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僕にだけ聞こえる"幽霊"のはなし

作者: grejum

 2096年にテックアルマ社が開発した脳内検索エンジンは、瞬く間に世間に普及した。最初期はスマートフォンの代用品に過ぎなかったそれらは、やがて脳内領域からの記憶の正確な呼び出しを可能にした。テックアルマはこの分野での研究に商機を見出し、より予算を割き開発を進めていった。

 脳神経細胞それ自体の問題である認知症患者や他の一部の疾病患者は別として、やがて人々は物忘れとは無縁の存在となった。そして今までの膨大な自身の経験と記憶を基にした「予測」がより正確なものとなった。もちろん脳内検索エンジンがなくとも人々は日常的に「予測」を行なっていたが、それがより高い精度で行えるようになったのだ。

 この「予測」や「予想」は、個人の性格の問題である「過度な期待」もしくは「不安症」といったものに左右されなければ、恐ろしいほどの精度を誇り、もはや「予言」と言っても過言ではないほどだった。特に豊富な他者の経験のサンプルを持った、“社交的な年長者”は、もはや「予言者」と呼んでもいいだろう。


 この脳内検索エンジンはやがて奇妙な役割を追加され果たすようになった。今までに自分が話した近しい人間との会話を記録し、その履歴から次にその人が何を話すかをサジェストしてくるようになったのだ。この機能は主に対外的なビジネス面では役に立ったが、日常生活で使うにはあまりに味気ないものだった。

 私も、このサジェスト機能は妻との会話の時にはオフにしていた。些細な口論でさえ、次に相手が何を言うか分かっており、それ通りに相手が返してくるとしたらそれほど悲しいものはない。それは真の意味でのコミュニケーションではないだろう。口論でさえ、私は妻との大切な時間にしたかったのだ。


 しかし昨年、妻は亡くなった。どんなに医療が進んでも、抗えない事はある。

 そんなあくる日、妻のいない広い朝食の席で、私は妻の「コーヒーがあと半分になったわ」という声を聞いた。それは生前の妻の口癖で、要は「なのでコーヒーを仕事帰りに買ってきて欲しい」というやんわりとした僕への指示だった。

 僕は最初、それを幻聴だと思った。そしてそれは半分、正しかった。


 時折、妻の声が聞こえるのだと医師に相談すると、彼は検査の後でテックアルマ社のエンジニアを連れてきた。そのエンジニアは、何らかの原因で脳内検索エンジンが僕の思考に対してそこにいないはずの妻の会話をサジェストしてきているのだと言った。

「故障か、バグなのか……。いずれにせよ治します」とそのエンジニアは言った。

 僕はただ一言、「いや、今はいい」とだけ答えた。

 その“今”がいつまでなのかは、僕にもわからなかった。


 毎日、妻の声が聞こえる。それは今までの僕の記憶や経験から導き出された、サジェストされてきた会話に過ぎない。でも、それでよかった。

 僕の頭の中には、僕にしか聞こえない妻の幽霊がいる。彼女は何かに喜んだり悲しんだり怒ったり、時折笑ったりする。

 その幽霊の声は奇妙にも、空っぽになったかと思われた日々の中で唯一、僕に安らぎをもたらしてくれるのだった。


(終わり)

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― 新着の感想 ―
[良い点] ちょっと涙腺がやばかったです。 証明さえされなければ、それは真実…
[一言] 果たして、 実在するはずのない奥さんの声を聞くことは、 主人公にとって「正しく幸福なこと」であるのだろうか。 真っ先に浮かんだのはそんな疑問でした ですが、ふとした生活のなかでその声が戻る…
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