楽に生きる(二)
その昔、風見鶏と揶揄された総理大臣がいた。風向き次第で西にでも東にでもどちらにでも方向を変える。何しろ地位が地位であるだけに、国中が風向き次第で振り回されることになるという考えからそう呼ばれたものだ。でも、そう言われ続けながらも五年ほどに亘って国の長であり続けた。価値観の多様化が認識され始めてどれくらいになるのか定かではないが、あの頃から多様なものの見方、考え方の必要性が浸透し始めていたのだろうか。
また、今年になってコロナウィルス感染が流行し始めた頃、国や地方自治体の感染症対策が翻弄された時期があった。その時に政治家に対して朝令暮改だという批判が出たりした。でも、冷静に考えれば未知のウィルスとの戦いにおいて、無益であるだけでなくリスクがあると分かりながら、一度決めた政策だからと国民・市民が強いられることがあっては堪らない。むしろ早めに改めてもらう方が良い。
昔から一度決めたことは簡単には変えない、初志貫徹のような生き方が推奨されてきた。何があっても変わることのない鋼のような意志を持っていることが良いと。でも、今日の社会は、そんな考えの持ち主にとっては住みにくいのではないだろうか。なにしろ百人いれば百通りの考え方がある上に、昔なら絶対に受け入れられなかったような価値観がまかり通ったりするのだから。
世の中が複雑になればなるほど、そこで生きる人間には何事にも柔軟に対応できる能力が求められる。信念などというものに縋るよりも、軟体動物が体の形状を変えるように思考を自由自在に変えられる能力があれば、どんな場所にも適応して生きられそうな気がする。
しかし、人間の場合年齢とともに肉体の柔軟性が失われるのと同じように、精神の柔軟性もどんどん後退してしまう。昨今問題になっている「キレる高齢者」などは、根本にそれがある典型のような気がする。肉体に関しては、ヨガなどを定期的にやりなどすれば可動域はある程度確保されるようだが、精神的な面では、具体的にこうすれば良いという方法はあまり一般的ではない。趣味を持ったり社会的な活動に参加して人との交流を持てば良いとも言われるが、精神の柔軟性に乏しい者同士が集うと難しい面もあるみたいだ。
ともかく頭がガチガチに固くなる前に、若いころから柔軟な思考ができるように訓練しておくことが大切だ。職場や仲間内で「○○さんはその時々に臨機応変に意見を変えるけど、考え方の中心はブレることがない」という印象を植え付けることができたら、万々歳ということかな?