87話「気合いよ!」
森の入り口に車を停めてから歩くこと30分。
「まだ目的地、到着しませんね」
「ごめんごめん。さっきのは、車を停める場所に到着って意味」
「あはは、でも、目的地は本当にもう少しだよ」
芽依さんが「よーし、到着した〜」と言って車を停めてからずっと山道を歩き続けている。見事に騙された。
潤叶さんが言うにはもう少しらしいので頑張るとしよう。
「騙しちゃってごめんね。それじゃあ弟子の機嫌を取るために、師匠が結界術とはなんたるかを教えてあげよう。潤叶ちゃんたちも聞くかい?」
「聞きたいです!」
潤叶さんが少し興奮気味だ。芽依さんの結界術はそれほどのものなのだろう。
クロたちも興味があるようで、耳を傾けている。
「まず、結界術っていうのは術の中でも一番ベーシックな分類なの。なんでかは分かる?」
「うーん……簡単だから、ですか?」
習得能力が高すぎて難しいも簡単も無いのだが、結界術は使える術の中で一番アレンジがしやすい。形を変えたり、硬度を変えたり、特殊な効果を付与したりなどだ。
さらに、媒介にするお札も体に術式を刻む必要もない。おそらく、術の中でも使うのが容易な分類なのだろう。
「大正解。結界術って結構簡単なのよ。それこそ、普通の人でも無意識に使えちゃうくらいね」
「普通の人でも使えるんですか?」
「そうだよ。例えば、心霊番組を見た夜に怖くて布団に包まった時、とかね」
「えっ、その程度で結界が発動したりするんですか?」
「それがしちゃうんだよね。部屋に閉じこもりたいと思いながら扉の鍵をかけた瞬間とかに発動することもあるみたいだよ」
何かから逃れたいと強く願ったり、恐怖から心を閉ざしたり。そういった思いが媒介となって結界が発動することがあるらしい。
「ま、そんな偶発的な結界にほとんど効果なんてないけどね。ほんのちょっと気配を薄くしたり、ちょこっと近寄り難い雰囲気出したり、悪霊がほんのちょっと嫌がったり、その程度の効果しかないわけよ」
「それでも偶発的に発動するくらい簡単なんですね。しかも効果も様々ですし」
「いいところに気がつくねぇ。その効果が様々っていうのも結界術のポイントなのよ」
術式を必要としない術には結界術や霊力糸以外に、霊力で身体を強化する身体強化があるとクロから学んだことがある。
それらの術も比較的簡単でベーシックな術ではあるのだが、結界術はそれらと違い、効果にアレンジが加わった上で勝手に発動するほど簡単らしい。
つまり、結界術は数多くある術の中でも最も容易で応用が効く術なのだ。
「潤叶ちゃんみたいに水の適性があれば水属性の結界なんかも作れちゃうし、形状や効果を変えれば攻撃にも使えちゃう。結界術っていうのは簡単な上に、何にでも使える万能の術なのよ」
潤奈ちゃんが前に使っていた『霧幻結界』は、今芽依さんが話していた水属性の結界なのだろう。
「あれ?でも、そんなに万能なら結界術だけ極めれば良さそうじゃないですか?」
神前試合の時に気炎って人が『炎焼燃壁』という炎の壁を作り出していたが、結界ならもっと簡単に作れたのではないかと思う。
「さすが私の弟子だ、いい質問だね。実は結界には重大な欠点があるのよ。潤叶ちゃん、わかる?」
「消費霊力が大きいことですよね」
「正解。結界術って、燃費すんごい悪いのよね」
芽依さん曰く、自分の得意な属性術で壁を作るよりも、同じ強度の結界術のほうが倍近く霊力が持っていかれるらしい。
「それと、実はもう一つ重大な欠点があってね。術を同時発動する時、結界術って結構脳の処理能力を持っていかれるのよ」
「処理能力ですか?」
潤叶さんがそう言いながら首を傾げている。この欠点は潤叶さんも知らなかったようだ。
「潤叶ちゃんの処理能力は化け物じみてるし、結界術はあんまり使わないだろうから気付かないのも無理ないわね。あくまでも私の体感だけど、結界術1つで似たような壁を張る術2つ分くらい、脳の処理能力が必要になるわ」
「結界術って、簡単なのに処理能力は必要なんですね」
