竜人少女と魔法使い
昔々、とある深い渓谷の村に、クラファトという一人の小さな竜人族の少女が住んでいた。
クラファトは他の竜人族の子供達よりも格段に頭が悪く、力も弱いため、いつも虐められる毎日だった。
そんなある日のことだった。
クラファトはいつものように村の子竜達から虐められて帰ってくると、意を決した表情で自分の荷物をリュックサックに詰め込み始めた。
「もうこんな村になんて居られないわ、出て行ってやるんだから!」
クラファトは涙を堪えながら叫ぶと、さっさと荷造りを終えて、まだ月が登っているうちに100年住んだ我が家を後にすることにした。
渓谷を出ると、広い森が広がっていた。
竜人族はこの森を恵の森と呼び、獣や果物、茸に薬草など、生活に入りようなものを全てこの森から調達していた。
そういった事に用いられる森だからか、このクラファトもまた、この恵の森には何度も足を運んでいた。
クラファトたち竜人族にとって、この森は庭のようなものだった。
しかし、村の掟で、クラファトはまだこの森の外に出たことがなかった。
掟では、大人になって、角も翼も尻尾も魔法で隠せるようになったらこの森を出てもいい事になっていたが、クラファトはまだ100歳。
大人になるにはあと100年はかかるし、彼女の場合、魔法を使うのに必要な魔力は有り余っているものの、それをコントロールするのが下手なために、未だに簡単な魔法すら一つも使いこなせてはいなかった。
村の子竜たちからは、『お前は永遠に大人になんかなれるものか』とすら言われるほどである。
「ふんだ!
魔法が使えないからって馬鹿にして!
今に見てなさい、絶対に見返させてやるんだから!」
ずんずんずんずんと、クラファトは森の奥へと足を踏み入れていく。
月明かり以外の明かりがない真っ暗な夜だったが、幸いな事に竜人族は夜目が利く。
僅かな光すら捉える縦長の瞳孔は、今は目一杯に開いて月明かりを取り込んでいた。
そんなある時だった。
そろそろ森を突破しようとする頃、クラファトは前方にガサゴソと揺れる茂みを目撃した。
よく見ればそこには、弩のようなものを構えている人影が。
村の掟では、夜の狩りは禁止されている。
ということは、狙っているのは村の竜人ではなく、別の誰かという事になるのだが、頭の悪いクラファトは気がつかない。
クラファトは後ろに狙っている動物でもいるのかと思うと、くるりと振り返ってそれを確認した。
──パンッ!
直後、矢が放たれる音がクラファトの耳に届いた。
矢は真っ直ぐにクラファトの方へと飛んでいき、しかしタイミング良く振り返ったクラファトの尻尾によって弾き落とされた。
尻尾の鱗に中る不快感に、クラファトはムッと不機嫌な顔をして狩人へと向き直る。
「ちょっと!
矢が尻尾に中ったんだけど!
謝りなさいよ!」
茂みに向かって地団駄を踏みながら叫ぶクラファト。
しかし狩人は気にした様子もなく、再び矢をつがえ始めた。
ギリギリギリ、と弓を絞る音が、静かな森の中に響いた。
「ねぇちょっと!
私の話聞いてる!?」
しかし、狩人は無視を続ける。
誰が見ても狙われているのは動物などではなくクラファト自身だということはわかるはずだが、しかし彼女は気がつかない。
クラファトはどうやら狩人が話を聞かない人だということを感じ取ると、しかめっ面で狩人の方へと近寄った。
「いいわ!
口でわからないなら、拳でわからせてあげる!」
同じ子竜たちとの喧嘩では一度も勝てたことがないクラファトだったが、しかし両親から受け継いだ、その気の強い性格と諦めの悪い性格が、彼女の短気を生み出していた。
故に彼女は、いつも負けると分かっている喧嘩にも果敢に突っ込んでいき、ボロボロになって帰ってくるのである。
しかし、そんな事は遠の昔に忘れてきた。
クラファトはフーッと唸りながら姿勢を低くすると、矢のような速さで真っ直ぐに突っ込んでいった。
──パンッ!
