88話「……猪、撫でたい」
陰陽術師の中でも相当な実力を持つ潤叶さん。寝ながらでも結界術を発動できる芽依さん。そして、あらゆる面でぶっ飛んでいるマイファミリーズと俺。
逆に問いたい。どれくらいの戦力ならこの布陣を崩せるのだろう?
「か、勘弁してください……」
目の前には、笹の葉を纏った猪がニアの霊力糸でぐるぐる巻きにされ、芽依さんの結界に閉じ込められている。
「結城くんの家族、頼もしすぎないかい?」
「自慢の家族です」
芽依さんが攻撃を防いだ直後、シロが音波で位置を特定し、リンが目にも止まらぬ速度で接近。ハリセンに変化したカルで戦意が喪失するまで叩き続け、最後はニアの霊力糸でぐるぐる巻きして決着がついた。
超スピード解決。俺も潤叶さんも芽依さんもクロも、ただただ見ているだけだった。
「え?何があったの?」
ウルだけは、最後まで状況を把握できなかったらしい。
「さて、君は何者だい?見たところ妖のようだけど」
「い、猪笹王って呼ばれてるっす」
「猪笹王だと?」
猪の名前を聞き、クロが再び臨戦体制に入った。
「ひいっ!い、猪笹王っていっても各地にある伝承の一つから生まれた若輩者っす!『一本だたら』とか言われてる本物には遠く及ばない雑魚っす!」
クロの殺気を受け、猪が慌てて説明している。何があったのだろう?
「妖や妖精って、伝承とか知名度とか信仰心の影響で強力な個体が生まれることがあるの。猪笹王って、『一本だたら』とも呼ばれてる結構有名な妖だから、それで猫神様は警戒したんだと思うよ」
首を傾げる俺に、潤叶さんがそう説明してくれた。
霊力が溜まりやすい場所などの環境要因も必要だが、有名な伝承から生まれると強力な妖になることがあるらしい。だからクロが臨戦体制になってたのか。
「それじゃあ、この猪って結構強いの?」
「ううん。たぶん弱い分類だと思う。一本だたらって伝承の多い妖なんだけど、各地で伝承が違っててね。派生した伝承から同じ名前の妖が生まれることもあるんだけど、そうして生まれると本来の伝承ほどの力はないの」
複数の伝承がある有名な妖は、伝承の数だけ同じ名前の個体が生まれることがあるらしい。その場合は力も分割されるため、強力な個体にならないそうだ。
「逆に、異なる伝承が混ざり合うことで無名ながらも強力な妖が生まれることもある。おそらく、儂はその類だろうな。各地の化け猫の伝承の一部が、何らかのきっかけで混ざり合って生まれた存在なのだろう」
「なるほど、だからクロって強いのか」
潤叶さんの説明を補足するように、クロも妖の誕生について教えてくれた。
つまり、目の前の猪は名前ほど強くなくて、クロは化け物ということだな。
「とりあえず尋問の続きといきましょうか。それで?どうして私たちを攻撃したの?」
芽依さんの言葉で、再び猪への尋問が始まった。
「それは誤解です。攻撃する意志はなかったんす、ただ間違えただけなんですよぉ」
「嘘デス」
「嘘だな」
芽依さんの質問に平謝りしながら答えた猪の言葉を、ニアとクロが即座に嘘と断定する。
こちらには最強の嘘発見器が2人もいるのだ。嘘で騙すことは不可能に近い。
「潤叶ちゃん、注水しちゃって〜」
「わかりました。水、流、『清流』」
結界に開けられた小さな隙間から、潤叶さんが陰陽術で水を入れ始めた。結界の中は徐々に水で満たされていき、霊力糸で簀巻きにされた猪は溺れないよう必死に頭を上げている。芽依さん考案の即席拷問だ。
こんな術の使い方もあるのか、勉強になるな。
「それで?どうして私たちを攻撃したの?」
「ごぼっ、じゃ、邪魔されたくなかったんす!」
「何の邪魔をされたくなかったの?」
「そ、それは……」
「潤叶ちゃん、注水量上げて〜」
芽依さんの合図で潤叶さんがどんどん水を流し込んでいく。だが、表情は少し暗い。
こんな水責めのような拷問はする方も辛いのだろう。
「……猪、撫でたい」
違った。この猪を撫でられない事に不満があっただけのようだ。
「ほれほれ、早く言わないとこのまま火にかけて猪鍋にしてやるぞ〜」
「言います!言います!実は……」
「キャッチ!」
次の瞬間、森の奥から尋常ではない速度の槍が結界へ向けて飛来した。しかし、結界に刺さる寸前でリンが掴み取ったため、被害は皆無だ。
というかリン、いつの間にそんな逞しくなったんだい?その技、俺もできないんだけど?
