二話目
薄暗い部屋の中、存在感の薄い男から何者かと問われた少女だったが、その問いに答えることなく土下座による懇願を実行した。
「お願いします、暗殺スキルを教えてください!」
しかも全く同じセリフで。それしか言葉を知らないのだろうか。
「いや、教えてといわれても。まず、どうして教えて欲しいんだ。そもそも何故暗殺スキルのことを知っている。」
「教えてください!」
一切男の話を聞かない少女。それだけなら我儘を極めた子供でしかないだろうが、その周りに男の部下が三人倒れているので、それはどちらかというならば脅迫だ。
まずこちらの要望を聞き入れろ。さもなければお前もこうなるぞ。そう言っているのと同義だ。
一切男の話を聞こうとしないのもそれらしい。相手の言葉を聞き入れるのは、自分の要望が通ってから。男もナイフ片手に何度か似たようなことをやった覚えがあるので、少なくとも何かしらの反応をしない限り、話が進まないし、きっと自分も逃げられない。
諦めざる負えない。
「………分かった。教える。」
「本当ですか! ありがとうございます!」
ぱっと顔を上げて満面の笑みで微笑む彼女は、こんな薄暗い部屋よりも日光に照らされた草原とかが似合うんじゃないかと思う。仕事柄様々な場所に行く男はいくつか似合いそうな場所を頭に思い浮かべた。現実逃避だ。
もしさっき『教えない』といっていたら、どうなっていただろうか。その恐怖に屈した自分が情けなかった。
「それで、何故知りたいんだ。暗殺したいやつでもいるのか。」
それはないと思う。少女が何をしたのかは全く分からないが、あの力があるなら自分たちよりもむしろ人殺しには向いている。暗殺などしなくとも、そもそもあれでは少女がやったのかどうか分からないのだ。人通りの多い往来であれば、ほぼ確実にばれないだろう。
第一、暗殺したいなら自分たちに頼めばいいことであり、わざわざ教えてくれという必要がない。少女が笑顔でナイフを突きつけてきたら、一も二もなく従う自信がある。
そんなわけなので、少女がなんて答えるのか興味があった男だった。
「では、さっそく教えてください!」
ある意味当然、少女は男の話を聞くことなくそうのたまった。さっきからの態度を見ていれば分かる話なので、男は驚きはしなかったが、それは、無理な相談だと思う。
「いや、先に何故知りたいのかこっちが知らないと、具体的にどのスキルのことを教えればいいのか分からないじゃないか。暗殺にもいろいろあるからな。」
例えば毒殺は最も使いやすい暗殺の方法だ。これにはちょっとした口のうまさと変装技術、そして森でとれる二、三の毒草があれば事足りる。殺した後に辿られないように偽装を無数に施さなければならないが、それは状況によって変わることだ。誰を殺したいのか分からなければ教えることは出来ない。
殺したいわけではないにしろ、毒殺を教えて『違います、ナイフを使った暗殺が知りたかったんです』とか言われて何らかのペナルティーを受けるのは嫌だ。
少女は男の言い分に一定の道理を感じたらしく、正座したまま腕を組んで考え込む。しかしすぐに再び顔を上げ、先ほどもした真剣な顔で男を見た。
「私は暗殺の方法、技術としてのスキルが知りたいのではありません。貴方の持つ魔法としてのスキルが知りたいのです。」
男は一瞬、少女が何を言っているのか分からなかった。
魔法、それは権力者たちが必死になってその姿を隠そうとして、しかし便利だから使い、広くその存在が知れ渡っている技術。
その技術の存在そのものはよく知っているし、その使い手を見たこともあれば殺したこともある。
しかし、自分は使ったことがないはずだし、そもそもどうやれば使えるのかも知らない。だというのに、少女は自分が魔法を使っていることを前提であるかのように話す。