弩から矢が放たれる。
狩人から見れば一撃必中の矢だったであろう。
それを証明するかのように、馬鹿正直に射線をなぞるように突っ込んでくるクラファトの額へ、矢は吸い込まれるように突き進んでいった。
普通であれば、いくら丈夫な竜人族とはいえ、まだ子供で、それもそんな子供たちの中でも格段に力の弱い子竜だったクラファトは、その矢の一撃を受けて死んでしまうはずであった。
しかし、その時ばかりは奇跡が起きたのか。
弩から放たれた矢はクラファトに中る寸前で、明後日の方向へと向きを変えてどこかへと飛んでいってしまった。
「はぁ!?」
思わず、狩人が驚きの声を上げた。
しかし彼が驚いたのも束の間で、次の瞬間には目の前まで迫っていたクラファトの一撃によって、狩人は大きく吹き飛び、気を失ってしまった。
「いいかしら?
弓は他人に向けちゃいけないのよ?」
ふんす、と鼻息荒く、仁王立ちになって気絶した狩人を見下ろしながら注意する。
しかし頭の悪いクラファトは、どうやら狩人が気絶している事に気がついていないらしい。
「ねぇちょっと!聞いてる?」
クラファトは『おーい』と呼びかけながら、狩人の体を爪先でつつきはじめた。
しかし全く反応を示さない狩人に、クラファトは次第にイライラを募らせていき、やがて「爪先でつつく」が「蹴り上げる」へと変わった頃、彼女の頭に軽い一撃が放たれた。
「へぶっ!?」
「こーら、やめんか!
そいつはもう気絶しとる、それ以上やると死ぬぞこの駄竜が」
クラファトの視界に、無数の星が散る。
打たれた場所を両手で抑えながら頭上を見やると、そこには彼女より頭二つ分ほど背の高い妖精族の老爺が立っていた。
年齢は、竜人族の感覚では700代前半くらいだろうか。
だいたいそれくらいの年齢の、ローブを纏って如何にもな三角帽子を被った、魔法使い然としたいでたちの男である。
「痛いわね!
他人を無闇に叩いちゃダメって習わなかったかしら!」
「ならそっくりそのまま返してもらうがの、竜人の娘よ。
お前は他人を殺しちゃいかんとは習わんかったのかね?」
魔法使いの言葉に、「心底不服だわ」と言わんばかりに、クラファトは頬を膨らませる。
「このくらいで死にはしないわよ、人間族じゃあるまいし。
ていうか、誰よあんた?」
母親譲りのイチイの実のような赤い瞳で、魔法使いを見上げて名前を問う。
彼女からしてみれば、いきなり現れて頭を殴ってきたよくわからない人物である。
困惑と不服が綯い交ぜになったような気分になるのは致し方がないことだった。
魔法使いはため息をつくと、頭をガリガリと掻いてクラファトを見下ろした。
「名を尋ねる時は──……まぁよい。
俺のことは魔法使いとでも呼んでくれ」
「あ、そ。
私はクラファト。
ちょうど故郷の村から出ていくところなの」
「……出ていく?
