75話「クロの目がギラギラ」
「私は2枚交換で」
「俺は3枚で……」
俺は今、オフィスビルの一室でスーツ姿のハーフっぽい顔立ちをした30代前半の男性とポーカーをしている。名前はジャスパと言い、蛭害の側近の1人なのだそうだ。
「私はキングのワンペアです」
「えっと、スペードのロイヤルストレートフラッシュです」
「またですか!?」
ジャスパが驚愕し、膝の上に座るクロがニヤリと笑う。
『ふっ、わしを化かそうなど100年早いわ!』
テンションの高いクロ。驚愕の表情でイカサマがないか入念にトランプを調べるジャスパ。紅さんや護衛の方々から畏敬の念を送られる俺。
なんだこの状況?
「ふ、ふふふ、そ、相当運が良い方のようだ。色々な方々と勝負をした事がありますが、ロイヤルを8回連続なんて初めてされましたよ。凄い偶然ですね」
「ほんと、凄い偶然ですね」
「次も私が配らせていただいても宜しいですか?」
「あ、はい。どうぞ」
どうせ結果は変わらないんで……。
そう思いながらトランプを渡す。
「5枚交換で」
「それでは、私も5枚交換で」
「ロイヤルストレートフラッシュです」
「またです!?」
もう何度目かもわからないやりとり。次はハートのロイヤルストレートフラッシュだった。
『ふっ、今回も小細工を仕掛けていたようだが、甘い、甘すぎるわ!』
クロのテンションが高い。
遡ること30分前。
ジャスパがこのオフィスビルへと乗り込んできたところからこの状況が始まった。
「武器は持っていません。持ち物は、これだけのようです」
ジャスパのボディーチェックを終えた紅さんの護衛が、回収したトランプを紅さんに見せながらそう伝えた。
「トランプ、ね。これはどう言うつもりかしら?」
「まぁまぁ、そう警戒しないでください。それは本当にただのトランプですよ。私はただ話し合いに来ただけなんです」
聞くと、トランプゲームでもしながら普通に話し合いをしたいという事だった。
ジャスパは蛭害陣営に対して忠誠心がなく荒事も苦手なため、交渉次第ではリサ先輩の捕らえられている場所と蛭害の潜伏場所についての情報を提供すると言ってきたのだ。
「もうリサの居場所は分かっているけど、蛭害の潜伏場所は気になるわね。でもあなたの言動は信用できないわ。それに、ここに単身で乗り込んできて無事に帰れると思っているの?」
紅さんの言葉に周囲の護衛の人たちはジャスパへ向けて殺気を放っている。
「拷問でもしますか?先ほど荒事は苦手と言いましたが、私も修羅場はそれなりに潜っています。時間の無駄だと思いますけどねぇ?ついでに言うと、私には人質としての価値はありませんよ。そうでなければ単身で乗り込んだりはしませんから」
ジャスパは眉一つ動かさず平然とした表情でそう答えた。はじめは物腰柔らかな愛想の良い男性という印象だったが、やはり油断できない相手のようだ。
「いいわ、あなたの意図を探るにしても拷問するにしても時間がかかる。提案に乗ってゲームでもしながら語り合うとしましょうか」
「素晴らしい判断力ですね。蛭害さんとは大違いだ。ゲームは何が宜しいですか?」
「余計な時間はかけたくないわ。ポーカーでいいわよ。チップも無いからファイブカードドローでやりましょう」
時間が惜しいので、紅さんは淡々と話を進めていく。
凄いな、不測の事態にも全く動揺していない。
「ポーカーですか、わかりました。ですが、どうせやるなら勝敗に価値も欲しいですね。たとえば、あなたが勝てばその度に欲しい情報を1つ得られる。とかはどうでしょう?」
「私が負けたら?」
「別に何も無くていいですよ、ただのゲームですから。交換は1回でいきましょうか」
そう話すジャスパは近くにあった席へと腰掛け、おもむろにカードを配り出した。しかし、その様子を真剣な表情でクロが見つめている。
『ふむ……この勝負、あの紅という女性にはやらせんほうがいいかもしれん』
『ん?どうしてだ?』
『奴は呪術の類を使っている可能性がある』
そう語りかけてきたクロに詳しく話を聞くと、約束や勝負事を条件に発動する『呪術』という術が存在するらしい。
一流の呪術師であれば軽い口約束やじゃんけん程度の勝負に勝つだけで相手を呪う事も出来るそうだ。
緩い条件の呪術であれば術師や異能者にはそれほど影響は無いが、一般人には致命的な影響が出る事もあるらしい。
『霊力の類は一切感じなかった。"疑似・感知"でも能力の反応は無かった。故にただの勘違いの可能性もあるが、警戒しておくに越したことはないだろう』
『わかった。それなら俺が代わった方がいいな』
