93話「百年記念塔」
「天気も悪いし空気も悪い、最悪な朝だな」
まだ日が昇り始めた早朝。
両親以外のみんなは、この異様な雰囲気を感じ取ってすでに起きていた。
「うわぁ、暗いね〜。あと眠い」
「くらい〜、ねむい〜」
ウルとリンはまだ眠たそうだ。目を擦りながら眠気を覚ましている。
「にしても、本当に嫌な雰囲気だな」
空は曇天で薄暗く、空気も重い。
住んでいた時にもこんな異常は感じたことがない。
「滝川市って……普段からこんな感じじゃないよね?」
「さすがに普段からこんな雰囲気じゃないよ。そもそも、今日の予報は晴れだった筈だし」
潤叶さんにそう言葉を返しながら、『強化』の異能を使って感覚を研ぎ澄ませてみる。
心なしか、普段より空気中の霊力が多い気がするな。
「この空気の重さって霊力が原因だったりする?」
「おそらくそうだと思う。前に霊力の溜まり場の調査をしたことがあるんだけど、その時と同じ感じがするの」
潤叶さんが髪をかき上げながらそう教えてくれた。
この異様な雰囲気も予想外の天候の変化も、高濃度の霊力が原因らしい。
というか、髪を簡単に整えただけなのに潤叶さんの美人オーラって凄いな。ファンクラブができるのも納得だ。
「目の保養中に申し訳ないんだけど、ご実家に結界張り終えたわよ」
「は、はいっ!ありがとうございます!」
ニヤニヤとした笑みを浮かべながら芽依さんがそう報告してきた。
家の安全を確保するため、芽依さんには結界を張ってもらっていたのである。
「目の保養?」
「な、何でもないよ」
潤叶さんは俺の邪な視線に気付かなかったらしい。助かった。
「……見つけたぞ。ここから南東へ少し向かった所に異常な霊力の気配を感じる。そこがこの異様な雰囲気の発生源のようだ」
そんな雑談を交わしていると、クロが『擬似・感知』でこの異変の発生源を特定してくれた。
この異常事態を察してすぐに、クロは原因の探索を行なってくれていたのである。
「クロサン、コノ地域ノ地図デス」
「ありがとうニア。反応があった場所は、ここだな」
スマホモードのニアが地図アプリを開き、クロがその位置を指し示した。
ここはーーー
「ーーー百年記念塔か」
「百年記念塔?」
「滝川市の開基百年記念だかで建てられた塔でね。60メートル近い高さで展望室もある建物なんだけど、とっくの昔に閉館して誰も入れなくなってるんだ。俺が生まれる前の話だから詳しくは知らないんだけどね」
「この街の象徴的な建物だけど、すでに廃墟になっているってこと?」
「そんな感じかな」
潤叶さんにそう伝えると一変して厳しい表情となり、何かを考え始めた。芽依さんも似た表情をしている。
何があったのだろう?
「あ、説明もしないで考え込んじゃってごめんね。実は、廃墟みたいに人の思いが集まりやすい場所は霊力の溜まり場になることが多いの」
廃墟の存在は少なからず人の気を引く。そこから発生する噂話がさらに多くの人の気を引いて思いが集まると、霊力の溜まり場となるそうだ。
「学校とか病院は地元の人の思い出に残りやすいし、廃墟になると興味の対象にもなりやすいからとんでもない霊力の溜まり場になることがあるのよ。悪霊もわんさか寄ってくるから、小さい頃は廃墟見てよく吐いてたわ」
芽依さんが辛い過去と共にそう教えてくれた。
まだ目を凝らして廃墟を見たことは無いが、見る機会があれば吐かないように気をつけよう。
「その流れで考えると、この街のシンボルのような建物なのに相当前から使われてないなんて、霊力が集まる条件としては最適なのよ。たぶんだけど、とんでもない量の霊力が溜まってるわ」
「溜まってるとまずいんですか?」
「ただ溜まってる分には問題ないんだけど……悪用されたらまずいのは確かね。ただ、そう簡単に利用できるものじゃない筈なのよね」
芽依さんの『補霊結界』もそうだが、自然界の霊力を扱うには相当慎重な操作が必要らしい。
莫大な量の霊力ともなれば常軌を逸した集中力と相応の術式が必要だとも教えてくれた。
「溜まった霊力で何かをするのは難しいけど、何かされたら相当やばいってことですか」
「そういうことよ。でも実際にヤバそうな事態が起こってるし、このタイミングってことは絶対に千年将棋が原因でしょ。だからこそ、何をしようとしてるのか私も潤叶ちゃんも考えちゃったのよね」
昨日の今日という関連性しかないタイミングでの異常事態。