そりゃまたどうして」
魔法使いと名乗った男が、怪訝に眉を潜めながら尋ねた。
竜人族が村を出て行くのは珍しくはない。
彼らの多くは好戦的である。
村で行われる祭りでは毎回のように自らの力を誇示するために力くらべが各所で行われていて、村での戦いで頂点に立った竜人族たちは、さらなる強敵を求めて村を出るのだ。
この魔法使いも、当然のようにそのことを知っていた。
しかし、このクラファトは彼が見るに、どうしても村の中じゃ飽き足りないと思えるほどの強者に見えなかった。
だから彼は、別の可能性を考えた。
そしてその考えは、正に今クラファトが魔法使いに応えたものと同じ内容だった。
それ即ち──強くなって、相手を見返すこと。
「──だから外で修行して、強くなって、皆を見返させてやるのよ!」
えっへん!と、威張るように仁王立ちして腰に両手を当てながら、無い胸を反らして自信に満ちた表情で宣言するクラファト。
「なるほど。
それで、当てはあるのかの、クラファト?」
修行するにしても、独学では限界がある。
一人では見えない欠点を探し出すのに、彼女のやり方はあまりにも非効率的だし、いくら平均寿命が700〜800ほどもある竜人族でも、その境地にたどり着けるとは考え難かった。
しかし、そんなことには気がついていないのか、はたまた馬鹿なのか──いや、彼女はそもそも馬鹿なのだが──『そんなことは関係ないわ!』とこれまた自信に満ちた表情で「ふふ〜ん」とサムズアップしてみせた。
「そんなの、そこらへんの強い冒険者にでも襲いかかって、勝ち続ければいいのよ!
ほら、引かない洪水はないって言うでしょ?」
「……」
(駄目じゃ、この子馬鹿じゃよ。完全に脳筋じゃよ。救いようのない脳筋じゃよ……)
自信たっぷりの笑顔に、思わず顔面を両手で覆い隠しながら天を仰ぐ魔法使い。
彼女の姿から見て、おそらく年齢は100といったところ。そんな幼い竜人の少女が、このまま森の外に出れば、またさっきみたいな狩人に竜人の角や尻尾を狙われて殺されてしまうことは簡単に予想できる。
村の掟で、最低限角と翼と尻尾を隠さないと外に出ることを許さないというのは、つまり子竜たちがそういう目に遭わないようにするためのものなのだ。
魔法使いは、チラリとクラファトの方を見やった。
その顔には一片の曇りもなく、まるで自分の思い描いた未来が必ず来ると信じて疑っていないように思えた。
(はぁ……仕方あるまい)
このまま彼女を説得しても、元の村には帰りそうもないし、かといって見捨てれば先ほど予想した未来が現実になるのは目に見えている。
それは、わざわざ魔法で弩の矢の軌道を曲げてまでして助けてやったこちらの身としてはなんとも後味が悪い。
──幸い、魔力だけならたっぷりあるみたいじゃしの。
魔法使いは諦観の表情を浮かべると、ため息をついてクラファトにこう提案した。
「一つ提案じゃが、クラファト。
お前、俺の弟子になって、魔法を覚えてみんか?」
魔法使いは、そう名乗った通り魔法を自在に操ることができた。
先ほど弩の矢からクラファトを護ったのもそうだし、それ以外にも様々な魔法を操ることだってできる。
魔力が有り余っているなら、それをうまく活用させる方法を教えるのは簡単にできるし、むしろ腕力のない彼女にとって、その膨大な魔力は武器になるだろう。
これなら、彼女もすんなり受け入れ、森の外に出て人を襲うなんて暴挙も考え直してくれるはずだ。
(それに、そんなことをすれば絶対討伐されるしの)
名目としては、山賊退治がいいところだろうか。
自分が助けたばかりに要らぬ苦労を被った。
まぁ、助けた方にも責任というものがあろう。
魔法使いはそう割り切って、クラファトに右手を差し出し──
「嫌よ」
──ぷいっ、とそっぽを向いたクラファトに、思わず絶句してしまった。
「……そりゃ、どうして」
「知らない人にはついていっちゃいけないのよ?
そんなことも知らないのかしら」
開いた口が塞がらないとはまさにこのことか、と魔法使いは口籠る。
たしかに、彼女の言うことは正しい。
しかし、これから森の外に出ると言うのだから、つまりこれから会う人物はみんな知らない人であるわけで。
ましてや、修行をつけてあげようと提案しているのを自ら蹴るというのは、もはや馬鹿の所業である。
いや、思い出してみれば先ほどまでの行動。
ただ気が強いだけではなく、馬鹿であるということも一つの要因として考えられたかもしれない。
「……でも、強くなって村の皆を見返させたいんじゃろ?