『そうだな、勝負自体を無かった事にする事が発動条件の可能性もある。それに万が一呪術の類だったとしても、並みの術ではお主にもわしにも効かん。身代わり札もあるしな』
呪術の効果も身代わり札で防げるらしい。本当に便利だな身代わり札。ソージやディエスにも10枚ずつ配ってストックも減ってきたので帰ったらまた量産しよう。
そう考えながら紅さんを説得し、トランプが配り終わる前に対戦相手は俺に代わることになった。
『呪術だとすれば勝負に勝つことが発動条件である可能性が高い。敗北を発動条件にしてわざと手を抜いて負ければ、術の効果が使用者へ返る事もあるからな』
『なるほど、呪術って難しいんだな』
『うむ、不正によって条件を満たそうとすれば呪術の効果が何倍にも膨れ上がって使用者へと返るのだ。だが、不正の範囲は使用者の認識によって変わる。使用も難しいが客観的に成功の有無を判断するのも難しいのが呪術なのだ』
『とりあえず、この勝負は俺が勝ち続けることが呪術の発動を防げる可能性が高いというわけか』
『そうだ。それに関してはわしが全力で支援しよう。要は完全に証拠を残さず不正を行えば良いのだ。ちなみにだが、わしは呪術戦において負けた事がない』
『うわぁ、クロの目がギラギラしてる』
妖にも呪術を使う者は多く、そういった相手をことごとく返り討ちにしてきたらしい。だから呪術に詳しいのか。
それと、クロの目がサバンナで獲物を見つめるライオンみたいな目になってる。見た目は黒猫なのに目の圧が凄い。
「君が相手ですか。まぁいいでしょう」
「えっと、よろしくお願いします」
そして現在の状況へと戻る。
「またロイヤルストレートフラッシュです」
「まま、またですか!!?」
『ふはははは!未熟者め!』
何度もトランプに触れているうちに気がついたが、ジャスパが持ってきたトランプは各カードごとに裏面の模様や手触りが違う。マジック用のトランプにそういうのがあると聞いた事があるから、その類いだろう。
言われても気付かないほど微妙な違いだが、その違いとプロ級のカードコントロールによってジャスパが必ず勝つ手札になるよう細工をしているらしい……が、俺とクロには全く関係ない。
「あらためてクロの能力ってチートだなぁ……」
ゲームが始まってからすでにクロのチート幻術は絶賛発動中だ。
手札を開いた瞬間に俺の手札は好きな柄へと変わり。辻褄が合うようジャスパの手札も変わっている。
クロの幻術はとても丁寧で裏面の模様も手触りもカードの柄に合わせて変わるため、5ゲーム目あたりからジャスパはあからさまに裏面の模様と手触りを何度も確認していた。
たしかに、手札を見た瞬間に手触りも何もかもが変わったら驚くだろうな。
「これで10連勝。何か聞いておく事あります?」
「いえ、もう充分よ」
既に蛭害の潜伏場所も戦力も側近であるトウジョウとニケラの仲間の数も装備も得意戦術も、必要そうな情報はあらかた聞き終えている。
これ以上は何もないな。
「ま、まだです!最後にもう一度だけ!次のゲームで私が負ければ、我々の本当の雇い主に関する情報もお教えします!」
「本当の雇い主?」
「あなたの雇い主は蛭害ではないの?」
「違います。私もトウジョウもニケラも、本当の雇い主の指示に従って蛭害の元で働いているだけです。ちなみに、本当の雇い主は蛭害にも資金提供をしているようですよ」
こいつ、一番重要そうな情報をわざと隠していたのか。ますます信用できないな。
『次の勝負で最後なら少しこちらからも仕掛けてみるか。呪術どころか霊力を発する気配すら無いからな』
『仕掛けるって、目立つ技はダメだぞ?』
『わかっておる。カードの柄を少し変えるだけだ。周囲にバレるようなヘマはせんよ』
クロが次のゲームで仕掛けるそうなので警戒をより強めるとしよう。『強化』の異能で動体視力を極限まで上げ、『三重結界』はすぐに発動できるよう頭の中でイメージを保っておく。
クロも今まで以上に集中しているようだ。
「ラストは交換なしの一発勝負で行いませんか?」
「いいですよ」
ジャスパの提案に同意し、最後の戦いが始まった。
◇
トランプゲームはジャスパにとって作戦の準備段階でしかなかった。
どんなに小さな勝負であっても、敗北感から生まれる微かな悔しさや怒りは感情を揺さぶる。
心理学、催眠術、承諾誘導、メンタリズム……あらゆる人心掌握術を極めているジャスパにとって、その僅かな心の揺らぎは付け入るのに充分な隙であった。
心理的優位な状況を作り出し、紅を含めた主要人物の人心を掌握。トウジョウとニケラが仕事を終えるまでゆっくりと時間を稼ぐ計画ーーー
(ーーーの筈が、い、一体どうなっているんですか!?)
