86話「北海道に猪とか居ないのにっ!」
「桂〜、本当にあんなバカ猪に任せて大丈夫なの?あいつが下手こいたせいで邪神の心臓が手に入れられなかったんだよ?」
気だるげな表情で歩く黒髪短髪の少女は、隣を歩く黒い長髪を後ろで結った男性へ、そう声をかけた。
「香、あれは仕方のない状況だ。邪神の心臓を狙う他の勢力が旭川に居たのは想定外の事態だった。それどころか、一時的とは言え邪神の力が解放されたのだ。猪笹王が何をしようと、あの状況から駒を取りに行くことは不可能だった」
桂と呼ばれたその男は表情を一切変えず、香と呼ぶその少女へ言葉を返した。
「ぷふっ、だとしても猪笹王は本当にバカだよね。野生の猪のふりして子供の仕掛けた罠にわざとかかってその場をやり過ごすとか、思い出すだけでウケるんだけどっ!北海道に猪とか居ないのにっ!ぷふっ」
「この地に野生の猪がいない事は盲点だったようだな。まぁ、奴もそれなりの働きはしている。今回は大目に見てやるとしよう。それよりも、我々は持ち駒を増やすことに集中すべきだ」
そう話ながら、桂は右手に出現させた大太刀を構えた。
「バカ猪の話だと、あのボロ小屋にいる妖は持ち駒にしても大丈夫そうなんだよね?」
「あそこにいる妖は、この地を収める水上家とは協力関係にない。だからこそ、居なくなっても気付かれないと聞いている」
桂の言葉を聞きながら、香も右手に出現させた槍を構えた。
「そう言ってたけど、前に手に入れた駒は水上家の妖だったじゃない。危うく私たちの動きがバレるところだったわ。今回もガセ情報だったら絶対に許さないわよ」
「ふっ、その時は……奴も我々の手駒にするだけだ」
2人はそう話しながら、森の中にひっそりと建つ古屋へと足を踏み入れたのだった。
◇
両親と新しい家族の歓迎会を行った翌朝。クロたちを連れて委員長との待ち合わせ場所へと来ていた。
全員で来る必要もなかったのだが、家にいると両親に弄くり回されるため、全員付いてきた。
また、陰陽術師との仕事があると知った父さんも付いてこようとするトラブルもあったが、母さんが羽交締めにしたことで事なきを得た。
「おはよう水上さん。ごめんね、待たせた?」
「おはよう結城くん。全然待ってないよ。私も今来たところだし、まだフリーの術師さんは来てないから」
待ち合わせの時間には少し早かったが、すでに委員長が待っていた。
流石委員長だ。成績優秀な上に人柄も良く、プライベートでは術師として世のために活動もしている。ファンクラブができて当然だな。
「そういえば、見回りをする理由を話してなかったよね」
そう言いながら、委員長が今回の仕事に至るまでの経緯を話してくれた。
どうやら、最近行方不明の妖の数が増えてきているらしい。
「妖が行方不明になってる?」
「そうなの。この前、水上家に協力してくれていた妖の方と連絡がつかなくなっちゃって。仲の良い妖の方たちに聞いてみたら、他にも行方が分からなくなった妖がいるみたいなの」
妖たちは人間と時間感覚が違うため、「ちょっと散歩に行ってくる」と言って数十年くらい行方不明になる者もいるらしい。
そのため、定期的に行方不明の妖は現れるのだが、今回は明らかに数が多いらしいのだ。
「気まぐれな妖も多いから、他の土地に旅に出てそのまま居着いちゃったりってこともあるんだけど、行方不明になっているのは北海道だけじゃないんだよね」
「えっ、他の地域でも行方不明になってるの?」
「東北や関東地方でも行方不明の妖が増えてるみたいなの。だからこそ、今回の見回りで異常がないかを確認して回っているんだ。潤奈やアウルも、別の地区を回ってるはずだよ」
「潤奈ちゃんやアウルちゃんも休日返上して仕事してるんだね」
術師って大変だな。録画してるアニメ見ながら片手間に結界の練習とかしてる自分が恥ずかしい。
「そういえば、結城くんって水上さん呼びだよね」
「確かに、いつの間にかそう呼んでた」
心の中では委員長呼びだけどね。
「水上だと潤奈やお父さんと被るから、名前で呼んでほしいかも」
「……えっと、潤叶さん」
「うん、それでお願い」
「そしたら、俺のことも幸助でいいよ」
「えっと、それじゃあ……幸助くん。よろしくね」
「よろしくね、潤叶さん」
せ……青春だぁぁああ!