じゃったら、俺のところで勉強するのも一つの手じゃよ?」
彼の再びの提案に、クラファトはじりっと少しだけ後ずさった。
「……あなた、もしかしてロリコンなのかしら……?」
「ちょ、ちょっと待て。
どうしてそうなったのじゃ?」
全くの予想外である返しに、思わずたじろぐ魔法使い。
魔法使いとしては別に、このまま突き放してしまえば確実に森の外の人間やらに殺されてしまうのは確実で、それを知ってみすみす見放すというのは後味が悪いから、彼女の望む通り修行を補助してやる、あるいは魔法を教えて強化させてやるくらいの責任を果たそうてしているだけなのだ。
それがなぜか、全くもって彼にはその思考回路が想像つかないが、クラファトと名乗った赤毛赤目のこの通りすがりの竜人族の少女にロリコン呼ばわりされてしまっている。
魔法使いにしてみれば心外も甚だしい事態であった。
……しかし、当のクラファトからしてみればそれは当然の反応であるようで、その魔法使いからの問いかけに、さも当然とでも言うかのようにこう返して見せるのだった。
それ即ち──『その誘い方、完全に幼児を誘拐しようとしてる変態のやり方よね?』
「……」
しばらくの間、沈黙が二人の間を支配した。
変態と誘拐の言葉が、ぐるぐると魔法使いの頭の中をめぐる。
(へ、変態……?この俺がか……?)
先ほどまでのセリフを思い返してみれば、確かにそう聞こえなくもない。
言ってみれば、お菓子をあげるからおうちにおいでと似たようなセリフである。
完全に犯罪者のセリフである。
(……これは、詰んだかの)
魔法使いは、このやり方ではどうしてもクラファトを弟子として迎え入れることは不可能そうだと思い至ると、次の瞬間、クラファトは追撃の言葉を放ってきた。
「あなたについて行くなんて、絶対嫌よ。死んでも嫌かしら」
「じゃあどうしろって言うんじゃぁぁあ!」
──────
それからしばらく、クラファトと魔法使いの言い合いは続いた。
結局どこまで行っても二人の話し合いは平行線で、その事に真に諦観してしまった魔法使いは、結局『じゃあお前の旅に俺もついて行く!』と言う事で決着させた。
「最初からそう言えばいいのよ」
「……」
クラファトの「何言ってるのこの人?」とでも言いたげな不思議そうな眼差しに得も言われぬ苦渋の表情を浮かべる魔法使い。
ここにもし第三者がいたのなら、魔法使いに同情の笑みを浮かべていた事だろう。
それから、クラファトのクラファトによるクラファトのための最強への旅が始まった。
旅の始めは、なんともドタバタとしたものだった。
人を見つけるや、山賊のごとく襲いかかろうとするクラファトを毎回のように魔法で拘束する魔法使い。
このような光景が、まさに日常茶飯事で行われながら、二人はいくつもの街や村を旅して回った。
そんな中で、二人はまず冒険者という職に就いた。
冒険者とは、この世界で魔物と呼ばれる怪物を狩ったり、様々な民間人からの依頼などをこなして報酬をもらう、いわば何でも屋のような職業である。
この冒険者という職についていれば、関所で街に入るための税金がいくらか安くなったり、提携の店で買える商品がいくらか安くなったりなどと、いいことがたくさんあるのだ。
そうやって冒険者として路銀を稼ぎながら旅をして、二人は様々な人々と出会った。
猫人族の山賊や戦狼族の拳闘士。小人族の探窟家や人間族の冒険者に、天使族の占い師。
何年、何十年間もの旅で二人は徐々に強くなっていき、特にクラファトは旅の間に魔法使いから魔法の技術や知識を、まるでスポンジのように吸い取っていった。
──そうして、彼ら二人が最強への旅に出て、冒険者となって活動し始めてから100年が過ぎた。
時間というものはあっという間で、みるみるうちに発展して行く世界を目の前にしながら、二人は感慨に耽っていた。
「ねぇ、ウィズ。
私たちが初めてあったときのこと、覚えてるかしら?」
魔導列車の窓の外に見える流れ行く景色を見ながら、ふと、クラファトはぽつりと呟いた。
