………簡単に言えるように学会などではダメージ量と呼ばれたりしますが、その量は等しくなります。」
「………」
「だから、貴方が私の父にやったようにナイフで首を掻き切るなどの方法では、本来魔力持ちの人間は死ぬはずがないのです。」
ここまでは理解できましたか、と少女は言う。最後の言葉に少しだけ目線が揺れた男は組んだ腕を開いて、自分のお茶を飲む。少女は静かにその男を見る。
男は少女の言葉をもう一度頭の中で思い出し、吟味する。そして口を開いた。
「まあ、話は理解した。だが到底信じられないな。何か証拠でもないのか。」
男がそう言うと少女は持ってきた鞄から何枚かの羊皮紙を取り出す。いずれにも木の紋章が描かれており、どこかの貴族か組織の持つ書類であることが分かる。
「これはフィアマギ家で管理している書類です。ここに魔力持ちの人間にダメージを与える実験をしたときの記録が書かれています。」
男は少女の差し出す書類を受け取り、眺めてみる。そして少しだけ顔をしかめた。
「十歳の子供を崖から突き落とした。毒を飲ませて経過を観察した。ナイフで首を切ってみた。誰がこんな実験をしたんだ。」
「似たようなことをやるあなたが何か言うことではないでしょう。」
平然としてお茶を飲む少女に空恐ろしいものを感じつつ、自分たちがやる事とは意味が全く違うという思いは抑えておいて、書類を置く。
「毒を飲ませた時以外の外傷は軽微、か。この書類を見ている限り、確かにお嬢様のいうことは正しいようだ。」
毒を飲ませた時は正常に毒が効いたようで、子供は死にかけたようだ。何が違ったかの考察はここには書かれていないし考えても分からないが、なかなか酷い実験だ。
「お嬢様はやめてください………恥ずかしいです。」
貴族の娘のくせに顔を赤くして恥ずかしがる少女に反応することなく男は言葉を続ける。
「もちろん、この書類が本物かどうかは分かったものではない。だから信じることは出来ない。」
何か見せられる証拠でもないのか、そういう男に少女は一つ頷いて、給仕をした部下のほうを見る。少女に見られた部下が少したじろぐのを気にせずに少女は口を開く。
「この人に、私の首をナイフか何かで切ってみてもらえばすぐにでも分るでしょう。」
男はさらに少女が怖くなった。何の感情も見えず、というよりも何とも思っていないようだった。それで自分の首を切ってくださいと言い放つ。どういう神経をしているのだろうか。魔王であっても、首を切られる前にはその眼に恐怖の感情を宿らせたものだが。
部下も驚いたように目を開いて黙っている男にに注目して指示を待っている。少女から注意をそらしているわけではないのは、昨日のこともあって警戒しているからだろう。
しかし、首を切りやすくするためか軽く顔を上に向けてぼんやりと男の上のほうを見つめている少女を見た男が、どういう判断をするかは決まっている。少女に得体のしれない恐怖を抱いているならば殺そうとするべきだし、少女の言葉が正しいかどうかを確認するためにもナイフで首を切ってみるべきだろう。
軽く頷いた男を見て給仕をしていた部下は懐からナイフを取り出し、少女の後ろに立つ。軽く身を屈めて少女の顎を持って少し右を向けて固定して、常日頃から手入れしているのだろう、鈍く輝く刃を首の左側に当てた。
そして、力を込めて思い切り前に掻き切った。