「そうなのよ。おそらくだけど、形状とか効果をしっかりイメージする必要があるからかもね。曖昧なイメージのまま発動したらよく分からないふにゃふにゃの結界とかできちゃうし」
確かに、散炎弾は威力の調節だけを考えれば良いが、結界術は大きさや形や効果などなど、色々と考えることが多い。
それが脳の処理能力が必要な理由なのかもしれない。
「つまり、結界術は霊力も倍くらい持ってかれて脳の処理能力も倍くらい必要になるパフォーマンスの悪い術なのよ。でも、私はその欠点をカバーする方法を身につけててね。それが、私がワコさんに認められた理由なの」
ワコさんの名前が出てクロの耳がピクピクしている。その理由には特に興味があるのだろう。
「霊力を回復する主な方法って幾つかあってね。美味しいもの食べたり、お風呂で寛いだり、爆睡したりすると回復が早いの」
「健康的ですね」
「実戦的な回復方法は、瞑想とか自分に合った属性の自然現象を感じるとかですけどね」
潤叶さんが笑いながらそう補足してくれた。
例えば、潤叶さんの場合は水属性との適性が高いため、川の近くや雨の日などは霊力の回復が早いそうだ。
「さっすが潤叶ちゃん。実戦的な回復方法は今補足してくれた通りなんだけど、例外も幾つかあるの。誰かから霊力を分けてもらったり、なんらかの道具に霊力を保存しておいたりとかね。そして、これもその例外の一つよ」
「うわっ、何ですかこの結界?」
芽依さんが見せてくれた結界は手のひらサイズの大きさで、複数の正方形が合わさった図形が常に動き続けている奇妙な形をしていた。
この形、昔漫画で見たことがある。たしか四次元立方体とかいう図形だ。
「凄い!これが芽依さんの『補霊結界』なんですね!」
潤叶さんが大興奮だ。補霊結界?というのか。
「この結界は周囲の空間から霊力をかき集めてくれるの。悪霊に取り憑かれて荒れてた時期に、『クソ悪霊どもとっ捕まえて塩漬けにしてやらぁ!』って思いながら作った『捕霊結界』っていうのがもとになっててね。ワコさんのアドバイスで色々改良したらこうなったの」
「苦労したんですね……」
明るく話しているが、霊感があったせいで相当な苦労をしてきたのだろう。
この結界は、そんな時代の努力の結晶らしい。
「ま、そんな経験のおかげでフリーの術師としてそこそこ活躍できてるから、今となっては良い思い出だけどね。話を戻すけど、幽霊の存在の根源も霊力だから、幽霊を捕獲できる結界は霊力を蓄えることもできる。どうせなら、常に周囲の空間から霊力を集めるようにすれば結界術の欠点である燃費の悪さを解決する手段になる。そんな考えから生まれたのが、この『補霊結界』なわけよ。捕霊結界が補霊結界になったわけだね」
芽依さんは笑いながらそう教えてくれた。
「補霊結界……これって、相当高度な術ですよね」
習得して改めて理解できる。流石に『無上・龍王顕現』や『無上・黄金巨兵』ほどではないが、この結界は相当高度な術だ。発動中の脳の処理能力も相当必要だろう。
だが、芽依さんは山道を歩きながら平然とこの結界を維持している。ただの陽気な大学生かと思ったら、とんでもない実力者だった。
「本当にすごいよね。この結界は芽依さんとワコさんしか使えない特別な結界なんだよ」
「ふっふっふ、お姉さんを敬いたまえ若者たちよ」
「流石っす師匠!」
「流石です芽依さん!」
俺と潤叶さんのヨイショでさらに機嫌が良くなった芽依さんは続きを話してくれた。
「というわけで、この補霊結界が霊力不足を補ってくれるんだけど、問題はもう一つあるよね」
「脳の処理能力ですよね」
「正解。それじゃあ、脳の処理能力をカバーするにはどうすればいいと思う?」
「霊力で脳を強化する、とかですか?」
例えば、俺なら強化の異能で思考を加速できる。
その状態であれば複数の高度な術を併用することも可能だ。
「それは良い考えだね。実際、そうやって術を併用してる術師もいるよ。でも、私は違う。そんなことをしなくても複数の結界術を併用できるわ」
「どうやってるんですか?」
「気合いよ!」
「気合いかよ!」とツッコミそうになったが、芽依さんの目は真剣だ。えっ、冗談じゃなくて、本当に気合いが答え?