「あぁ、覚えとるよ。
懐かしいの、確かもう100年になるんじゃったか?」
ウィズ、と呼び掛けられたのは、100年前に恵の森で出会った、あの魔法使いのことだ。
何十年ほど前だったか──はたまた半世紀以上昔だったかもしれないが──「魔法使い」と呼ぶのは長くて面倒くさいという理由で、魔法使いを省略してウィズと呼ぶようになったのだ。
これだけを見ても、いかにこの旅で二人の距離が縮まったかがわかるだろう。
魔法使いは向かいの席で同じく窓の外を眺めながら、思い出すように呟いた。
「私、もうそろそろ充分に強くなったと思うのだけれど、ウィズ、あなたはどう思うかしら?」
「まぁ、100年前と比べれば、そりゃ格段に強くなったじゃろうよ。
最初は簡単な魔法すら使えなかったのが、今やそこそこな魔法なら充分に扱えるようになったんじゃからの」
「ふふん、褒めても何も出ないわよ?」
「……まったく、クラファトはいつまでたってもその性格は治らんの」
「治す必要がないもの、当たり前よ」
イチイの実のように真っ赤な髪を揺らしながら、つん、とそっぽを向くクラファト。
しかしその頬は、少しだけ朱に染まっている。
どうやら魔法使いに成長を褒められて少しだけ嬉しかったようだ。
クラファトは、そんな顔を彼には見せまいとそっぽを向いたまま話を続けた。
「それでなんだけど、そろそろ村に戻って実力を確認しに行きたいと思ってるんだけど、どうかしら?」
「そういえば、見返させるだのなんだの言っておったの」
そもそもこの旅を始めたのは、クラファトが村の子竜に虐められていて、そいつらを見返させるために外の世界へ修行に行くと言うのが原点であった。
そして今は、その子竜たちを見返させるに足るほどの実力を身につけている。──主に、この魔法使いのおかげで。
「そうじゃの。
そろそろリベンジに行ってもいい頃合いかもしれん。
それにこの時期はたしか、祭があったじゃろ」
「……そういえばそうね、すっかり忘れていたわ」
「なら、次の駅で降りて転移の魔法で恵の森へ向かうかの」
こうして二人は、長い旅の始まりの地にして終着点である恵の森──そして、クラファトの故郷、渓谷の村へと向かうのだった。
──────
日が高く昇る渓谷の底。
谷間を抜ける川を挟むようにして築かれた竜人族の村では、毎年この時期になると祭が開催される。
その祭では毎度のこと、血気盛んな竜人族や、他の村や街からやってきた戦士や魔法使い、冒険者が集まり、村の中心にある巨大な闘技場でバーリトゥードが行われるのである。
そんな歓声と殴り合いの音と爆発音が壊れた蛇口のように溢れ出る闘技場の中心に、一人の竜人族の青年が歩いてきた。
実況者の解説によると、彼の名はトゥアハダと言うようだ。
試合のルールは「そんなものはない!」と言わんばかりに項目が少ないのだが、しかしそんな少ないルールの内に、試合は必ず一対一であることという文句が記されている。
彼はそんなルールの中で、これまで槍一本しか使わないというハンデを自分に着せながらも、強靭な腕力を持つ他の竜人族の戦士や、魔法を操るエルフ、不思議な道具で戦況を逆転して勝ち抜いてきた人間族の冒険者などと渡り合い、決勝戦にまで進出してきた。
この試合、もう優勝はこの人物が取ったも同然だと、彼の試合を見ていた観客たちは誰もがそう思い込んでいた。
──ある人物を除いて。
トゥアハダの目に、何かボソボソと呟きながら、闘技場の門を抜けて入ってくるイチイ色の髪と目をした少女が映る。
一見ただの人間族の少女にしか見えないが、しかし彼は少女の顔をどこかで見た覚えがあった。
「あら、あの槍使いってトゥアハダだったのね」
イチイ色が、まるで意外だとでも言うかのように大きく目を見開きながら口を開いた。
その声を聞いて、トゥアハダはようやくその人物が誰だったかを思い出した。
「お前……もしかしてクラファトか?」
「そうよ!
