76話「銃はただの速い槍」
ニケラの部隊による雑居ビルの掃討作戦は順調に進んでいた。
「完全に意識を失っているわね……」
無色無臭の睡眠ガス。ニケラは事前に雑居ビルへ侵入し、その発生装置をビル内の各所へ設置していたのである。
「あまりにも順調すぎるわ。異様ね」
ヤヨイが居るであろうバーへと向かう中、意識を失っている護衛やヤヨイの部下を見やりながらニケラはそう呟いた。
「ニケラ様、只今屋上から侵入した部隊から連絡がありました。上層階を警備していた者達も皆意識を失っているそうです」
「そう、わかったわ。そのまま階を降りてくるよう伝えなさい」
背後に控えている部下からの報告に、僅かな違和感を覚えながらもニケラはそう返した。
ガスの性質上、換気されやすい一階や屋上には効果が薄いとニケラは考えていたが、その予想が杞憂に終わり、順調すぎるほど計画が進んでいる違和感に疑問を感じていたのである。
「意識のある者は誰もいない。このままなら成功率は100%……明らかにおかしいわね」
まるで誰かの手の上で踊らされているような奇妙な感覚。その違和感の原因が何かを掴めないまま、ニケラは部下と共に雑居ビルの中を進んでいった。
「ニケラ様、この店で……ぐあっ」
ヤヨイの経営するバーへの扉を開けようとした部下が苦悶の表情で驚きの声を上げた。
その手には火傷の跡があり、触れたドアノブが宿している熱量の高さを表している。
「幼稚な小細工ね、早く開けなさい」
「かしこまりました……!?扉が、凍っているようです」
ドアノブに布を巻きつけて無理やりこじ開けようとした部下が、施錠によるものではない抵抗と扉の隙間から感じる冷気を浴びそう叫んだ。
「あら、ただの小細工かと思ったら結構面白い罠じゃない。構わず突入しなさい」
「「了解」」
ニケラは部下の2人にそう命令を下す。
現在ニケラの側には1階から共に潜入した部下の4名がいる。そのうち2人が戦闘不能に陥ったとしても、バーの制圧に支障はないと判断し、2人に突撃を強行させたのだった。
「ニケラ様、床が水浸しに……なっ!?」
「体が、凍る!」
薄暗いバーの中で突入した部下の悲鳴が響き渡る。
「中々面白いトラップね」
僅か1分と経たないうちに部下の2人は身動きが取れないほどの氷で覆われていた。
その過程をバーの外から見ていたニケラは見たことのない現象に興味をそそられつつも、中で待ち構えている相手に対して最大限に警戒を強める。
「氷から脱出はできる?」
「も、申し訳ございません。脱出は難しいです」
「自分も不可能です」
氷に閉じ込められたニケラの部下は顔だけ凍らされていない状態のため命に別状はない。だが、氷を排除する工具がなければ脱出は不可能な状態となっていた。
「全員まとめて拘束できれば楽だったんだけどな」
「あら、あなたがこの罠を仕掛けた張本人かしら?銃火器の使用を許可するわ。制圧が難しそうなら殺害しても構いません」
「「了解!」」
ニケラの部下は拳銃を取り出し、声の主に向けて発砲を開始する。身動きを封じるために手足を狙って放たれた弾丸は、瞬時に現れた氷の壁によって阻まれ、声の主へと届くことはなかった。
「銃はただの速い槍か……ヤヨイさんの言葉、早速役に立ったな」
声の主であるソージはそう静かに呟き、銃を構えたまま侵入してくるニケラの部下2人を睨みつける。
「寝技を使う暇はなさそうだな」
ソージはそう呟いた直後、『寒熱』によって大量の蒸気を発生させた。
「煙幕!?いや、蒸気か!」
「結城さん直伝……男女平等拳!」
「ぐっ……」
蒸気の中、ソージはニケラの部下の1人へと接近し顎下を掠めるようにして拳を放つ。
放たれた拳によって意識を奪われたニケラの部下は崩れ落ちるようにしてその場に倒れこむ。
「店内から出なさい、地の利が悪いわ」
「了解」
「逃すか!」
ソージはバーから脱出しようとするもう1人へと接近し拳を放った。