「結界術を覚えたての頃は霊が嫌がって近寄ってこない結界を四六時中張ってたの。でも、流石に寝てるときは無理でね……」
朝目が覚めると、ギトギトの油汚れの化身のような悪霊が至近距離で顔を覗き込んでいたり、布団の中にキモいおっさんの霊がギュウギュウに詰まっていたこともあったらしい。
聞けば聞くほど過酷な経験だ。
「結界を張ってから寝ればいいと思うかもしれないけど、結界っていうのは氷みたいなものでね。強力な結界はその分持続力も長いけど、弱い結界はすぐに消えて無くなるの。当時の私は年齢の割には霊力量が多かったけど、日中はずっと結界を張り続けてたから、寝る前に一晩中持続する結界を張る余裕はなくてね。そんな時、思いついたのよ」
俺だけじゃなく、周りにいるクロたちも興味津々といった様子で聞き入っている。
その様子を見ながら、芽依さんは補霊結界を指先でくるくると回して結論を口にした。
「寝てる間も結界を張り続ければ良いんだ!ってね」
ネテルアイダモケッカイヲハル?
ちょっと何を言っているのかわからなかった。
「寝る前には、一晩中持続する結界を張る余裕は無かったんですよね?」
「そうよ。そんな強力な結界を張る余裕はなかったわ。でも、霊が寄ってこない程度の弱い結界を張り続ける余裕はあったの。だから、寝ながら結界を張り続けたのよ」
「……えっと、つまり、寝ながら結界を発動させてたってことですか?結界を発動させるには強度とか効果とか大きさとかを考えなきゃいけないですよね?」
「そうよ。だから、寝ながら考えて発動し続けたの」
「「「「「「!?」」」」」」
俺だけじゃなく、クロたちも一様に驚いている。潤叶さんは知っていたのか、微妙な表情でこちらを見ている。
寝ながら結界発動?と、とんでもない技術だ。芽依さんの言う荒技は俺にもできない。例えるなら、寝ながら同じ文章を繰り返し書き続けるようなものだろうか?もう人間業じゃない。
習得能力をフルに発揮して練習すればできるかもしれないが、ちょっと挑戦するのも怖くなる技だな。睡眠障害になりそう。
ちなみに、家に張っている結界は力任せに張っているだけで、常時発動しているわけではない。数日で弱るため、そのタイミングで張り直しているのだ。
「そのお陰で、結界術に関しては無意識でも発動し続けられるようになったわけ。今は寝ながら2つまで発動できて、起きてる時は同時に10個はいける感じだね」
「幸助くん。勘違いしないでほしいんだけど、普通は結界術2つを併用できるだけで凄いって言われてるから。寝ながら術の発動とか誰もできないからっ」
おかしな常識を植え付けられそうになっている俺を、潤叶さんが訂正してくれた。
そうだよね、寝ながら術の発動とか、絶対おかしいよね。
「という訳で、『補霊結界』と『無意識下の術の発動』っていう技が使えるから、ワコさんが目を掛けてくれてるの。ちなみに、補霊結界は流石に無意識じゃ無理だし、これ使いながらだと10個同時は流石に無理ね。5個くらいが限界よ」
それでも5個って、とんでもないな。
クロも補霊結界をコピーできたようで同時発動を試しているが、まだ難しいようだ。
「芽依さんって、とんでもない人なんですね」
「いやいやいや、鏡を見なさい鏡を」
潤叶さんやクロたちの方を見ると同じような表情をしている。たしかに、俺も大概とんでもないね。自覚はちゃんとありますよ。
「ちなみに、私が常時発動してるのは、体に纏うように張っている『防御結界』、周囲を索敵してくれる『索敵結界』、攻撃に反応して防御してくれる『自動結界』の3つだね。色々試したんだけど、この3つが一番バランスよかったわ。こんな感じでっ!」
芽依さんはそう説明しながら、飛来した緑色の刃を結界で防いだ。
「笹の葉?」
飛んできた刃を見ながらそう呟いた。
ナイフかと思ったが、よく見ると鋭い笹の葉を霊力で強化して飛ばしてきたようだ。
「残念なことに、異常が起きてるみたいね」
「明らかな敵意を持った攻撃でした」
「直前まで気配を隠してたみたいだね。結界術っぽいな」
突然の襲撃に誰も驚くことはなく、笹の葉が飛んできた方を見ながら芽依さんと潤叶さんと俺はそれぞれの感想を呟いた。
実は、芽依さんが説明している途中から誰かが監視している気配には気付いていたのだ。もちろん、クロたちも気付いていたため、すでに全員臨戦体制へと移行している。
「へっ?何?敵っ!?」
訂正だ。ウルだけは気付いていなかったようで、キョロキョロと周囲を見渡していた。