戦ってる最中も楔がなんちゃらとか言ってたし、間違いなく犯人は昨日戦った千年将棋の駒だろう。
みんなもそう確信しているようだ。
「霊力の溜まるところでは何らかのきっかけで強大な妖が生まれることもあるので、意図的にそういった妖を生み出して使役しようとしてるのかとも思ったんですけど……リスクが高い気がするんですよね」
潤叶さん曰く、自分たちを圧倒した相手がまだ街にいる可能性が高いのに、大妖怪を生み出そうとするのは妨害されるリスクがあまりにも高いという考えのようだ。
確かにそれは思う。俺が相手の立場なら、別の街に逃げてから戦力を整えようと考える気がする。
「つまり、俺たちに倒される覚悟で成し遂げなきゃならない目的が相手にあるわけか……」
「目的の内容は想像つかないけど、碌な内容じゃないのは確かでしょうね」
「時間との戦いですね。急いだほうが良いと思います」
芽依さんと潤叶さんとそう話し、水上家からの応援を待たずに百年記念塔へ向かうことに決めた。
ちなみに、起きてすぐに潤叶さんが龍海さんへ連絡してくれたのだが、どんなに急いでも増援到着まで2時間はかかると言われたそうだ。
「増援が到着するまで絶対に動かないように!」という指示もきていたのだが、待っているほうが危ない気がするので先に行かせてもらう。
「早朝で道も空いてるだろうし、ここなら車で10分もかからないわね。準備はいい?」
「大丈夫です」
「問題ないぞ」
「カカーカ」
「だいじょぶー」
「大丈夫デス」
「大丈夫だよー」
芽依さんの問いかけに、俺とクロたちが次々と答えていく。そしてーーー
「潤叶ちゃんも、準備はいい?」
ーーーみんなとは別に、潤叶さんにだけそう問い掛けた芽依さんの言葉。
その問いには、単純に支度を終えたかという意味だけではなく、母親の仇を前にして冷静でいられるかという精神的な覚悟の確認も含まれているのだろう。
「……正直、千年将棋を前にすれば冷静ではいられないと思います。この10年間、陰陽術師として努力を重ねてきた理由の大部分は、母の仇を取るという目的のためだったので」
潤叶さんが顔を少し俯かせながら語ってくれた。
母親の術師としての姿にどれほど憧れ、人としてどれほど尊敬し、家族としてどれだけ好きだったのかを……。
「この10年間抱え続けた恨みや憎しみは、千年将棋を倒すまで消えません。でも、昨晩幸助くんのご両親とお話しして思ったんです。私がお母さんのことを大好きだったように、お母さんも私のことを思ってくれていたんだろうなって……」
息子の学校の同級生で、学校のマドンナで、一流の陰陽術師。うちの両親が興奮する要素満載の潤叶さんは、昨日の夕食時に誰よりも両親の餌食になっていた。
だが、その時の話題のほとんどが俺の学校生活に関する内容だったらしい。
幸助は友達とうまくやれているか。こうちゃんは誰かに迷惑をかけていないか。そんなことたくさん聞かれ、うちの両親がどれだけ俺のことを思ってくれているかを感じたようだ。
なんか……恥ずかしい。
「もちろん、そんな理想的な親ばかりじゃないのは理解しています。でも、私のお母さんは間違いなく、私と潤奈のことを今でも大切に思ってくれている。もちろんお父さんも、私たちの無事を願ってくれている。それだけは確信できるって、改めてわかりました」
そう話し、潤叶さんは顔を上げ、強い眼差しで俺たちを見つめた。
「だからもう、自分を顧みないような行動はしません。大丈夫です!」
完全に吹っ切ったわけではないだろう。というより、吹っ切れるようなことじゃない。
それでも、潤叶さんの目は復讐や憎しみで濁ってはいない。本当に大丈夫そうだ。
「よし、それじゃあ出発しようか!」
まだ両親は寝ている為、家から出ないようにと書いた置き手紙を残して出発することになった。
家には芽依さんの結界も張ってあるし、寝ている両親にはこれでもかというほど『身代り札』を貼っておいたので、何か起きても大丈夫だろう。
ちなみに、潤叶さんと芽依さんにも大量に渡してある。
「そういえば昨日聞こうと思ってたんだけど、大量に持ってるその身代り札って……盗んだわけじゃないよね?」
「違います違います!自作です!」
「じ、自作なの……!?」
「自作……!?」
運転中の芽依さんの質問にそう答えると、芽依さんだけでなく潤叶さんまでもがこの三連休で一番の驚きを見せていた。