「防がれるかな〜と思ってはいたけど、まさか掴み取られるとは思わなかったよ。やるね君」
槍の飛んできたほうから、リンと同い年くらいの女の子が歩いてきた。
口ぶり的にこいつが槍を投げてきたのだろう。
「この猪のお仲間かな?」
「ふんっ、そのバカ猪の仲間と思われるのは癪だけど、そいつにはまだ仕事があるの。返してよそれ」
「いやぁ、そう言われて素直に返すわけにはいかないでしょ」
「ふーん、そう。じゃあ力づくで返してもらうわ」
芽依さんの言葉に少女がそう返すと、リンが掴んでいた槍が消え、再び少女の手元に現れた。
同時に、莫大な霊力と殺気が槍使いの少女から放たれる。この少女、とんでもなく強……横から別の殺気!?
「潤叶さん!?」
「……ごめんね幸助くん。この妖は、私が殺す!」
そう言いながら、尋常ではない殺気を放った潤叶さんが駆け出していった。
予想だにしない状況に、クロたちも芽依さんも驚いている。まずい!反応が遅れた!
「リン!フォローして!」
「わ、わかったー!」
一番足の速いリンにそう指示を出し、俺は遠距離からの援護に思考を切り替える。だが、先に駆け出した潤叶さんにリンが追いつけない。
潤叶さんはリンとほぼ同じ速度で駆けている。
「凄い速さだ、何だあれ?霊力で身体能力を強化してるのか?」
「それだけではないな。人体の水分を強制的に操作して肉体の限界を取り払っているのだろう。水上家に伝わる禁術の一つだ。早く止めねば命に関わるぞ」
クロがそう説明してくれている間に、潤叶さんが槍使いと接敵した。
「水、槍、撃、『連水槍』!」
「おお!あなたも槍使い?いいねいいね!やろうやろう!」
「黙りなさい!」
潤叶さんは3本の水の槍を作り、まるでジャグリングをするかのように槍を持ち替えながら次々と攻撃を加え続けている。凄い技だ。完全に潤叶さんが押している。
だが、このままではまずい!
「あの術ヤバすぎだろ、数分も保たないぞ」
習得能力による分析で分かったが、潤叶さんの施している強化は数分もしないうちに体中の血流が乱れ始め、内出血や血栓が多発して死に至るようなものだった。
あまりにも危険だ。早く止めなければっ!
「やっと追いついたー!」
「あなたの相手は私が引き受けよう」
リンがフォローに入ろうとした瞬間。木陰から大太刀を持った長髪の男性が現れ、リンと刀を交えた。
くそっ!ここで新手かよ!