今まで散々虐めて貰ってたけど、今日はそのお返しに来たの」
わからなかったのも無理はない。
トゥアハダが最後に彼女に出会ったのは100年前で、しかも二人の関係はかつてのいじめっ子といじめられっ子。
虐められていた方はいつまでも記憶していてもおかしくはないが、虐めていた側というのは、大抵すぐにそのことを忘れてしまうのだから。
彼がクラファトのことを覚えていたのは、まぁ奇跡的だったとでも言えるだろうか。
クラファトは仁王立ちしながら、「ふふん」と自信満々の笑みでこちらを見下ろした。
「面白ぇ冗談だな。
あの頃は全く手も足も出なかったお前と、この決勝戦で出会うことになるとはね。
正直予想してなかったぜ」
「こっちこそ。
まさかこんなところであなたと戦うことになるなんて、微塵も考えてなかったもの」
二人の間に、戦士同士がやり合う直前の、独特の緊張感が走り、場を支配する。
二人の耳から歓声が遠のき、実況者の声まで彼らの意識から遠ざかった。
「……」
「……」
二人の間に、ピリリとした沈黙が走る。
──しかし、それは突如として沈黙を破る銅鑼の音によって、一気に崩壊した。
(あの埴猪口だったクラファトがここまで登ってきたんだ。
油断はできそうにねぇし、ここは先手必勝、一撃で決めさせてもらう!)
最初に動いたのはトゥアハダの方だった。
彼がもつ獲物は、ただの槍と言うには厚く長く、そして広い身幅の刀身を持っている。
これはパルチザンと呼ばれる槍の一種で、突くのみならず、斬ることもできる、いわば西洋版の薙刀のような武器の特徴だった。
トゥアハダは穂先を背後に、石突を前方に構えながら、穂先を地面すれすれに走らせるようにして突進すると、その広い刃で下から上へと斜に斬りかかろうと見せかけた。
力任せ。
外から見れば作戦も何もない攻撃に見えるが、これでいてこの時トゥアハダの頭の中は異常な速度で回転していた。
(得物が見えねぇ。
つぅこたぁ、徒手空拳か暗器、魔法に警戒すりゃいい。
だが、これだけあからさまに接近して攻撃を仕掛けようってのに、構えるのは愚か、詠唱すら見せねぇたぁ、こいつ、何考えてんだ?)