それに、魔法としてのスキル。正直意味が分からない。魔法そのものが技術、すなわちスキルなのではないのか。あるいは魔法というのは何らかの技術体系の集合であり、その一部として暗殺のスキルが存在するのか。そして少女はそれを男が持っているものと勘違いしているのだろうか。
とにかく、自分が魔法を使った覚えがないのは確かであり、それゆえに魔法としての暗殺スキルとやらに見覚えはない。返答は決まっている。
「俺は魔法なんか使ったことがないし、使えるはずもない。何か勘違いしているんじゃないか。」
それ以外に答えようがなかった。だというのに、少女は目を見開いて怒り出した。
「そんなはずはありません。私はあなたが暗殺スキルを使ったのを、この目で見たことがあるのですから!」
「はあ?」
使った覚えがないものを使ったという少女に、疑問の声を止められない男。というよりも、隠れて仕事をしてきた男が以前も少女に見られたことがある、ということが信じがたかった。
「どこで見たんだ。」
「それは………とにかく、見たんです!」
言い淀んで、どこで見たかは答えようとしない少女だったが、どうにも出まかせを言っているようには感じない。きっと少女が勘違いしているんだろうと男は思う。
「見間違いじゃないのか? 俺はそんなものを使った覚えはない。」
「いいえ、使えるはずです。」
真剣な顔をした少女は男の言葉を聞いてもなお、自分の考えを曲げようとはしなかった。
「噂で聞きました。貴方は………というよりも、貴方の組織は先代の魔王を依頼で暗殺したことがあるそうじゃないですか。」
男は目を見開く。そしてすぐに驚くことはないと思いなおす。組織の名前自体は広く裏社会に回っており、連絡手段も権力者なら誰でも知っている。そうしなければ依頼なんてやってこない。であれば少女でも噂程度にその話を聞くことはあるだろう。
その組織をここの男が率いていることはそう簡単に手に入る情報ではないが、そもそも組織の本部であるこの部屋にまで乗り込まれている時点で男の情報を知っていてもおかしくはない。
そして組織が魔王を殺す依頼を受けたことがあるのは事実であり、依頼を受けてしばらくして魔王が死んだことも事実である。
魔王とはおどろおどろしい言い方だが、魔族が治める国の王というだけでこの名前で呼ばれる。政治形態としては世襲君主制であろうがなかろうが関わらず、最高権力者はそう呼ばれるという意味だ。
いずれにしろ魔族は総じて身体能力が高く、魔法を使うことができる。そのため力こそすべてみたいな思考形態をしていることが多い。それゆえに魔王といえば高い身体能力を持つ上に魔法まで使える、怪物の権化みたいな見方を人間はすることが多い。
「あるが………だが、人間にも怪物みたいな体をした奴はいる。別に魔王だからといって違いは存在しない。第一、そんなのうちじゃなくてもやっている。」
「そうですね。ですが、貴方のところだけは方法が違います。だって、暗殺しているんですから。」
男は少女の言っていることの意味が分からない。だが、少女は男が何も知らないことを理解した。
「貴方は暗殺する癖に、その相手のことは碌に知らないんですね。」
「いや、殺すのに十分なくらいは調べているつもりだが………。」
対象の日常生活を調べつくすのは暗殺者としては当たり前の行動だ。どこで、どうやって殺すかを丁寧に考えないと、失敗は避けられない。
だから不審そうな顔をして自分の行ってきた調査に情報漏れがあったはずはないと感じる男。実際、これまで暗殺を失敗したことはないのだから。
そんな男の様子を見て少女はため息を吐く。そして、残念そうな表情を男に向けて立ち上がった。
「分かりました。今日のところは出直します。明日、資料をもってもう一度来ますから、そのつもりでいてください。」
少女が立ち去った後に男が感じたのは、『また来るのか』と辟易する感情だった。少女だけは素通りさせよう、また組織が壊滅させられたらかなわない。そう考えながら気絶したままだった三人と、部屋の外で倒されていた組織の人員を起こす男だった。