「幸助くん、身代り札がどれほど貴重なものか知ってる?」
「一応は……知ってるつもりかな。神前試合の時の説明もちゃんと覚えてるし」
「ふふっ、そう言えば私が説明したんだったね」
神前試合に仮面の術師として参加した際、潤叶さんが身代わり札の説明をしてくれたのだ。
懐かしいな。まだ3ヶ月くらいしか経ってないけど。
「そしたら改めての説明になるけど、身代り札は本当に貴重なの。身代り札の保管庫が襲撃されたり、身代り札の製作技術を手に入れるために五大陰陽一族の各当主を拉致する計画が練られるほどにね……だから、身代り札が作れることは絶対に言わないほうがいいと思う」
潤叶さんから真剣な表情でそう忠告を受けた。
一度だけ死に至る怪我を無かったことにできる道具。
たしかに、そんなものが作れるなんて知られたら危険すぎるな。世界中から狙われてもおかしくない技術だろう。
「一応は……知ってるつもりかな」とか言ったが、全然無知でした。
「やばい、実はすでに人にあげてる……」
「もしかして、雫さんたち?」
「あ、うん。ソージを通して渡したんだけど、どうしてわかったの?」
「実はね……」
邪神の心臓を宿した術師との戦いの際、俺が駆けつける前に潤叶さんは雫さんたちと協力して戦っていたらしい。
その後、龍海さんが雫さんたちを家に招き、同席していた潤叶さんと潤奈ちゃんとアウルちゃんと共に異能者の存在と雫さんたちの事情を知ったそうだ。
「雫さんたちと幸助くんって仲が良いし、葛西くんが幸助くんのことを慕ってたから、異能者のことだけじゃなくて他の事情も知っていたのかなって思ってね」
「なるほど、だから安全のために渡していると思ったのか。大正解です」
「やった、正解……じゃなくて、雫さんたちなら大丈夫だとは思うけど、念のために広めないよう言っておいたほうがいいからね」
「はい。あと、今後は気をつけます」
潤叶さんのかわいいノリツッコミをいただきながら、ありがたいお説教も賜った。
身代り札に関しては本当に気をつけようと思う。
「あっ!そういえば、潤奈ちゃんとアウルちゃんにも身代り札渡したことあるんだけど……何か言ってた?」
邪神の心臓を宿した術師との戦いの際に、2人にも身代り札を渡したことを思い出した。
「私は何も聞いてないから……たぶん、広めたら危ないと思って2人とも隠してると思う。お父さんが知れば何かしらの行動を起こすと思うから、お父さんにも言ってないかもね」
そうだったのか。俺と違って、2人は身代り札を所持している危険性をちゃんと理解していたらしい。
次会ったらちゃんとお礼を言おう。
「となると、あと知っているのは……」
「運転に集中していて何も聞こえなかったー、昨日も人型のお札を渡された気がするけど、何だったかわからないなー……いや、本当に誰にも言わないわよ?言った本人だって面倒なことになりそうだし」
確かに、「身代り札を一人で作れる術師がいるぞー!」とか言ったら、まずはその人自身が捕まって事情聴取とかされそうだ。
「信じてます。あと、さりげなく危険な騒動に巻き込んでしまってすみません」
「それは全然構わないわよ。結城くんたちがいなかったら、昨日の戦いで命を落としていたかもしれないからね。せめてもの恩返しにこの秘密は死んで幽霊になっても誰にも話さないと誓うわ」
芽依さんが真剣な表情でそう誓ってくれた。
よかった。とりあえず、身代り札関連で狙われる危険性は減ったな。
「そういえば、この身代り札っていつ作ったものかわかる?」
「たしか……今回持ってきた身代り札は連休前に作った出来立てほやほやのやつだよ」
フリーの術師として初めての仕事だったため、気合を入れて新しい身代り札を作ってきたのだ。
ちなみに、家には以前作ったものがまだ大量にある。
「それなら大丈夫だね。身代り札は莫大な霊力をこの小さなお札に無理矢理押し込めてるような状態だから、ちゃんとした保管場所じゃないと霊力が霧散して効果がなくなっちゃうの。たしか、1ヶ月くらいしか保たないはずだから気をつけてね」
「えっ……」
「着いたわよー」
百年記念塔のある『北電公園』に到着すると同時に、家にある身代り札のほとんどは廃棄となることが決定した。SDGs……。
そういえば、昨日の泥沼は偵察に使った土人形たちに限りなく元の形に戻すよう命令しておいたので、自然破壊の痕跡は直っている筈だ。たぶん、大丈夫……たぶん。