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7. ある死者の追憶

「じゃあロー兄さん、また何かあったらよろしくね」

「うん、またいつでも呼んで」


 心底疲れたが、笑顔を取り繕った。

 ……取り繕わなければ何か良くないものが溢れ出してしまう気がして、上手く立てなくなる気さえして、後は……これ以上、何も考えたくないからでもあった。

 正直、ここ最近は目に映るものも聞こえるものも現実味がない。思い出せない記憶も増えたし、地に足が着く感覚なんかとっくに消え失せている。


 数分前の記憶にさえポッカリと穴が空いていて、上手く、思い出せない。

 ぐにゃりと世界が歪む。帰ってきた痛みを理性が拒絶し、また何か、大切なものが剥がれ落ちた気がした。




 死にたいと思ったことはいくらでもある。

 ただ、死のうとしたことは無かった。……と、思う。

 底知れない恐怖や苦痛を差し出してまで、願うことでもなかったから。

 ああ、だけど、今なら理解できる。死にたいって気持ちが理解できる。もうとっくに死んでいるのに、身に染みてわかる。


 この苦痛がこれからも続くのなら、そりゃあ、死んだ方がまだマシだ。


 意識が白ずみ、自我が弾け飛ぶ。

 抜け殻になってなお作り物の笑顔を浮かべる、張りぼての「俺」だけがそこに残された。




 ***




 ローランドは優しい子だから痛くたって我慢してくれる。

 ロー兄さんは苦しくても笑っていて、すごい人だ。


 俺は別に自分をそんなふうに評価してるわけじゃないけど、そう思われるならそうでいい。……合わせた方が楽だ。何も考えなくて済む。


 だけど、

 俺が我慢できるのはそもそも人に期待をしないからで、

 苦しくても笑っているのは、腹が立って仕方ないから笑って誤魔化しているからで、


 別に、平気なわけじゃなかった。




 ***




 タバコの匂いがする。


「……別に、用はなかったけど……なんて言うのか……」


 ボソボソと、歯切れの悪い声がする。……ロッドだ。

 ロナルド兄さんの弟で、俺にとっては義弟で、幼馴染。


「なにかして欲しいこと、ある?」

「……して欲しい、とか、そういうんじゃなくて……」


 ああ、もう。はっきり喋れよ。……まあ、ロッドが口下手なのは、今に始まったことじゃないか。


「……やっぱ、いい。また痛い思いして欲しいわけじゃねぇから……」


 ……また?ロッドは、何を嫌がっているんだろう。


「いつもみたいに……そこらへんの、読んでて欲しい」

「それだけでいいの?」

「……いてくれるだけで、いいから」


 こちらを向かないまま、パソコンに向かう黒髪。

 ……肩に触れようとして、やめた。


 次々と画面に浮かび上がる文字が、魔法のようにも見える。手元の物語に記された魔法より、ずっと、すごい力に思える。

 ガシガシと頭を掻きながら、ロッドは新しいタバコに火をつける。……身体に悪いだろ、そのやり方。


 なぁ、ロッド。

 ちゃんと立ち直って、未来に進んで、それで……俺のことなんか忘れて、幸せになれよ。……なんて、

 そう思っているのに、どうしてだろう。その、たった一言二言が伝えられない。


 ピロリ、とメールの着信音が暗がりに響く。

 カチリ、とクリック音が響いて、パソコンの画面に表示される「Keith」の文字。


 ──キース……?


 意識の奥で、なにかが蠢く。


「……弱ってんな。仕事、上手く行ってねぇのか……?」


 ぽつり、と漏れ出たロッドの呟き。

 鳴り響くブレーキの音が、蓋をした記憶を押し上げる。……蘇る。


 ──こりゃ酷い……

 ──しっかりしてください!気を確かに!

 ──ダメだ、息をしてない……!とにかく止血しろ!

 ──誰の責任だこれ……?それにしてもなんだってこんなところで……


 飛び散った内臓と血飛沫と、ゴロンと転がった自分の脚と、ガチャガチャと反響して混ざる声


 おまえが悪いんだよ?だって、あなた気づいてたのに。

 事故が起こるかもって、気づいてたのに、見て見ぬふりをした。

 ……だから、今度は君の番。僕達の次は君の番。

 続いていけば、いつか変わるさ。私たちの犠牲も報われる。


 ──手遅れか……もう、死んでる


 腹を開いた医者が、なんか、そんなことを言っていたのを聞いたのは、どこでだったっけ。手術室で死にかけてる「俺」を見ていた気もするけど、ダメだ、これ以上は、これ以上思い出したら……


 痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い


 ドロリと粘ついた闇が俺を取り囲んで、引きずるよう連れていく。ロッドに助けを求めようとして……そのまま、叫びも飲み込んだ。

 だって、どうせ、もう死んでるんだ。……ロッドには、迷惑かけたくない。


 ずるずると闇の中を引きずられながら、俺の意識も闇に溶け出していく。

 ……ロジャー兄さんは、大丈夫かな。あの人も、すぐ平気なフリするし……。消滅とかしてたら、やだな。神の国にも行けなくなるだろ、それじゃ。


「……何これ。魂ってここまでボロボロになれるもんなの?」


 知らない声が降ってくる。


「っていうか、どういう状況これ? 犬っぽいのは消えちゃったんだけど……」


 ……犬……って、もしかして、俺も見たやつかな。


「とりあえず、大丈夫?生きてる?……生きてる……はおかしいかな。名前言える?」


 ……俺の名前……って、

 なんだったっけ……?

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