55話「口の中に石ころが」
ロンドンの外れに住む1人の少女がいた。
母は早くに亡くなり、父は出稼ぎでたまにしか帰らない。それでも、彼女は決して不幸ではなかった。
小さなアパートの一室で、無口な妹との2人暮らし。家計は厳しく贅沢とは無縁の生活だったが、たしかな幸せがそこにはあった。
そんな少女は、父親の教えをとても大切にしていた。
『神様はいつも私達を見守ってくれている。だから、常に正しく生きなさい』
少女は教えに従い、正しく生きていた。神様はいつも見守ってくれている。そう信じていた。
人柄も良く、整った顔立ちをしていた少女は地元の人気者だった。妹もそんな姉を慕い、2人仲良く幸せな日々を送っていた。
そんな少女が15歳となった頃、1人の青年から告白を受けた。
彼は地元でも有名な財閥の御曹司だったが、悪い噂の絶えない人物だった。
恋愛感情に疎かった少女は、正直に自分の思いを伝えて青年の申し出を断った。
それからしばらくして、事件は起こった。
少女が家に帰ると、妹が殺されていたのだ。
妹の体にはたくさんの暴力を受けた痕があり、いつも笑顔でいっぱいだった妹の顔は、絶望に歪んでいた。
少女は調べた。全ての伝手を頼り、あらゆる手段を使い、犯人を突き止めた。
犯人は自分に告白してきた青年とその友人達、そして、少女の実の父親だった。
実行犯は青年達だが、少女の情報を売り犯行を手伝ったのは実の父親だったのである。そして、狙いは妹ではなく少女自身だった。
少女は法の下、適切な罰を与えるよう周囲へ呼びかけた。しかし、青年達は罪に問われず、妹の死は事故ということになった。実の父親の証言は青年達を無罪に導く有力な証拠となった。
少女は力を求めた。正しい裁きを与えられる力を。
妹の死がきっかけとなり、少女は『催眠』という異能に目覚めていた。しかし、その程度では足りない。
それから10年が経った。
辛い訓練と実験に耐え、『愚者の大軍』という彼女特有の力を手に入れた。
彼女はその力を駆使し、実行犯の青年と友人達に復讐を果たした。もちろん、自分の情報を売った父親にも同じ末路を与えた。
貧困から抜け出す為の金が必要だった。妹が亡くなるとは思わなかった。そんな言い訳を聞いたが、彼女の決意は一切揺らがなかった。
「もう、疲れたわ」
最後に、妹が死ぬ原因となった自分自身を消し、彼女の復讐は幕を閉じる予定だった。
「本当にそれで終わりでござるか?」
しかし、そんな彼女に語りかける存在があった。
「まだ復讐する相手が残っているのでござるよ」
「復讐する、相手?」
彼女の問いに、その存在は笑顔で答える。
「神でござるよ」
彼女に語りかけたその存在の顔も姿も、彼女自身は覚えていない。
しかし、不思議と彼女の覚悟は決まっていた。
「そうね。私も妹も、いつも正しく生きていた。それなのに、神様はそんな私たちを見捨てた。だとしたら、私たちを見捨てた神にも復讐しないといけないわね」
彼女は今も、その覚悟に従って生きている。誰かに歪まされた覚悟だという事実に気づかないまま……。
◇
『神の小刀』
事象や概念すらも一振りで剥ぎ取る事ができる神器……らしい。
市営の博物館で展示されているとは思いもよらなかったため、何度も習得能力で確認したから間違いない。
「それにしても、すっごい威力だな」
切っ先が掠めただけなのだが、一瞬で龍と骸骨巨人から全ての魔力を剥ぎ取り、その存在を崩壊させた。
四重結界よりも遥かに恐ろしい雰囲気を醸し出している。
「なんなの、それは……?」
「博物館の展示物、かな」
驚く黒ドレスにそう答えつつ、全力ダッシュで距離を詰める。
『神の小刀』は、アウルちゃんと潤奈ちゃんが使っていた『ブレード』や『ランス』といった精霊術を応用して出現させているのだが、桁外れに制御が難しい。
そのため、同時にほかの術や異能を使用する余裕はない。『強化』も『散炎弾』も無しの素のダッシュで接近しなければならない。