ポーカーというゲームにおいて、ジョーカーを抜いた52枚のカードで作れる最上位の役、ロイヤルストレートフラッシュ。
それをワンペアでも揃えるようなノリで出し続ける目の前の少年に、ジャスパは激しく心を揺さぶられていた。
(このトランプはプロでも見抜けないほど高度に隠蔽されたトリックデック。尚且つディーラーも私自身、52枚のカードは全ての位置を把握している。配り間違える筈がない。それなのに……)
交換を挟んでもワンペアすら揃わないようカードの順番を調整して配るが、何食わぬ表情でロイヤルストレートフラッシュを揃えてくる。バレないようエースを全て抜いて配り直してもロイヤルストレートフラッシュ。抜いたエースを確認すると全く違うカードに変わっている。
まるで魔術でも使われているかのように……。
(舌下に仕込んでいた解毒剤とカフェインは既に摂取している。幻覚剤や催眠術による作用ではないことは確かですね)
何度も何度も入念にトランプを調べ、絵柄を確認し、再度配り直す。
ジャスパは今回も裏面の模様から幸助の手札を全て把握していた。ワンペアすら揃っていない。
そして手札を開くと、またもやロイヤルストレートフラッシュが揃っている。すぐさま裏面を確認するが、模様も既に変わっている。
(……まさか、まさかこれは!!)
もう一度、もう一度だけ確認したい。その一心からジャスパは当初の目的すら忘れて言葉を紡いだ。
「ま、まだです!最後にもう一度だけ!次のゲームで私が負ければ、我々の本当の雇い主に関する情報もお教えします!」
そうして訪れた最後のチャンス。
行うのはシンプルな戦略。初手で既にスペードのロイヤルを揃えておき、引き分けに持ち込むだけだ。
既に何度かこの策を行なっていたが、配り終えた手札を確認する寸前に手触りも裏面の柄も全てが変わり、失敗に終わっていた。
だが、この方法がカードの変化を一番感じ取れるため、ジャスパは最後にこの策をもう一度行うことに決めていたのだ。
「さて、今回はどのような手札に……えっ?」
思わず拍子抜けたような声を出してしまうジャスパ。なぜなら、自身の手札を確認すると意図していた通りにスペードのロイヤルストレートフラッシュが揃っていたのである。
(いや、これが正常な状態ではあるのですが、何故今回に限ってぇええええ!?)
『こちらも悠長に遊んでいる暇はないのだ。正直に目的を話せ』
突然頭の中に響いた声に動揺しながらも、ジャスパはその驚愕を表情に出さないよう必死で抑えた。
(い、一体何が起こっているんですか……!?)
なんと、手札にあるスペードのキングが剣を向けながら頭の中に響く声で語りかけてきたのである。
周囲を見渡すがプロジェクターによってカードに映像が投射されているわけでもなく、そもそもこの状況に誰も気が付いていない。カード自体も映像を映し出せる機能など無い普通の紙である。ジャスパは歯の詰め物に電波を遮断する材質の物を使用しているため、頭の中に響く声も鉱石ラジオの仕組みを利用したトリックではないと確信する。
(まさか、本物……本物なのか?)
これ以上ないほどに驚愕するジャスパを嘲笑うかのように、手札のカードの絵柄が徐々に変わっていき、何の役も揃っていないバラバラの絵柄へと変わった。
「えっと、スペードのロイヤルストレートフラッシュです」
そして目の前の少年が揃えた役は、先ほどまで自身の手に握られていた役だった。
「本物の魔術……」
その呟きの直後、ジャスパは転げ落ちるようにして椅子から身を投げ出し、目の前の青年へ勢いよく土下座した。
「どうか、どうか私を弟子にしてください!!!」
「ええっ!?」
床に頭を擦り付ける勢いで土下座したジャスパには、引き攣った幸助の表情は見えていなかった。
札幌のとらのあなが今月で閉店してしまうとは……非常に残念です。
大変お世話になりましたm(_ _)m