考えられる可能性はいくつかあった。
すなわち、すでに魔法で何らかの罠を仕掛けているか、もしくは体術でどうこうできる自信があるのか。
どちらにせよ、トゥアハダには攻撃してみない限り判断のしようがなかった。
故に、彼は死角となりやすく、武器の長さを見誤りやすい下段からの斬り上げを警戒させるような動きをして、相手の出方を伺ったのである。
「オラァッ!」
トゥアハダの気合が、クラファトの耳に届く。
この時クラファトは、こんなにあからさまにも「私は下段から斬り上げます」と言ってるような攻撃は絶対罠だろうと言うことを見抜いていた。
見抜いていたからこそ、次の瞬間彼が石突を前方に突き出しながら接近し、刃で薙ぐのではなく、そのまま石突をクラファトめがけて突き出してきたことに対してそれほど不思議には思わなかった。
思わなかったからこそ、次のトゥアハダの一手を封じるところまで考えを及ばせ、それすらも対処する一手を講じることがでした。
「──Uradis」
次の瞬間だった。
トゥアハダは急に全身から力が抜けて、体を思い通り動かせなくなる瞬間を感じた。
そして、それとほとんど時を同じくして、何かの力の塊のようなものが、突き出した槍を起点に自分の方へと逆流してくるのを感じ、気がつけばトゥアハダはパルチザンから手を離して遠くへと吹き飛ばされていた。
「な、何が……起こって……?」
言葉一つで吹き飛ばされたことに、頭の中を混乱させるトゥアハダ。
否、この現象が魔法によるものだと言うことはわかっていた。
しかし、彼の知る限り魔法というものは、複雑な魔法陣を描き、長ったらしい呪文を間違えずに唱え終えてこそ、初めて発動するというもの。
先ほどのように、ただ一言呪文らしき言葉をつぶやく程度で発動する魔法など、聞いたことがなかった。
「どうかしら、私の反射の魔法は。
驚いてくれたかしら?」
ふぁさ、と、ウェーブのかかったイチイ色の長い髪を掻き上げながら、自慢げな顔でトゥアハダに問いかける。
「ああ、驚いたぜ。
まさか、あの簡単な魔法すら使えなかったお前が、魔法陣も長ったらしい呪文も無しにこんな魔法を繰り出すたぁ、もしかすっと、明日は雪が降るぜ?」
「ふふん、驚いてくれたようで何よりだわ!」
クラファトの問いに皮肉を返すが、──どうやら馬鹿なところは変わっていないらしい──彼女は誇らしげにそう返すと、空中で浮いたままのパルチザンを掴み取り、軽く旋回させてみせた。
「んー、ちょっと長いかしら?」
すると、彼女はそのパルチザンのサイズが気に食わなかったのか、そう一言呟くと、またもや呪文のような言葉を呟いて、槍の長さを調整した。
「──Eohing」
クラファトの言葉に、呼応するように光るパルチザン。
かと思えば、刹那、その槍の柄は徐々に長さを縮めていき、180センチほどだったそれは、クラファトの身長と同じくらいの長さである160センチくらいの大きさへと変貌した。
「どう、似合うかしら?」
「そうだな、十分似合ってるぜ。
まるで戦乙女か戦神だ」
「あら、口が上手いのね。
ならあなたもハンデなんて言ってないで、本気で相手をしたらどうかしら?
このままだと簡単に勝ってしまうわ」
かつて自分が弱者だと見下していじめていた少女にそれを言われると、なんとも言い難い屈辱を感じるトゥアハダ。
彼はゆっくりと起き上がると、ハッと笑ってみせた。
「そんな必要はねぇぜ、赤トカゲ。
お前の方こそ全力で向かってこいよ。
その悉く、叩き潰してやらぁ」
ビタンッ、と緑色の尾を地面に打ち付けて挑発するトゥアハダ。
対して、そんな彼の態度に青筋を立てるクラファト。
それからの二人の攻防は激しかった。
クラファトの魔法が悉く闘技場の地面を破壊し、変質させ、爆発を起こして破壊を繰り返し、対するトゥアハダはといえば、それを見切ってその魔法の悉くを回避したり、素手で地面を叩き割ったり、魔法をただの魔力の放出だけで破壊したりなどと──一言で言えば、ほぼ天変地異でも見ているかのような、それこそ常人には理解できない戦闘が繰り広げられていた。
こうなってくると、ここから先は魔力と体力の勝負になる。
どちらが先に魔力が尽きるのか、どちらが先に体力が尽きるのか。
そんなことは、この場にいる誰もが理解できない内容だった。
結論から言うと、先に力尽きたのはクラファトだった。
魔力はまだまだ残っていたものの、体力が先に尽きてしまい、一瞬の気の遅れからトゥアハダの一撃をまともに食らってしまったのだ。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…….。
全く、手こずらせやがって……」
最終的には本気を出さない宣言を撤回せざるを得なかった彼は、荒い息を整えながら、奪い返した槍を地面に突いて体を預ける。
両者ともにボロボロで、全身から血を流してすらいた。
「ヘヘッ。
また俺の勝ちだな、クラファト。
どうだ、悔しいか?」
これではもう、いくらクラファトといえど立つこともできまい。
トゥアハダはクラファトの手前にまで近寄ると、彼女の前に座り込んだ。
──しかし。
「……いいえ、全然よ」
そう見えたのは、どうやらトゥアハダの勘違いだったようだ。
「!?」
倒れ伏し、もう動けないと思っていたクラファトのイチイ色の瞳が、赫赫と輝く闘志の炎が、まっすぐにトゥアハダの緑色の瞳を射抜いて、その小さな手が彼の足首をむんずと掴み取った。
「お前……!?