「クロ、シロ、合わせろ!『溶解』!」
「擬似・『捕縛』!」
「カカーカ!」
地面に手をつき、戦闘が行われている場所までの一帯を泥沼に変えると同時に、クロが前方で戦っている潤叶さんと槍使いと大太刀使いの3人を捕縛。続けてシロが衝撃波を放ち、槍使いと大太刀使いを吹き飛ばした。
咄嗟だったが、クロとシロは俺の気持ちを汲んで完璧に合わせてくれた。流石だ。
「リン!」
「りょーかい!」
溶解の異能で一帯は泥沼と化しているが、リンは足元から衝撃波を放つことで泥沼の上を走り、沈みかけている潤叶さんを回収して戻ってきた。
潤叶さんはクロの捕縛でうまく動けないようだが、禁術はまだ解いていないらしい。
「ごめん潤叶さん。男女平等拳」
顎下を撫でるように拳を走らせ、潤叶さんの意識を奪った。同時に術も解けたため、これで血流の乱れが起こることもないだろう。
にしても、男女平等拳を潤叶さんに使うことになるとは思わなかった……。
「ダメだ。気持ちを切り替えよう」
前方を見ると大太刀使いと槍使いは捕縛を自力で振り解き、すでに体制を整えている。
クロの能力でもこんな僅かな時間しか抑えられないとは、相当強力な妖らしい。
「芽依さん、サポートありがとうございます。ニアとウルも、ありがとな」
「オ任セクダサイ」
「ご主人様たちには指一本触れさせないよ!」
「弟子がこんなに頑張ってるんだから、サポートくらいはね」
後方を見ると、結界や霊力糸で拘束されている熊が抜け出そうと暴れている。
実は、大太刀使いが現れたと同時に10頭ほどの熊の群れが現れ、俺たちに襲いかかってきていたのだ。だが、芽依さんとニアとウルが結界や霊力糸でそれを食い止めてくれていたのである。
「でもごめん。あの猪取られちゃった」
「いえ、俺たちを守ってくれただけでありがたいです」
咄嗟の出来事だったため、芽依さんは猪を囲っている結界から一瞬視線を外してしまったらしい。その隙をついて熊の一頭が結界を破壊し、猪を連れ去ったようだ。
それにしても凄い力だな。芽依さんの本気では無いとは言え、猪を閉じ込めていた結界は相当な強度だった。それを破壊できるなんて、普通の熊じゃない。
「あれはたぶん、ケナシコルウナルペが操って強化している熊だね」
「けなしこるうなるぺ?」
「私たちがこれから会いに行く予定だった、熊を操る妖だよ。最近は熊愛でながら大人しく隠居してるって聞いてたんだけど、あの大太刀使いと槍使いの仲間だったのかな?ちょっと状況が把握できないね」
芽依さんが真剣な表情でそう説明してくれた。
どうやら、熊を操る妖もどこかに潜んでいるようだ。
「桂〜、どうするの?」
「目的は果たしたが、中々魅力的な駒がいるようだ。少し様子をみても面白いかもしれないな」
「ふふふっ、そうこなくっちゃ!」
桂と呼ばれた大太刀使いと槍使いの少女はやる気のようだ。
「それならこちらも臨むところだな。クロ、潤叶さんの治療をお願いしてもいいか?」
「すでに始めておる。だが、後遺症も残さないよう治すにはしばらくかかりそうだ。サポートはあまりできん」
「サポートはいい、潤叶さんの治療に集中してくれ。こっちは俺たちでやるから」
「あ奴らは、強いぞ?」
「分かってるよ。無理をするつもりはない。父さんと母さんにも無事でいてほしいって言われたからな」
思い返せば、今までの戦いは身代わり札を前提とした危ない立ち回りばかりしていた。もしかしたら、一度死んだ経験で危険と感じるラインがおかしくなっていたのかもしれない。
反省だな。
「芽依さん、これ貼っておいてください。身代わり札です」
「わぉ、とんでもないもの持ってるね……しかも5枚も」
芽依さんは身代わり札に驚きながらも、理由は聞かずにそれを貼ってくれた。
意識を失っている潤叶さんにも貼っておく。もちろん、俺やクロたちにも増量しておいた。
だが、これはあくまでも最終手段だ。身代わり札の発動を前提に戦うつもりは毛頭無い。
「芽依さん、俺たち全員を守ることってできますか?」
「固まっていてくれるなら余裕よ。どんな攻撃でも防いでみせるわ」
本当かどうかは分からないが、この森が消し飛ぶような攻撃でも一回だけなら防げるらしい。頼もしい限りだ。
「こっちは潤叶さんと治療に集中しているクロを守りながらの戦い……相手はどう見ても接近戦が得意……こっちの方が数は有利だけど、乱戦は危険だな……」
静かにそう呟きながら、状況を冷静に分析していく。
そういえば、熊を操る妖や逃げた猪以外の敵が潜んでいる可能性もあるな。数の有利も見せかけだけだろう。
「作戦とかはあるの?」
「守りを固めながら問題を一つずつ解決していこうと思います」
まずは味方の数を増やすか。
「『愚者の大軍』」
そう呟きながら拘束されている熊に向けて魔力を注ぎ込むと、目の色が変わり敵意が消えた。無事に支配下に置けたようだ。
よし、次は援軍対策だ。