まさか、こんなタイミングで青春を味わってしまうとは、職業体験お願いして本当によかった。
「ニアっち、今のセリフ録った?」「マスターノ青春ハシッカリト記録シテイマス」という声が微かに聞こえたので、後でニアの録音データは削除しよう。
「いやー、青春を謳歌してるところ申し訳ないんだけど、そろそろ会話に混ぜてもらってもいい?そちらの黒猫くんとか白いカラスくんもそんな顔してるしさ」
声の方を向くと、申し訳なさそうな表情をしたウルフヘアの若い女性が立っていた。
「初めまして、私は犬井芽依。今回同行させてもらうフリーの術師だよ」
「あ、初めまして、結城幸助です。自分も一応フリーの術師です」
この人が今回同行してくれるフリーの術師さんか、快活そうな人だ。
そして犬井さんの言葉で気が付いたが、今の青春の1ページはクロたちにもしっかり見られていた。恥ずかしい……。
リンだけはまだ眠そうにしているため、聞いていなかったようだ。
「あ、特に誰とも被らないけど、私のことは芽依さんって呼んでくれていいよ!」
早速盛大に弄られてしまった。そして、俺のことは「結城くん」呼びになった。
「にしても、遠くから見た時は幼女ちゃんと猫くんとカラスくん連れてるだけかと思ったのに、結構な大所帯だったんだね……不思議なものは流石に見慣れたと思ってたけど、こんなに驚かされるとは思わなかったよ」
「どうもすみません……」
そのままの流れでクロたちも紹介したのだが、芽衣さんの表情が引き攣ってしまった。大妖怪に式神にロボットに妖精に刀、流石に理解の範疇を超えていたらしい。
「とりあえず移動しよっか。車はこっちだよ」
今回の見回りでは、芽依さんが運転してくれるレンタカーに乗っての移動になる。
芽依さんは19歳の大学一年生で、運転免許も持っているそうだ。
「芽依さんは、大学生活とフリーの術師を兼任しているんですね」
「そうだよ。まぁ、術師の仕事は滅多にないけどね。たまーにこうして潤叶ちゃんのお父さんから依頼されたら手伝うって感じかな」
「いつからフリーの術師を続けているんですか?」
「ふっふっふ、こう見えてキャリアだけは結構長いのよ」
芽依さんは幼少期に霊感があり、幽霊なのか普通の人なのか判別できないほどはっきりと見えていたらしい。
その際、様々な悪霊に取り憑かれて大変な思いをしたのだが、水上家に仕える術師さんに結界術を教えてもらい、悪霊に脅かされない日々を手に入れたそうだ。
「今はもう霊感も消えちゃって幽霊とかは全然見えなくなったんだけど、毎日毎日悪霊相手に結界張り続けてたお陰で結界術だけは自信あるんだよね。だからこそ、せっかく手に入れたこの力を活かしたくてフリーの術師をやってるの。あの時助けてくれた水上家の人たちへの恩もあるしね」
芽依さんは笑いながらそう話してくれたが、きっと相当な苦労をしてきたのだろう。
俺も幽霊が見えるから分かるが、不快感しか湧かないような強烈な見た目をした幽霊もたまに見かける。あんなものに四六時中取り憑かれていたら、頭がおかしくなるかもしれない。
「芽依さんの結界術は本当に凄くてね。旭川を守ってくれてるワコさんっていう妖がいるんだけど、そのワコさんも認めるくらいの実力なんだよ」
「ほう、それは興味深いな」
潤叶さんの言葉を聞き、潤叶さんに絶賛撫でくりまわされているクロが反応した。
ワコさんという妖はクロの旧友で、結界術の相当な使い手らしい。そんな妖が認めるほどの結界術、是非とも見て学びたいな。
「いやいやいや、買い被り過ぎよ。ワコさんに結界術教わったことあるけど、あの化け物結界術に比べたら私のなんて足元にも及ばないからね」
そう言いながら芽依さんはぷるぷると震え出した。何か、悪い記憶を蘇らせてしまったのかもしれない。
「それでも、芽依さんの結界術は並の術師を超えてるから、幸助くんも学べることは多いと思うよ」
「師匠、よろしくお願いします!」
「ふっふっふ、仕方ない。可愛い弟子に私の奥義を伝授してやろう。あ、ワコさんには芽依さんの弟子ですとか絶対言わないでね。まだ弟子を取るレベルじゃないとか言われてボコボコにされるから……」
ワコさんという妖は中々厳しい方らしい。
それと、芽依さんが絡みやすい人で本当に良かった。フリーの術師だから、無口な一匹狼キャラの可能性も考えていたので助かった。
「そろそろ到着するよ〜」
そんな雑談を続けているうちに、芽依さんが運転する車は鬱蒼と木々が生い茂る森へと到着したのだった。
というわけで、滝川が宿泊レクリエーションで捕獲した猪はこの布石だったんですね!北海道に生息していない猪を出したのはフラグだったという事です!
……嘘です。すみません。無理矢理フラグっぽくしました。
北海道に長らく住んでいながら、猪が生息していない事を知りませんでしたm(_ _)m