もう力尽きた筈じゃねぇのかよ……!?」
「残念だったわね。私、諦めが悪いの」
彼女はそう言うと、ククッと喉を鳴らして笑った。
トゥアハダは信じられなかった。
あれだけの攻防で、彼はてっきり魔力を使い果たしてしまったものだと思い込んでしまっていた。
それに、昔から腕力の弱かったクラファトだ。
諦めの悪い性格なのは知っていたが、いつもはこの力強い拳を見舞わせれば、簡単に昏倒してしまい、もう二度と起き上がってこなかったはずなのだ。
今回は彼女の成長考慮して、もっと強く殴った筈だった。
……しかし、ここではたとこれまでの攻防の記憶を振り返ってみると、今の先ほどまで自分が思っていた、クラファトに十分なダメージを与えていたと言う感覚に疑問がよぎった。
トゥアハダはつい先ほどまで、自分と同じくらいクラファトも殴られていたような気がしていた。
しかしおかしなことに、よくよく思い返してみれば、彼女はあの一撃を真に受けるまで、まだ一度も攻撃らしい攻撃を受けてはおらず、そういえば肉体的なダメージを負っていたのは、全てこのトゥアハダだけだったのである。
「あら、ようやく気づいたかしら、私のトラップ」
「……トラップって、まさかこれが魔法の効果だって言うのか?」
今まで、そんな魔法は聞いたことがなかった。
それ故に、彼は信じることができなかった。
魔法をかけられていることにすら気がつかないだなんて、そんなもの、魔法というより呪いと言った方が近いのではないか。
トゥアハダはキッ、とクラファトを睨み付けると、その持っていた槍で彼女を突き刺そうとその他を振り上げた。
「無駄よ」
しかし、その振り下ろされた槍は、クラファトに触れる寸前で動きを止めて、吸い寄せられるようにその穂先を地面へと縫い付けられた。
「はぁ!?」
思わず、トゥアハダの口から驚きの声が漏れた。
対し、クラファトはクスクスと笑みを浮かべる。
「当たり前よ。
だってその槍、私に服従させているもの。
奴隷が主人を殺せるわけないでしょ?
その槍で私は殺せないわ」
万事休すか。
武器を使うことができなくなったトゥアハダは、チッと舌打ちをすると、その槍を投げ捨てた。
この時、彼はすでに、もうクラファトに勝負で勝てるとは微塵も想像することができなくなっていた。
たとえ何をしようとも、きっとまだ知らない魔法でコロコロと手のひらの上で踊らされてしまうのだろう。
そう考えると、ひどく屈辱でしかなかった。
「どうかしら?
少しは私のこと、見返してくれたかしら?」
「あぁ、見直したぜクラファト。
どう頑張っても、俺はお前に勝てそうにねぇ」
酷ぇ屈辱だ、と心の中で愚痴るトゥアハダ。
かつて散々いじめていた相手に、こうも完膚なきまでに叩き潰されると、これまで自分がしてきたことがどれだけ愚かで屈辱的だったことかということを思い知らされる。
トゥアハダは緑色の目で天を仰ぐと、実況席に座っている審判に向かって、手を挙げ、大きな声で宣言した。
「リザイン!降参だ!」
こうして、クラファトは見事、かつてのいじめっ子を見返させることに成功したのであった。