「甘い」
「くそっ!」
だが、相手に読まれていたその拳は即座に受け止められ、そのままソージは拘束され身動きを封じられる。
「そっちこそ甘いんだよ!『寒熱』!」
「ぐああああっ!」
「おら、さっさと放さないと焼け死ぬぞ?」
「に、ニケラ様!私ごと!」
「言われなくてもそうするわ」
「マジかよ!?」
味方ごと撃ち抜くつもりで向けられた銃口に驚きながらも、ソージは蓄えていた熱量を脚部から一気に放出する事で小規模の水蒸気爆発を起こし、拘束を解いてバーカウンターの奥へと身を隠した。
「動けますか?」
「申し訳ございません。死に至るレベルではありませんが、手足の骨を損傷しました。これ以上の戦闘は難しいです」
「そうですか、そこで待機していなさい」
ニケラはそう言いながら自作のリモート爆弾を懐から取り出す。
「熱を操る装置なんて面白い道具を使うのね。それを捨てて大人しく降参するならこちらもこれ以上戦闘を行わないわ。どうかしら?」
「熱を操る装置か……捨てたい時もあったが、あいにく簡単に捨てられる代物でもねぇんだわ。それにあんたの言葉は信用できねぇ。降参する気はさらさらないね」
「そう、残念ね」
その呟きの後にニケラはリモート爆弾をバーカウンターの横にある扉の方へと投げ込んだ。
「クソがっ!『寒熱』!」
その扉の奥ではヤヨイとその部下が眠っている事実に焦ったソージは、爆弾を凍らせて爆発を防ごうとする。だがーーー
「敵から目を逸らしてはダメよ」
ーーーその動きを読んでいたニケラはソージの死角へと移動し、容赦なく銃弾を打ち込んだ。
「念のために爆破もしておきましょう」
そう呟きながらニケラは爆破ボタンを押すが、爆発が起こらない事に首を傾げる。
「まさか、電池まで凍らされて起電力が発生しなくなっているのかしら?液体窒素か何かだと思っていたけど、それを遥かに上回る冷却力みたいね。殺す前にタネを聞いておくべきだったかしら」
そう呟きながらソージの遺体を確認しようとするニケラは、違和感に気付き咄嗟に距離を取った。
「ちっ、バレたか」
「……何故生きているの?頭と心臓を撃ち抜いたと思ったのだけど……そういえば、服はボロボロだけどさっきの爆発の傷も無いみたいね」
「さぁ?何でだろうな」
平然と立ち上がるソージの姿を目にし、ニケラは自身の鼓動が高鳴るのを感じていた。
(まさか、まさかこんなところであの要人の秘密に繋がるなんて!)
ニケラが生涯で唯一暗殺に失敗した不死身の要人。急所を撃ち抜いても立ち上がり、毒を盛っても倒れず、跡形も残らないほどの爆撃にも平然と耐える。
今回の任務はその要人の秘密を報酬として得られる事を条件に受けていた。
(あの要人暗殺は他国で行った仕事だった。だからこそ予期していなかった、まさか今回の任務中にその情報の一端を得ることが出来るとはっ!)
悦びに震える気持ちを抑えながら、ニケラは立ち上がる目の前の青年を見つめる。
「急所を撃たれても死なない体。先程の熱や冷気もその不思議な力によるものなのでしょうか?」
「さぁな、話す義理はねぇ」
「ふふふっ、もうすぐ屋上から侵入させた部下がここへ辿り着きます。さすがに私1人ではあなたに太刀打ちできませんが、多数を相手取りながらその扉の奥にいる方々を守り切ることはできますか?」
「……まぁ、俺1人じゃ無理だろうな」
余裕の笑みを浮かべるニケラを見やりながらも、ソージは落ち着いた表情でそう答えた。
「随分と余裕そうですね。まだ何か手があるようですが、私の部下が到着すれば手遅れです。あなたのその力の秘密、嫌でも話したくなるようにさせてあげますよ!」
「残念デスガ、ソレハ不可能デス」
「なっ!?」
ニケラはその声の相手を見る事すら出来ず、意識を奪われたのだった。
お、お待たせ致しましたっ!
ジャスパに続いてニケラも終了。トウジョウは少し長くなります。