「うおおおおおお!」
「よ、寄るなあ!」
枝の槍、石の礫、空気の壁が俺を阻むが、『神の小刀』で次々と切り裂いていく。
「時間ガアリマセン。残リ2分デス」
「頭痛ーい!体熱ーい!」
ニアが『神の小刀』崩壊までの時間を教えてくれる。本当に時間がないな。ウルも限界が近いらしい。
「くそっ、もう少しなのに!」
雰囲気的に、黒ドレスさんの胸にある黒い玉が力の源だろう。それを狙って接近を試みているのだが、木や石の猛攻と空気の壁が思った以上に厄介で全然近づけない。
龍と骸骨巨人をどうにかすれば決着が着くと思っていたが、考えが甘かった。
「残リ1分デス」
「守りは捨てる。ニア、ウル、頭の後ろに隠れてくれ!」
ニアとウルに後ろ髪を掴ませて後頭部に隠す。
飛んでくる木の槍や石の礫は無視し、空気の壁だけを切り裂きながら接近する。
「この力は渡さないわ!この力で、私は、神に復讐するのよ!」
黒ドレスは後退しながら周囲の自然物を操作して攻撃を仕掛けてくる。
「がああっ!」
左腕が弾け右足も深く抉られたが即座に再生する。しかし、効果の切れた身代り札はボロボロと崩れてしまった。
「くっ……」
この状態で致命傷を受ければ、間違いなく死ぬ。怖いっ。
あの喪失感、絶望感、死の恐怖は誰よりも知っている。でも、だからこそ、進まなければならない。多分、俺が逃げれば後ろにいる委員長達が殺されるかもしれないから……でも死ぬの怖い!!
「ああ、もう!届けぇ!!」
足がすくむのはダメだ。迷うのもダメだ。間違いなく死ぬ。黒ドレスとの距離は2メートルもない。あと一歩踏み込めれば切っ先が届く。勝てる!誰も死なない!!
「まだよ、私の復讐は、まだ終わらない!『彼を焼き尽くしなさい』!」
「!!?」
今までにないレベルの死の予感。咄嗟に右方向へ転がる。
見ると、先ほどまで立っていた地面が赤色し、ドロドロに溶けていた。
「溶岩?あつっ……いてぇ!」
そのまま視線をずらして足を見ると、太ももの中間あたりが炭化し、その先が無くなっていた。
「マダデス!」
「ご主人様、しっかり!」
頭の後ろから聞こえるニアとウルの声で我に帰る。
そうだ、まだ右足は無事、右足で飛んで、接近して……と思ったら、左足が再生していた。
「残リ20秒デス!」
「ご主人様ファイト!」
首筋に何かを貼られた感触が2つある。俺が左足を失う直前にニアとウルが自身に貼っていた身代り札を俺に貼ってくれたのだろう。
「ありがとう、2人とも」
ニアとウルに感謝しつつ、全力で黒ドレスへと駆ける。
「焼けなさい!」
「嫌だ!」
あの熱の正体は、おそらく光だ。光を操って高温の熱線を放ったのだろう。黒ドレスの周囲にピンポン球くらいの黒い点がいくつも浮いて見える。光が集まっているため黒く見えているようだ。天然のレーザー光線か、チートすぎだろ!
「でも関係ない。身代り札2枚分、ゴリ押しで突き進める!」
「残リ10秒!」
「切っ先が当たりさえすれば!」
「私の復讐は、まだ終わらせない!」
熱線に体を焼かれながら突き進むが、黒ドレスも後退しつつ空気の壁で進行を阻んでくる。
このままだとまずい、体は保つが、時間がない!
「ふふふっ、私の勝ちのよう……キャッ!」
「え?」
もう間に合わないかと思った直後、黒ドレスの足に蔦が絡み、転んだ。
「隙あり!!」
突然の転倒で空気の壁と熱線が消えたため、容赦なく『神の小刀』を振るう。
『なんか悪いもの全部剥ぎ取る!』そんなイメージで黒ドレスの胸にある黒い玉へと刃を当てた。
「私の力!私の……復…讐?」
黒ドレスが操作していた光と空気が霧散し、辺りは眩い光と暴風に包まれた。
発生した暴風に吹き飛ばされながら、緊張の糸が切れた俺は、徐々に意識が途切れていった。
「もがっ……」
意識を手放す直前、口の中に石ころが入った気がする。うげっ、最悪だ……。